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今回は「二著」ではなく「三著」物語となります。

 

須崎勝『蒼天の悲曲』、光人社、2000(平成12)年

海軍を題材とした映画のシナリオを多数書いた著者ならではの作品である。物語は、終戦時予科練に在籍して十五歳だった男が、二十年余り後にふとしたことから当時を回想することで始まる。終戦から一週間後、予科練に入ったにも拘らず空を飛ぶこともなく終戦を迎えたその少年は、茨城県の百里原基地で有坂という名の海軍少尉が操縦する九七式艦上攻撃機に忍び込んで空を飛ぶという念願を果すが、その艦攻のエンジンは何らかの理由で止まってしまう。その時点で操縦している有坂に見付かった少年は、有坂の指示で落下傘降下して一命を取りとめるが、有坂はそのまま墜落死する。

 

その後の物語は、成長した少年がその少尉の死に疑問を持ち始め、真相を突き止めようと有坂を知る人物を訪ね歩いて当時の回想談を聞き取るという形で展開していく。そして、第十四期海軍飛行予備学生であった有坂と、同期花井少尉との軋轢と友情の軌跡を描きつつ、少尉の死と、生き残った花井の生の意味を追い求めるという内容である。

 

映画のシナリオ・ライターによる小説らしい場面転換の巧さに読者は引き込まれていくであろうし、架空の物語ながら、主に九州を舞台にして実際の戦局の流れに沿った話の成り行きに「このようなことは十分にあり得たであろう」と納得する内容である。

 

通底する主題は、当時の知識階級の卵とも言うべき学生達が特攻という死に如何に向かい合っていったかという重いものであるが、史実についても著者は知識の深さを見せている。

 

例えば、「学徒出陣」という言葉について、これまで海軍の募集に応じて志願して採用された予備士官までをも広く含むような考えが厳密には誤りであるとして、「(昭和18年10月に)勅令を公布して、一気に学生の徴兵猶予を撤廃した。慌しく臨時徴兵検査が行なわれて、在学中の文科系全部と農学部の一部の学生が陸海軍に振り分けられた。これが正確な意味での学徒出陣である」との解説をしている。

 

特攻の実態については、初期の関行男大尉の敷島隊など大々的に喧伝された事例では海軍兵学校出が出撃していったものの、その後は学徒の予備士官が半ば強制される形で志願していったという実態がこの小説でも以下のように鮮やか描写にされている:

 

  立石は冷酒一杯を呷ると、ひとり士官室へ急いだ。・・・(中略)・・・。折から居合わせた 

  司令の前で立石は啖呵をきった。

  「特攻に出て行けるのは兵学校を出た者だけだとかなんとか、見ろ、出て行くのはみんな

  予備士官ばっかりじゃないか!」

  ・・・(中略)・・・士官室は水を打ったように静まり返った。司令が黙って肯くと居並ぶ士官

  たちも口を閉じた。

 

だが、このような批判に対して胸を張って「俺達は精一杯戦った」と言える兵学校出の士官もいたことは認めなければならない。その代表格が、

 

豊田穣『蒼空の器・若き撃墜王の生涯』、光人社NF文庫、1993(平成五)年

の主人公である鴛淵孝(おしぶちたかし)である。

 

当書は「エリート・パイロット」とでも言うべき、海軍兵学校(海兵)第六十八期生の鴛淵孝の伝記で、著者は兵学校同期で昭和18年4月にガダルカナル近辺で乗機を撃墜されて一週間余り海上を漂流した後に米軍の捕虜となり、戦後帰国した直木賞作家、豊田穣である。

 

主人公の鴛淵は、米軍がいよいよ本土に迫ってきた昭和二十年に、迎撃戦闘機隊として四国の松山に配備された三四三航空隊の戦闘七〇一飛行隊長として勇名を馳せたパイロットで、それ以前にもソロモンの空でゼロ戦を駈って多数の撃墜記録を誇っていた。劣勢続きの帝国海軍が最後に米軍に一矢報いたこの三四三空の活躍は映画にもなったが、戦力が先細る中で鴛淵も昭和20年7月25日に豊後水道付近で散華する。

 

表題から手に汗握る空戦の描写を期待する読者は、三四三空のデビュー戦とも言うべき昭和20年3月19日の戦闘の模様を記述する第一章には満足するであろう。しかし、それに続く大部分では主人公の生い立ちや海兵での日常生活、主人公所縁の地を著者が訪れた際の紀行文めいた部分が多く、がっかりするかもしれない。それでも、当時海軍のエリート士官がどのように養成されていったかを生き生きと描写している本書には、それなりの価値を認めるべきであろう。取り分け、著者と主人公が同じ分隊で起居を共にした海兵四号(第一年)生徒時代の記述は、著者自身の記憶に依拠する部分が大きいので、読み応えがある。

 

