*当シリーズ「二著物語」の趣旨については、「プロフィール」欄を参照されたい。
幕末期に公武合体運動の目玉として将軍徳川家茂に降嫁された和宮について書かれた小説二点について論評したい。
まずは、
有吉佐和子『和宮様御留』、講談社、昭和53(1978)年
40年以上前に出た本で、当時は結構話題になった。それが証拠に、評者(山本)が近くの札幌市南区区民センターで借り出した本は「第二十刷」となっていた。
話題になった理由は、その内容である。時の孝明天皇の異母妹である和宮親子(ちかこ)本人は実は京都に留め置かれて、実際に家茂に嫁入りしたのは別人であり、その過程で、二人の替玉が使われたという筋書きとなっている。
著者の有吉佐和子はそれを史実として受け容れていたようで、後書きで以下のようなことを述べている:
①和宮が東下する際に宿泊した板橋近在の高田村で当時名主であった新倉家の一婦人が「和宮は新倉家で縊死しており、その身代わりとして自分の大伯母が輿入れした。増上寺に葬られているのは本当の和宮ではない」と語った。
②和宮は幼児からの持病のために片足が不自由であったことが記録に残っているが、勝海舟の『氷川清話』には和宮の足が全く健常であったことを示唆する記述がある。更に、昭和三十年代に増上寺に埋葬されている歴代徳川将軍や近親者の遺体の発掘調査が行われた際、和宮の足には異常が認められなかった。
③家茂の棺に納められていた和宮の髪の毛の色と、和宮の遺体の髪の毛の色とが全く違っていた。
しかし、いずれも決定打とはならず、史家・論者は概ねこの説を否定している。
だが、フィクションとして読めば実に面白いのは事実である。
(以下、若干のネタばれがあるので、この書を読んでみたいと思われる方は要注意)
物語は、第一の替玉を主な主人公として進められる。その替玉は、和宮の生母橋本経子(勧行院)の兄である橋本実麗の使用人の一人のフキで、勧行院と和宮御付きの典待などごく少数によって貴族としての生活様式を仕込んだりした上で、江戸へ出発が迫ったある日に本物とのすり替えが巧妙に行われる。だが、東下していく途中でフキは心理的に堪えられなくなって、その役割を果せないことが明らかとなり、その時点で第二の替玉として、板橋近在の高田村の名主である新倉家の娘の宇多絵が選ばれ、フキはその名主に預けられるが、事故で死んでしまう。
読後感としては、途中までは面白かったが第二の替玉が出てきた時点で少し拍子抜けしてがっかりしたと言わざるを得ない。
フキが替玉となる過程の記述は実に詳細で、当時の公家の生活ぶりの説明も興味深く、読者を引き込ませる。だが、第二の替玉となった宇多絵についての記述が殆どないのである。実際に輿入れしたのは第二の替玉だったのだから、そちらの方をもっと詳しく説明すべきであるのに、それが殆どないままに物語りは終ってしまっているのである。
この小説の途中から第二の主人公として登場するのが、東下する和宮に随行する典待として新たに選任された庭田嗣子であり、和宮に仕えていく途中で替玉であることに気が付いたという話の筋となっている。
この庭田嗣子は『静寛院宮御側日記』という記録をのこしているが、それを基にして書かれたのが、
阿井景子『和宮お側日記』、光文社、平成20(2008)年
である。
この物語は、有吉の小生が終った時点あたりから始まる。具体的には、和宮一行が江戸に到着し、和宮が将軍家茂及び前将軍家定の正室天璋院と面会するところからであり、有吉の小説の終結部分を引き継ぐ形となっている。
これが、有吉と同様に「替玉説」を取っていて、今度は江戸城の大奥での替玉の生き様を描くと言うのならば非常に面白かったであろうが、阿井の物語は有吉説には一顧だにせず、本物の和宮が輿入れしたという設定で庭田嗣子の日記の内容を基に話を進めている。
この点で、阿井の小説は史実を忠実になぞったものであるが、その分、読んでいて些か退屈であることは否めない。途中まで庭田日記を書き換えたような話の運び方なのである。さすがに、後半に長州征伐、家茂の死、戊辰戦争の時期の動きを記述する段になると緊迫感が出てくるが、全体として単調な話の流れとなっている。
評価できる点といえば、有吉書と異なり、史実に忠実に話を展開させている点で、幕末史に興味を持つ初心者には、大雑把な歴史の流れを把握するための好著と言えるかもしれない。
また、公家風の生活様式を維持しようとする和宮側と、武家式を主張する天璋院側との軋轢を結構詳しく追っている点は、有吉書が公家の日常生活を詳述していた部分と同様に、その方面に関心を寄せている読者には有益であろう。
ただ、細部で若干の詰めの甘さが目に付いた。例えば、和宮降嫁の背景事情を説明する箇所で、「井伊大老暗殺で権威を失墜した幕府は、親子(=和宮)を迎え、公武一和をはかることで権威を保とうとしていた」と記しているが、実際には、和宮降嫁の話は既に井伊大老の時代に提起されていたのである。よく、「東京初空襲があったからミッドウェー攻略作戦が発動された」と言われるが、実際には、東京初空襲の二週間ほど前にMI作戦は軍令部の承認を得ていたことと好一対である。
史実をなぞって推測・憶測を交えて描く「歴史小説」という分野で言うならば、大胆な仮説を打ち出したのが有吉書、これまで通説として提示されている史実を忠実になぞったのが阿井書ということになる。前者は読みものとして面白いが、史家から反発を招くことは必至。それに対して、後者は読んでいて余り面白みがないが、堅実な内容であり、小説を読みながら知識を吸収できるというのが強みとなる。
どちらを好むかは、個々人で異なるであろう。