*当シリーズの趣旨については、プロフィールを参照して下さい。

 

前回は、

 

H・P・ウィルモット『大いなる聖戦・第二次世界大戦全史』(国書刊行会)

訳出過程、初校段階に於ける誤訳検証の一環として、以下の原文、及び二つの訳文を掲げた(文脈としては、敗戦に向うドイツ指導部、取り分けヒトラーについて著者が記している箇所である):

 

原文With the certainty of defeat came the escape from reality, yet at the same time Hitler’s conduct of the war was very far from being irrational, and his leitmotif in the final phase—that Germany had to continue the war until the alliance that opposed her fell apart—was far removed from fantasy.

 

訳文①敗北が必至となると共に現実からの逃避が始まったということだが、同時にヒトラーの戦争遂行態様が合理性を欠いていくことには到底ならなかったし、最終段階でヒトラーが標榜した、ドイツと相対する連合国陣営の結束が崩れるまで戦い続けなければならぬという根本理念は、夢想と呼ぶには程遠い響きを持っていたのである。

 

訳文②敗北が必至になると共に現実からの逃避が始まり同時にヒトラーの戦争遂行態様が合理性を欠いていくことには到底ならなかったし、最終段階でヒトラーが標榜した、ドイツと相対する連合国陣営の結束が崩れるまで戦い続けなければならぬという根本理念は、夢想と呼ぶには程遠い響きを持っていたのである。

 

その上で、「各々の訳文の問題点を指摘せよ。どちらが原文の文意をよく反映しているであろうか?」との設問を発しておいた。

 

今回は問題となる部分に下線を付しておいた。因みに、訳文①は小生の元の訳、訳文②は、某大教授の監(閑)訳者の初校段階での修正訳である。

 

(1)読み返してみて小生は、irrationalという単語を「合理性を欠く」といった表現で訳したのは少し拙かったかもしれないと反省している。「筋が通っていない」といった訳の方がよかったかもしれない。

 

だが、これは些細な点であり、以下の点の方が遥かに重大である。

 

(2)一見して分かるであろうが、訳文①では原文にある副詞のyetの意味を忠実に訳しているのに対し、訳文②では、そうなっていない。これがどのような際をもたらしているであろうか?

 

訳文②をもう一度読み返してみていただきたい。

 

この訳文では、読者が混乱するのではなかろうか?文章構成の上から見ると、「現実からの逃避が始まり」という部分が「合理性を欠いていく」と並列されて直後の「こと」に結びつくように読むことが可能であるし、そうするのが自然である。つまり、「敗北が必至になると共に現実からの逃避が始まることには到底ならなかったし、ヒトラーの戦争遂行態様が合理性を欠いていくことにも到底ならなかった」という意味になってしまう。だが、原文を読めば明らかなように、「現実からの逃避が始まった」の部分は、yetという副詞が直後にあるがために、その直後の文とは明確に寸断されており、「現実からの逃避が始まったにも拘らず、戦争遂行態様が合理性を欠くことにはならなかった」という意味であるのは明らかである。

 

もう少し分かり易く図式にしてみると、以下のようになる:

 

訳文①

現実からの逃避が始まる                         にも拘らず

⇒        a.合理性を欠くことにはならなかった

            b.ヒトラーの理念は夢想には程遠いものだった

 

訳文②

a.現実からの逃避が始まる

b.合理性を欠くことにはならなかった     そのために

⇒        ヒトラーの理念は夢想には程遠いものだった

 

監訳者が何故訳文②のような誤訳をしたのかを分析してみる。恐らく、「現実からの逃避が始まった」という一節を目にした監訳者は、その後に続く部分も「現実からの逃避」の具体的説明だと(多分原文を読まずに)判断したのであろう。そして、その直後の「合理性を欠いていくことには」という箇所を見て、「現実からの逃避」の具体的説明だと見誤り、それに続く「到底ならなかった」に意を払わなかったのであろう。

 

木を見て森を見ざる“閑訳”にならぬよう、細部のみならず文章・段落全体に意を払って作業すべきである。