生理現象は止められない。
ちなみに、
病院の個室とはいえ、
看護師が熱を測りにきたり様子を見にきたりで、
予期せぬときに入ってくる。
便座に座ったものの、
看護師が来るんじゃないかと怯えつつも、
脱糞。
ふぅー。
すっきりした。
私は痔ロウだ。
ウォッシュレットの存在がないことに、
脱糞後に気づいてしまった。
まずい。
私の肛門は、
いぼ痔がニュルンと出てきている。
ウォッシュレットがあれば、綺麗さっぱり、
肛門を清潔に保てるのだが。。
トイレットペーパーのみだと、
やたらに拭かなければならず、
拭けば拭くほど出血が伴う。
悩んだ末に、
洗面台の横にある少し厚手のハンドペーパーに水分を含ませることで、問題を解決した。
しかし、
トイレから立ち上がる際に、
脇腹の配管、右腕の点滴、これらがベットサイドの手すりに引っかからないように、
身をこなす必要があることにも気がついた。
さらに厄介だったのが、
酸素濃度を測る測定器を常にいずれかの指に設置していなければならない。
指に洗濯バサミのようなプローブを取り付け、そこから配線が伸びて、
ポッケに入るサイズの測定モニターに接続される。このモニターは、発信機にもなっていて、
ナースルームに私の酸素濃度や心拍などの情報が送信されている。
三つのチューブや配線に絡まれるようにされながら、
日常生活を送ったことがないので、多少ストレスを感じた。
でも、そのストレスも、時がたてばなんとも思わなくなるから不思議なものだ。
さて、
脱糞の話はまだ終わらない。
問題は臭いだ。。
臭いものには蓋。をしても臭うものは臭う。
はずかしかったが、
ナースコールでトイレをしたことを伝えると、
完全防護服を着た看護師がトイレの処分をしてくれた。
ちなみに私は、隔離のみである、
この個室には、大きなゴミ箱があり、そのゴミ箱に全てが捨てられて、
ゴミ箱がいっぱいになると、
段ボールにゴミを入れて、バイオハザード的なシールを貼って、処分されていく。
ゴミ箱がいっぱいになるまで、
部屋に汚物がある状態だ。
ゴミ箱の蓋が開け閉めされるタイミングで常に、
部屋が臭くなる。。
空気環境はあまりよろしくなかった。
初めてのトイレで、どのように排泄物が処分されるかをみて、自分でもできる内容だと思い、恐る恐る、自分で処理をしたい旨を伝えると、
別に自分でやっても良さそうだった。
3日目以降はなるべく自分で処分するようにした。
自分の排泄物を見られるのは、かなり恥ずかしい。
老後介護されるとはこういう事なのかもしれないな。なんて思ったりもした。
さて、
夜になると、
思った以上に、
呼吸器内科の病棟は騒がしかった。
とても辛そうな患者さんの声が漏れ聞こえてくる。
俺より確実に大変なんだろうなと思いながら、
眠りについた。
深夜、
安否確認か何かで、看護師さんが何度かきた。
その度に、起きたが、私の部屋に入室するたびに、いちいち看護師さんは防護服を着なければならないことはとても申し訳なく感じた。。
翌朝、
食事をすると、肺の状態を確認するために、レントゲン撮影にいくとのこと。
唯一部屋から出られるとあって、意気揚々とした。
レントゲンに行くだけでも、
隔離対象ということもあり、防護服を着た付き添いの看護師さんがきてくれる。
本当に迷惑な患者だよなと自分が嫌になりつつも、
車椅子に押されながら、レントゲン室に向かった。
レントゲン室に着くと、
技師の方も防護服を着用されていた。
恐縮しながら撮影を受けた。
撮影した結果は、
午後に医師より伝えられるとのこと。
常時どこかしらが痛いので、
ベットに横たわりながら、午後を待った。
医師がくると、
まだ、胸腔内に空気が漏れており、穴も大きいことを告げられた。
外科手術を受け他方が良いかもしれない。
まじか。
と思いつつも。仕方がないよな。
でも、いつまで入院しなければならないのかと、
金銭面の心配事も脳裏に浮かんできた。。
そもそも、
看護師からは、隔離が終わらないと退院できないとも言われた。
気胸で入院したのに、海外渡航のせいで何かの感染症に掛かっているかもしれないから、2週間も病院にいるのはごめんだぜと思い、
看護師に口頭ではなく、
テキストで何を根拠に隔離するのかを明確にするように伝えて欲しいといったが、
そのような書類はないと言われてしまった。
→実際には、全然そんなことはなく、気胸が治ればいつでも退院できる。
その後、
医師にその話をすると、
気胸が治れば、退院できるに決まってますよと言われた。
看護師には、
日々の世話をしてもらって、感謝しているが、
時間の拘束はべつの問題なので、
この病院の隔離に対する認識には不安を感じざる終えなかった。
日々2万円が失われていく状況。
最初は、仕方がないと思ったが、入院2日目にして、何かおかしくないかと不信感が募った。
