Bill Clinton
対話を続ける限り、まだ希望はある。
経営学部の基幹授業であるBLもついに二年目に突入しました。
以前に比べ学部全体の意識が高まったのか、学部文化に染められたのか、比較的積極的に発言する人間が増えたうえ、グループ会話の中で気まずくなる状況もない。
前回のBLでは、ロールプレイというビジネスゲームを行った。
結論からいえば、つまらなかったけど、どんなことも学ぶべき事があるようで今回もそれなりに気づけるものがあった。
「対話とは、優位のものが他方の意見を引き出すものである」
「ファシリテーター(司会者に近い)の影響が多大である」
「やはり、リーダーは一人である」
などなど・・・
いま述べた内容には、少し語弊があるけど、追々の説明で。
ロールプレイというのは、一人ファシリテーターを置き、他の人間がテーマに沿って円滑な議論ができるようにいかにコントロールできるかというものだ。
まず、議論の前提としてファシリテーターの役割がはじめから決められていることに疑問を持ちつつも、ゲームを行った。
議題進行中やはり問題が起きた。
議論のレベルが、ファシリテーター<他のメンバー
といった状況になっとき、当然話が息づまる。そこで、他のメンバーがファシリテーターの役割を取って代わってしまう。
もしくは、ファシリテーターに気を使って、積極的な発言が抑制されてしまうのだ。
こんな時、経営学部的発想では、集団はファシリテーターができる人間がどんどんその場においてリーダーシップを発揮すれば良いってことになる。
これは、石川准教授の提唱する「状況的リーダーシップ理論」ですね。
ただ本当にそうなのか?
自分は石川さんの経営と心理の講義から、反対を主張してるんだけど・・・他にも、ロールプレイに対してや、日向野教授、しては学部の主方針に対しての反論でもあるが、要はリーダーシップなんて言葉そのものが怪しい気がしてならない。
さらに言えば、誰もがリーダーシップを持てるなんてありえない。
ずばり、集団においてリーダーは一人しか存在しえない、と思う。
リーダーは、常に集団において相対的に決まるのであって、その段階で集団においては絶対的に一人ではないのか。
また、リーダーの持つ能力をリーダーシップと定義するならば、リーダー自体毎回の集団の中から相対的に発生するわけだから、どうにもばらつきがありとても定義なんてできないだろう。
極端な例。
あるBL班においてフリーライダーたるものがいるとする。
これは、やる気がないだけとかそんな救いのある話じゃなくて、本当にどうしようもない奴だとして。
彼は間違いなくそのBL班においてはリーダーシップを持っていないのだろう。
なぜなら、その班内いおいて相対的に彼が参加できないだけに留まらず、そもそも何をすればいいのかわからないでいるからである。
では、こんな救いようのない彼はどんな場面でも彼はリーダーシップがないのか。彼は、100%リーダーではないと断言できるか。
彼がもし、中学生たちともっと言えば小学生たちと何かイベントを行うとしたら?
彼がまさか、小学生に指示されて、ここでもフリーライダーなんてこと、あり得ないでしょう。。
おそらく彼ながらにイベントを行うだろう。
彼はその集団においてリーダーなんだ!
これって要は、リーダーがその属する集団内において、相対的に発生するということでは?
私は、常に決まった人間しかリーダーになれないなんて言ってるわけじゃない。集団においては常に一人のリーダーしかいないって言ってるだけ。
だから、今の学部のように全員に一斉にリーダーたれというのは違うし、誰もが持てるリーダーシップとかいうものが存在するならばそれはただ、集団の協調性っていう集団倫理感でいかないんじゃないかな。
じゃあ、集団内で相対的にリーダーが自然発生する仕組みってなんだろう。
これについては、BL1の「リーダーシップ持論」のプレゼンでも考えたテーマだったけど、私は個人の持つ「智」の比較によって、智がより優れている人間がリーダーとして発生するのではないかと思う。
「智」ってのは、決して経営学などの単一学問で形成されるものではなくて、生まれてこれまでの様々な経験が積み重なって形成されるものだと思う。
つまり、実学に結び付かないとされる数学や物理、あるいはゲームや漫画・・・ありとあらゆるものを通した経験がそうした「智」になっていくのでは。
今、経営学部でやっているプログラムはどれも、リーダーシップと呼ぶのではなくて、何か新しい学問領域になりうるものであって、リーダー育成のプログラムではないような気がするなぁ。
けど、だからといって今の学部から得るものがないかといったらそれは違う。
やっぱり、とても重要なことを学んでいると思うし、今後の自分に間違いなく良いえ影響を与えてくれると思う。
いずれにせよ、社会に出るまでのあと数年、死ぬまでの数十年、自分の「智」というものをブラッシュアップしていきたいと思う。
まだまだ活字で相手を納得させるだけの文章力が不足しているのが最近よくわかる・・・がんばります。