不満な点としては、鴛淵が飛行学生として訓練していた時期についての記述がほぼ皆無であり、ソロモンでの鴛淵の活躍についても十分に描かれているとは言えないことで、後者に関しては記録に照らしてみて明らかに事実と齟齬する部分がある。物語の中では、ラバウルで坂井三郎が鴛淵に空戦方法を教授する場面が出てくるが、実際には坂井は昭和17年8月7日の空戦で重傷を負って後送されてその後ラバウルには戻っておらず、鴛淵がラバウルに赴任したのは翌年5月のことである。つまり、二人がラバウルで出会うことなど有り得なかったのである。それから、海兵で鴛淵の一期上で坂井三郎を部下に持っていた笹井醇一中尉が戦死したときの模様が描かれているが、実際はガダルカナルの上空で乗機を落とされて海に沈んでいるのに、負傷しながらもニュージョージア島まで辿り付いて、そこで息絶えたという話の流れになっている。豊田の戦記文学は、結構な潤色があるにしても史実に即したものが大部分であるのに、ここだけ史実と相当かけ離れた内容となっているのは不審である。時期を間違えたか、他の誰かの戦歴と混同したのであろうか?

 

ソロモンでの戦いも然ることながら、3月19日以降の三四三空の戦闘についても余り詳述していなかったのも物足りなさを感じるが、この点については、生き残って証言する人たちが余りいなかったことに鑑みれば止むを得ないかもしれない。著者自身が後書き述べているが、海兵六十八期は、卒業生288名中192名が戦死しているのである。

 

全体の三分の二が戦死した海兵六十八期はソロモン、ニューギニア、マリアナ、フィリピンなどの空と海で現場の指揮にあたったクラスであり、この戦死者たちには、前述の海兵出身者に対する批判は当てはまらないと言ってよかろう。

 

そして、忘れてはならないのが、士官や予備学生出身のパイロットの他に、海軍の予科練、陸軍の少年非行兵といった、言わば「叩き上げ」の飛行気乗りの存在であり、彼等もアジア・太平洋の各地の前線で戦い、多くが「蒼空」に消えていった。その中の生き残りの一人による長文の回想記が、

 

穴吹智『蒼空の河;穴吹軍曹 隼空戦記録』正(1996)・続(2000)、光人社

である。

 

大正十(1921)年生れの著者は、陸軍少年飛行兵第六期生。太平洋戦争中は飛行第五十戦隊に属して、初期は97式戦闘機、後には一式戦(隼)を駈ってフィリピン、ビルマ、インド、中国の空に転戦している。

 

飛行第五十戦隊は有名な第六十四戦隊(=加藤隼戦闘隊)と行動を共にしたり、その任務を継承したりする中で、米英の戦闘機・爆撃機と何度も干戈を交え、多くの戦果を挙げるも、自らも多大な損害を蒙る。昭和17年秋頃から翌年にかけての五ヶ月間に「四十五機中の二十九機が未帰還(正、565頁)」、戦隊に開戦時四十人いた戦闘機パイロットの中で昭和十九年二月当時に残っていたのは四人だけ(続、296頁)という数値に、激戦の様が如実に示されている。その中で著者は「運の穴吹」と呼ばれたと文中で回想している通り、何度か不時着したり負傷したりしつつも生き延びて、この書を残している。

 

「血湧き肉躍る」戦記と言うべきもので、空戦の模様の詳細な記述が多くの地図によって補完されている。そこまで詳しい記録を如何にして残せたのかと訝しがる向きもあるかもしれないが、著者が日記を毎日つけていたこと(続、34頁)、所属中隊の作戦・情報証拠の助手を務めていたがために資料を準備できたこと(続、295頁)が大きな理由であろう。

 

手に汗握る空中戦の記述がある一方で、敬愛していた上官や苦楽を共にした同期生が戦死していった場面には著者の哀感が込められており、また、若手の青年将校や先任下士官の曹長クラスの一部に「こき使われて死ぬのは御免だ」といった厭戦気運があった(正、466頁)といった内部事情も率直に明かしていることも評価できる。

 

この書が語っていることとして今一つ言えるのは、太平洋戦争中の戦闘機同士の戦いが「騎士の戦い」であったということである。墜とした敵機が不時着した現場を見ていて、そのパイロットが這い出てきたのを見て「よかったなあ」と思ったという場面(正、395頁)に象徴されるような「機は撃つが人は撃たない」という漠然とした「パイロット気質」があった(正、297頁)という当時の戦闘機パイロットの心理描写がそのことを窺わせる。空の戦いも殺し合いであることに変わりはないし、「一撃離脱」や不意打ちといった戦法で相手を墜とそうとしたのは間違いないが、このような敵に対する愛惜・同情といった心情が吐露されたという空戦は、とかく残虐行為が目立つ第二次大戦の中で武士道・騎士道精神が発揚された数少ない局面であったと言えるのではなかろうか。

 

以上三著は、体裁としては小説・伝記・自叙伝、主人公の出自としては予備学生・士官・下士官、対象とした部隊が海軍・陸軍、操った機種としては戦闘機・艦攻、従事した任務としては空戦・特攻という異なった観点からの空戦記であり、太平洋戦争の空の戦いを総括するような著作である。