前回は、ウィルモット『大いなる聖戦・第二次世界大戦全史』の訳出過程での誤訳検証の一つとして、

 

Campaign and Capitulation

 

なる見出しの訳を如何にするかを問い、

 

作戦と降伏

 

という監訳者の「閑訳」は妥当でないとした上で、如何なる訳にしたら良いかを問い、考える際のヒントとして、原著から幾つか文章を抜粋しておいた。以下に、その原文を再録すると共に、拙訳を付す;

 

the Italian campaign, . . . (中略). . . , possessed a simplicity denied the two main campaigns that carried the war across the north European plain into the heart of Germany([イタリア戦線]の最後の数ヶ月間の戦いは単純明快な経過を辿っている。これに対して、ヨーロッパ北部の平原地帯を横断して戦争をドイツの中核地帯にまで及ぼした二つの主要な戦線での動きは、そんなに単純なものではなかった)<*この部分、小生の訳では、文章の中の文節の順序を入れ替えたりして、相当意訳している>

 

As early as mid-August, as Allied armies reached across France after weeks of enforced quarantine in Normandy, Hitler had ordered preparations to be put in hand for a major offensive in the west in November(連合軍がノルマンディーでの数週間にわたる攻囲状態から抜け出してフランス領内を進撃しつつあった八月中旬頃、ヒトラーは早くも十一月を目途に西部戦線で一大攻勢をかける準備を進めることを命じていた)

 

In seeking a decisive battle north of the Ardennes the German plan of campaign envisaged a strike through this area to Antwerp being complemented by attacks by Army Group H that would complete the encirclement and annihilation of 21st Army Group and the 9th U.S. Army. (アルデンヌの北方で決戦を求めることを狙ったドイツ側の作戦計画では、アルデンヌ地方を突破してアントワープに向う攻勢を補完する形で、H軍集団が第二十一軍集団と米第九軍に対して包囲・殲滅戦を完結することとなっていた)

 

This massive disparity of strength at the point of contact accounts for the initial American defeat, but it also accounts in part why this defeat was only partial.(当初米軍が打ち負かされたのは、会敵地点でこのように兵力差が懸絶していたことによるものであるが、このことは、米軍の敗北が部分的なものに留まった理由の一端ともなっている。)

 

By 23 December, . . . , and on the day when the weather cleared and Allied air power entered the battle in strength for the first time, the impetus of the German offensive had been exhausted.(十二月二十三日になると天候が回復し、連合軍の航空兵力がこの戦いに初めて本格的に加わるようになってきたし、この頃になると、攻勢を進めてきたドイツ軍も力尽きていた。)

 

ヒントとして、「第二次世界大戦について少し知識がある人ならば、西部戦線に於ける一つの戦いについて語っていることが分かるであろう」と言っておいたが、もうお分かりであろう。

 

ここで論じられているのは、所謂「バルジ大作戦」であり、この名称はヘンリー・フォンダやチャールズ・ブロンソン、ロバート・ショーなどが出演したBattle of the Bulgeというタイトルの映画によって人口に膾炙することとなった。

 

しかし、史家の間では「アルデンヌ攻勢」と呼ばれることが多く、筆者もそれに習ってここの見出しを

 

ドイツ軍のアルデンヌ攻勢

 

としておいた。

 

この方が、前後の脈絡を考えればしっくり来ることは、明白である。