やりたくないことはやらない方がいい。

まず爽やかな気持ちで過ごせなくなる。

そして他人に感謝を求めはじめる。


やりたくてやる。

別に見返りはいらない。

そんな状態で働くことは可能ではなかろうか。

やりたいくてやることは、

人それぞれだ。


とにかく掃除をやりたくなってしまう人がいたとしたら。その人としては、掃除は衝動を喚起するものだろう。いや掃除というよりは、目の前に異物があった時に違和感を感じ、その違和感をスッキリさせる。ただそれだけの感情で動ける人がいたら、それは、やりたくてやっていることと言える。


でも、

なぜか世の中は、掃除に対して、羨ましい権利だと思わない傾向があり、

掃除をしてくれる人は偉いと思いがちだ。


そこがこの世の中の不全感の始まりでなかろうか。



専業主婦の主婦のうち何人かが、

掃除は罰ゲームのようなイメージを流布し、

あたかもその罰ゲームをやってあげている、みたいな雰囲気を出したのが問題だ。


みんなやりたくないことをやってあげているという回被りがなければ、

世の中はよくなる。


やりたくなきゃやらなければいい。

例えば、掃除をやらないで、不衛生になれば、衝動的に掃除をするだろう。

衝動であれば、やりたくてやっていることになるから、

周りに対してどうこう、感謝してほしい、恩を感じてほしいなんていちいち考えないわけだ。


とにかく、

何事も、内発的な動機で動き続けることが大切だ。

自分がやりたくてやった時に、

やりたいことをやるために、周いが自分のためかためじゃないかは別として、

私のやりたいことを加速させてくれるようなアクションをしていたとしたら、

私的には、感謝である。


よく、

親に感謝しようというが、

子供がやりたいことをやる環境を、親が無為に作ってくれていたら、それは幸せなことだろう。

大抵の場合、

親は勉強をさせようとしてしまう。

子供は感謝しない。

親は、子供のためにという意識が強いから、

子供が勉強をしないとイライラするわけだ。

イライラするくらいならやらせないほうがいい。


子供は、

勝手に勉強する。

たとえば、子供がゲームをやりたいという。

やるためには、

どうすればいいか。子供は勝手に考える。



大人はどうか。

やりたくもないのに仕事をしている。

能動的に何かを調べることもない。

でもいまは少し状況がよくて、

やりたくないことは、AIにやらせればいい。


とはいえ、

やりたくないことを頑張る理由は、

なんとなく、組織に所属していないと、不安になるからだ。


そのなんとなくな不安がよくない。

徹底的に具体化して何が不安なのか考えて、

その不安解消が衝動につながり、

具体的な行動に伴えば、幸せだろう。

そこに作為も何もなく、集中して課題の対応にあたれる。

結局暇だから、

不幸せになるのだろう。