Toshiya Ozaki

貧しいから教育が受けられないのか、教育がないから貧しいのか。君ならどう考える?




どちらだろうか・・・

去年の大学のウェルカムキャンプ中、

将来教育に携わりたいと伝えた際に、お世話になった先生に言われた言葉だ。


どちらが先にせよ、結局教育が必要か否かってことが、

この命題の本質であるように思えるけど・・・




資本主義と社会主義。

近年、格差社会がさらに広がりを見せていることがよくニュースで取り上げられている。


勝ち組と負け組。

金持ちと貧乏。

なにがそれらを分けるのか。



はっきりって、私は今、そこまで資本主義が嫌いではない。

というより、社会主義的発想はあまりしっくりこないと云うべきか。


実際、自分自身は見事に格差社会の波にのまれてしまった境遇にあるわけで、

その点では、暮らしが切実に厳しくなる今日の日本経済社会には疑問も持つ。


一方で、そんな社会に対して自分はいったいどれほど貢献をしているのだろうかとも思う。

国家という社会組織を形成している以上、生活の最低水準を保証されることは、

云わば当然の権利である。


同時に、それは国家という社会組織に対して自ら国民として貢献をすることに裏付けられうものではなかろうか。

ともすればいったい、自分は今どれほど貢献をできているだろうか。

自分たちの権利ばかりを必死に訴えている国民のどれほどが、国家に有益な貢献をもたらしているのだろうか。



やっぱ、甘えているだけなのかもしれないな。

確かに資産家や、AIGの幹部報酬問題で米国にても問題視されるように、

資本主義は過度な格差を生み、同時に、

彼らの機会主義を蔓延させるかもしれない。


ただし、これは見方の問題で、

資産家たちの何割が本当にそうした機会主義を取っているのだろうか?

彼らはみんな、機会主義者?


おそらく違うだろう。

メディアに露出しているのはそれこそ一部であって、

逆に規模こそ僅少なものの、

低所得層の方が、よっぽど国民の権利の上に眠るものだろうな。


さらに言えば、自分だって、大学生という社会的地位に甘んじて、

国家資格の勉強を理由に好きな勉強しているわけだし、

本当に社会のために行動しているわけでもないな。



そう考えていくと結局、どんな境遇にあれ、

自分が社会のためになる行動を取り、

その対価として国民の権利を保証してもらう。

これが基本なのかなとも思う。


だから、つまりは、



やれ。




ってことですね。

がんばります。

がんばろう。

みんなが頑張ったら、多少の機会主義者の影響こそ僅少になるでしょ。




はじめの問いの答え。

教育は、国民として、国家のために、国民のために、幸せと繁栄をもたらすために、

資本主義と人間の権利を保障するための手段ではないだろうか。




P.S

Dear my best friend,

You can do it with me.