先月ですが、感性論哲学の勉強会が東京で開催されました。
その時に、「大災害と日本人の進むべき道」ということで
特別例会のレポートをいただきました。
感性論哲学の創始者芳村先生のお話の一部を転載いたします。
下記より転載 ↓ ↓
<天災の意味>
「天災は忘れたころにやってくる」…
天災は「何」を忘れた頃にやってくるのか。
人間が天の意に反する様な状態になっている時に、心を思い覚まさせるために起こり、
人間としての大切な生き方に気づかせるために起こった…という理解が大切。
宇宙のさまざまな現象は、人間の心の持ち方や生き方や在り方と関連し、
重大な事に気付かせよう、目覚めさせよう、悟らせよう、
というメッセージが込められているという受け止め方をしなければ成長しない。
・宗教的な捉え方:
「運が悪かった、運命で仕方がなかった、偶然であった、
その災いから救われる為に人は宗教を求める」
・感性論哲学的な捉え方:
「万事には必ず意味や根拠や必然性があり、そこから何を学び取るかを感じ、
宇宙を「師」とする捉え方」
地震、津波、原発…このトリプルパンチから、
何を学び、どう成長して行くべきか、
を考えることに意味がある。
大宇宙と人間の必然的な繋がりを学問的に捉える必要がある。
<命とは何か>
■ 命を外面的に捉える
宇宙そのものを「命」と捉え、宇宙・自然との関連性の中で生きているという視点が大切。
命とは、肉体の中に宿るという捉え方もできるが、
私たちは「外の世界とのかかわりの中でしか生きられない(水・空気による新陳代謝)」=
命の本質とは「つながり」であることに目覚める必要がある。
今回の震災から、命のつながりの大切さを気づかされ、
「被災された方の何かしらのお役に立ちたい」という思いへつながることが、命の本質。
人間そのものを支える食物を作る方、衣服を作る方…日常生きていくために必要なものを作っている 方がいて、それをまた支えている命がある。
さまざまな外の世界の方との繋がりがあり、全人類の恩恵を受け、共感しながら生きている。
■ 命を内面的に捉える
私たちの命は、単細胞生物から始まり祖先、現在に至るまで、
38億年かけて過去から繋がってきた命の連続性の中で成り立っている。
「因縁」「因果」
・「親の因果、子に報いる」…宿業、宿命など、
過去からの時間的な祖先とのつながりが命の実質を支配させている。(縦のつながり)
・「縁」命は不完全であるが故に多くの人へ与えた傷や罪も自覚しながら、
現在の人間同士の横のつながりも意識する必要がある。
■ 天災は天の教え
大変なことがあっても時が立てば薄れ、元に戻ってしまいがち。
風化させることなく、忘れずに積み重ねていくことが成長へつながる。
大災害は、対立や違いを超えて力を合わせてやっていこうと思える、
新しい時代の在り方を天が教えてくれている。
これを一過性のものにとどめず、全人類が継続的に実践していかなければならない。
どんなことへも力を合わせれば乗り越えられないことはない、という教えを自覚する必要がある。
■ 生死を分ける一瞬の違い…その背後に反映されているもの
震災による命の犠牲を「偶然」と捉えてしまったら、災害の意味がなくなってしまう。
人間には、祖先からつながり遺伝子という形で残された宿業・宿命もある。
過去、祖先(親)が犯した命の罪を償う役を引き受けて迎える死もある。
イエスは不完全な全人類の罪を引き受けて死を迎えた…贖罪。
自分たちが無意識に犯した罪に気づき、内省し、これからの生き方を変えていくという姿勢が大切。
神道の禊(みそぎ):内省し自省し反省する行為。反省=浄化。
■「今」をよりよく生きる
今の行き方によって、過去も未来も変えていく。
「今が過去を支配する」:今の在り方が祖先たちの命をも救うことができる。
■ 災害から学ぶもの
自分の心の中のちょっとした思いも全宇宙に響いている。
その反作用がまた全宇宙に影響し、現象として現れる。
…これが全宇宙とのつながり。
■ 「何が」天意に反しているのか
人間同士の対立(国会、宗教、幼児の虐待、弱者の虐待、戦争…)という醜さに、
宇宙が絶えかねた結果。
力を合わせざるを得ないという状況を与えるための天災という捉え方もできる。
■ 母なる宇宙の祈り
母なる宇宙が生み出した人間が、平和で仲良く信じ合って生きて欲しいと、
宇宙が望む事は当然。
リーマンショックも、全世界が力を合わせて乗り越えて行くよう、
人類に新しい生き方を求めている現れ。
■ 日本人の使命
今回の震災は、明治維新、第2次世界大戦に次ぎ、
「第3の奇跡」としてもう一度、日本人のすばらしさを世界へ示していかなければならない。
日本民族の血に流れる底力を思い出すと共に、かけがえのない命の犠牲にどう応えるか、
その生き方が問われる。