*この「二著物語」シリーズの趣旨については、プロフィール参照して下さい。

 

前回「二著物語(その6)」で触れた諸永書には、一緒に取材・調査を進めていた人物として、映画監督・作家である森達也が所々に登場する。その森も、

 

森達也『下山事件(シモヤマ・ケース)』、新潮文庫、2006

という書を世に出している。

 

何故一緒に取材・調査していた諸永との共著とならなかったのかと訝る向きもあろうが、当書には、そうなった経緯が詳述されており、むしろ、そちらの方が主題なのではないかとも思えてしまう内容である。

 

『彼』、諸永との協働、確執具体的に言えば、下山事件の真相を追う取材過程の記述が多いのである。始まりは、当書の中で『彼』として登場する人物が、自身の祖父が事件に関わっていた可能性があることを祖父の妹、つまり『彼』の大叔母から聞いたという話を森が知人を介して知る場面である(因みに、既出諸永書も始まりは同じである)。最初は、TBSとタグを組んで取材・調査を進めようとするが、早く成果を出すよう求めるテレビ局とは折り合いが会わず、この関係は解消される。次に、「週刊朝日」とチームを組むこととなり、その「週刊朝日」側の中心人物が諸永である。だが、しばらくして『彼』が自分自身で纏めて書きたいとの意向を示したと伝えられ、森は手を引こうと考える。ところが、いきなり諸永が森に断りもなく、既出の諸永書の原型となる連載記事を「週刊朝日」に掲載し始める(1999年8月20・27日合併号から五回連載)。余程腹に据えかねたと見え、森はこの間の経緯を記した箇所の見出しを「裏切り」としている(313頁)。

 

森書の問題点―謀略・自虐史観諸永と袂を別った森だが、下山事件を現代史の中に捉えて戦後の日本をある意味で表象する事件として解釈し、犯行主体の有力容疑者として占領軍の組織に白羽の矢を立てるという視点は共有していたようである。

 

謀略史観と、その問題点:森は、一九五一年十一月二十五日に起きた鹿地亘事件を引き合いに出して、キャノン機関の下山事件への関与を示唆する(47-48頁)。中国で抗日戦線に加わっていたという前歴を持つ左翼系作家の鹿地が路上で拉致され翌年十二月七日まで監禁されていたという事件で、「占領軍の謀略組織が初めて公にその存在を露呈した事件」(48頁)として紹介している。だが、ごく単純な理由から鹿地事件と下山事件を同列に扱うのには無理があると筆者(山本)は考える。それは、下山総裁が死んだのに対し鹿地は生きていたという事実である。監禁中に鹿地が二十スパイになるよう脅迫されていたことが明らかになって大騒ぎとなったが、そのような騒動を防ぐために手っ取り早い方法は下山総裁のように自他殺不明となるような態様で殺してしまうことである。仮に、下山総裁がキャノン機関などの占領軍組織に謀殺されたとして、同じ組織が誘拐した鹿地は何故生かされていたのであろう?同じ組織による犯行としては、随分と性質が異なるような印象を受ける。

 

自虐史観とその問題点:森は言う:

 

日本は表皮が薄い。・・・・・表皮が薄いからこそ、鎖国[ママ:開国?]以降は一転して欧米の文化や社会システムを吸収し、近代化を果たしてアジアの盟主となった。表皮が薄いからこそ、戦後はアメリカの占領政策にほとんど抵抗をしないままに従属し、押し付けられた民主主義をあっという間に吸着[ママ:吸収?、もしくは「民主主義に・・・吸着」?]し、その後の高度経済成長を果たして世界に冠たる経済大国となった。

 ・・・・・表皮の薄さは、事があったときに一方向に暴走するという共同体の譜のメカニズムを発現しやすいことと同義でもある。

 要するにこの一世紀、日本は何も変わっていない。・・・・・その本質がこの<下山>事件には内在しているという直感が働いた・・・・・。(209頁)

 

このような歴史観を持つ森であるが、下山事件の歴史的意義をめぐる論議では、イデオロギー上では対極的な立場に立つ人物と同意するという奇妙な場面に読者は出くわす。

 

諸永との決裂に至るまでの取材では、諸永の方がより多く活動していたような印象を受けるが、一人だけ森の方が濃密に接触していたと判断できる人物がいる。諸永書では「Yの弟」とされていて、言及しているのは数頁のみ(255-62頁)だが、森書では「矢板康二」という実名で登場していて、頁数を特定するのが面倒臭くなるほど多く登場している。結局、その事件そのものについて森は余り有用な情報は聞き出せなかったが、矢板康二の以下の発言を記している:

 

・・・・・仮にだけど下山事件がなかったら、今の日本はどうなっていたと思う?もしかしたらドイツや朝鮮半島のように南北に分断されていたかもしれない。少なくとも今の日本は大きく形を変えていたはずだ。・・・・・少なくとも、今のこの豊かさは望めなかっただろう(321頁)

 

森が、この見方に賛同して、以下のようなコメントを残したことに筆者(山本)は、少なからず驚いた:

 

朝鮮戦争による特需は消え、その後の経済発展もまったく異なる道を辿っていたはずだ。日米安保は締結されなかったかもしれないし、五五年体制も自動的に消える。いずれにせよ今ある形とは、まったく違う日本になっていたことだけは間違いない。(322頁)

 

実に奇妙な成り行きだが、こういった見方は、イデオロギー的には対蹠的立場にあった加賀山之雄(事件当時国鉄副総裁)が事件から十年後に吐露した意見と一致している。「二著物語:下山事件(その2)」で触れた加賀山の「左翼謀殺説」の中で同人は「私は下山総裁の死は徒死ではなかったと思う。事件を契機に国鉄大整理も進行、無事終了した。・・・・・この年は日本の経済が立ち直る契機をつかんだエポックメイキングな年でもあったからだ」と述べている。

 

下山事件の過大評価:率直に言えば、下山事件がここまで大きな意味を持つものであったかについて、筆者(山本)は疑問を持たざるを得ない。

 

矢板康二と森がどのような歴史のifを念頭に置いていたかは定かでないが、既出の佐藤書(『下山事件全研究』)が言っていたように、たとえ下山事件が起こらなかったとしても、当時の左派・労組運動が高揚して占領軍の後押しを受けた政府を転覆させるまでの力を持っていたとは到底考えられないし、朝鮮戦争の特需をなくすような事態の成り行きも想像できない。

 

自らが扱ったトピックが歴史上の大事件であると考えたい気持ち、分からぬでもないが、もっと冷静な思考が必要ではなかろうか。

 

<「その8」に続く>