真珠湾攻撃の「総隊長」(実際の当時の職掌は空母赤城の「飛行隊長」)として知られる淵田美津雄は、戦時中の経歴も然ることながら、戦後はキリスト教の伝道師として渡米して布教活動に従事したことからも有名であり、いくつか伝記が出されている。

 

中田整一、編『真珠湾攻撃総隊長の回想・淵田美津雄自叙伝』、講談社文庫、2010

は、淵田が晩年書きとめ、死後長男の善弥が米国の自宅に保管していた自叙伝から編者が抜粋・編集して、随所に解説を付して世に出したものである。

 

「当事者本人が書いたものだから重要な史料であろう」と大概の人は考えるであろうが、物足りなさを感じる。

 

一番そのように感じたのは、昭和18年の「い号作戦」から翌年のマリアナ沖海戦のあたりまで、一年以上にわたる時期の淵田の動静や当時の出来事がすっぽりと抜けていることである。これは、淵田の遺稿が未完であったことに因るものかもしれないが、大きな違和感を感じる点である。

 

更に、『自叙伝』だからと言って、内容が必ずしも事実を伝えているとは限らないことを読者は銘記すべきである。

 

その理由としては、

 

①記憶違い

②自己弁護

③他者への惻隠の情

 

といったことが考えられる。

 

この『自叙伝』の場合にも、恐らく①に因るものであろうが、首を傾げたくなる箇所が幾つかある。

 

淵田はミッドウェー海戦の際に空母赤城に乗っていて、その際両足を骨折する重傷を負ったが、その直接の原因が、米軍の艦上爆撃機が投じた爆弾の爆風によるものとなっている(255頁)。ところが、淵田が奥宮正武と共同で1950年代に出した『ミッドウェー』では、赤城が被爆した後の艦内での誘爆によるものとされている。どうも、こちらの方が正しい様で、後出の二つの伝記も、その説を採用している。

 

1976年に死去した淵田は、晩年は重度の糖尿病であったにも拘らず、朝からビールを飲んでいたとのことで、ここら辺の記憶違いは起きても当然であったかもしれない。

 

このような『自叙伝』での記憶違いや欠落を補ってくれているのが、

 

甲斐克彦『真珠湾のサムライ・淵田美津雄』、光人社NF文庫、2008年(単行本、1996年)

である。

 

淵田の幼少時代から、その死に至るまで、そして、ミッドウェー海戦後の療養中の出来事など、『自叙伝』が書いていない空白を埋めている(・・・と書くのは不適当かもしれない。この書の単行本が出たのは『自叙伝』が出されるずっと以前だったからである)

 

次に、重要な出来事であったのに『自叙伝』に書かれていなかったこととして、昭和17年3月2日にジャワ島のチラチャップを空襲した際に、搭乗機が被弾して不時着し、何日間か密林の中を彷徨った末に救助されたことが、この書には記されている。何故、このような重大事が『自叙伝』に載っていなかったのか、不明である。

 

以下に、『自叙伝』との相違点を幾つか挙げる。

 

(1)真珠湾攻撃から赤城に帰還した直後に淵田が艦橋に報告に行った際、『自叙伝』では、第一航空艦隊参謀長草鹿竜之介とは何のやり取りもなかったように記されているが、当書では「一撃離脱」を考えていた草鹿が自己の目論見に有利な情報を得ようとするような質問を淵田に執拗に投げ掛けていた場面が「再現」(110頁)されている。

 

(2)ミッドウェーでの負傷の経緯(既述)

 

(3)『自叙伝』では、終戦直前に陸軍の参謀からクーデター計画を打ち明けられた時に淵田は「お断わりします」と一言返事をしただけとなっている(『自叙伝』、300頁)。しかし、当書では陸軍の参謀(但し、『自叙伝』に登場してくる参謀とは別人)にクーデター計画を打ち明けられて、一度は賛成したが、その後、高松宮に諌められて止めたことになっている(349-53頁)。

 

(4)『自叙伝』では、戦後の1952年3月25日に淵田がキリスト教の洗礼を受けたことが記されている(『自叙伝』、427頁)が、当書では「この有能な伝道師は、まだ洗礼も受けていないただの回心者で」洗礼を受けたのはずっと後のことだったとしている(377頁)。

 

著者がどういった筋からの情報を基にして、これらの話を纏め上げたのか定かではないが、(2)(3)についてはやり取りが具体的で、人名もはっきり挙げているので、一概に切り捨てることはできない。但し、(4)については淵田所有の聖書の表紙裏の写真が『自叙伝』に掲載されており、そこには洗礼の日も明白に記録されているので、『自叙伝』の方に軍配を挙げたくなる。

 

こういった点の解明は、この後の検討課題であろうか?

 

当書では、戦後の淵田の活動に関する記述は、他の二書と比較して短く、米国側の組織が淵田を利用し、淵田がそれに乗っかった側面が強いといったシニカルな書き方となっている。

 

星亮一『淵田美津雄』、PHP文庫、2000

は、概ね会話調で話を進めた小説風の読み物で、ここで紹介した三書の中では一番読み易いであろう。

 

ただ、その分新しい情報は余りなく、ミッドウェー後の戦中の淵田の活動についての記述が少ない点は、『自叙伝』と同工異曲といった感じである。

 

ただ、米国を伝道し回っていた淵田が、決して「自虐史観」のような見方に染まっていたわけではなく、米国の責任をも追及していたことを明らかにした点は評価できようか。

 

以上、三書を読んだ感想を総括すれば、単行本としては一番初期に出された甲斐著が一番優れていると判断する。