3日目は、日曜日だったので、診察もないのでひたすらベットで痛いなと思いながら、過ごしていた。
4日目、やはり、肺が塞がる見込みはなく咳をするたびに、空気が漏れている状況が続いた。
担当医に手術をしましょうと伝えた。
ただし手術もすぐには受けられず、
執刀医と手術室の空きが出ないと受けられないとのことだった。
え、2万円が。。。と思い、
担当医に、個室に隔離されるのは、私もされたくてされているわけではないので、なんとかならないかと伝えたところ、
担当医自身も、この制度はおかしいと薄々思っていたようで、
病院に交渉すると約束してくれた。
あ、、手術か。
親知らずの歯科治療歯科受けたことしかない。
どうやら全身麻酔後に、気管に管を通し、その上で、内視鏡を入れて、肺の穴がある部分を塞ぐ手術とのことだ。
まぁ、仕方ない。なるようにしかならない。
と思っていたら、
また担当医が部屋に入ってきた。
どうも、
今日の午後手術室が空いたとのこと。
そこからはとんとん拍子で、
麻酔と外科医の説明を受け、
それぞれのに同意書みたいものにサインをして、
あれよあれよと、手術室に連れて行かれた。
まず最初に、
背中に脊椎麻酔を入れられた。
この麻酔の管を入れるときの感触は、
脊椎と脊椎の間に、針が刺され、その針の先からひんやりと液体が体に流れ込むのがわかるような感じだった。
脊椎と脊椎の間に注射を入れるのは結構な大仕事で、
ベットに横に寝かせられ、
お腹を覗き込むように丸くなり、
背骨と背骨の隙間を大きく開けたところに、ぐりっぐりっと管を突き刺す。
痛みはそこまでないが、不快というよりは不思議な感覚があった。
実はこの麻酔、
妻が無痛分娩するときにしていたので、
妻の大変さが多少なりともわかった気がした。
何事もやってみないとわからないのである。
男には女の出産の辛さは一生共感できないんだろうなと確信した。。
背中に管を通すと、
酸素マスク見たいのをつけられ、
しばらくすると、
大声で「起きて下さい!起きて下さい!」と起こされた。
いつの間にか手術は終わり眠っていたらしい。
やたらとこの時の睡眠は気持ちよかった。癖になりそうなくらい気持ち良い睡眠だった。
個室に戻ってからも意識はもうろうとしていたが、
どうやら5時間程度手術していたらしい。
聞いていた話だと1〜2時間の手術といわれていたので、なんかあったかなと思った。
しばらくすると、執刀医と担当医が部屋に来て、
状況を教えてくれた。
どうも、
私の左肺には、複数の嚢胞があり取れるところはとった。その数は三つとのこと。
嚢胞を取る際に、
肺の組織が弱く、どんどん空気もれをしていましたとニコニコ言われた。
ちなみに嚢胞とは、
気胸の原因となる、肺にできてしまう風船のようなものだ。この膨らみが割れることでそこから空気が漏れてしまう。そして気胸になるのだ。
ニコニコ言われてもと思いながらも、
あなたの肺組織は弱いという言葉が頭から離れなくなってしまった。
良いこともあった、
手術後の個室は、別の病棟になっていて、
その日から個室代を支払わなくても良いということになったのだ。
ナイス交渉。
その晩は、
麻酔がよく効いていて、痛みもなく、正常な状態に思えたが、
時が経つにつれて、咳と痰が止まらなくなってきてしまった。
これはきつい。とにかく苦しい。咳をすると激痛が走る。そして、激痛が走るのでそのうち咳をするのが怖くなり、痰がたくさん貯まるサイクルになる。
そして咳をすればするほど、
脇腹のチューブからは、胸液が出てきており、気持ち悪さを感じるわけだ。
ちなみに、胸液がでるのは普通のことだ、
稀に、濁った胸液や大量の胸液が出る場合があるようだ。それはあまり良くない状況らしい。
濁っている場合は、何か感染してしまっている可能性があるし、大量の場合は、傷口に何か起きた可能性があるからだ。
咳が出て辛い。
さらに深夜3時頃になると、毎晩のように麻酔が切れてしまう。ここからは地獄だ。地獄がいやなのでナースコールをして、積極的に麻酔を投与してもらっていた。
手術後は、脊椎麻酔を刺したままなので、
脊椎からと腕からダブルで痛み止めを体に入れていた。
脊椎麻酔のキキはすこぶる良かった。
もはや快感といった感じだ。
癖になるくらいだった。
痛みから開放される快感は堪らないなと自分のマゾ性に気がつきつつも、
手術をしたのだからすぐにでも退院できると期待しながら、その日は眠りについた。
翌朝、
痛みはありつつも、
呼吸の状態はすごく良いような気がした。
毎朝のルーティンであるレントゲン撮影をすると、
まだ肺は全快していないとのことだった。
担当医とは、
もう少し様子を見ましょうという話になった。
咳がとにかく出てしまい、痰も全く止まる気配がなかった。どうやら、肺の手術した部分が要員で痰が出るようだ。
複数箇所から嚢胞を取り除いていることもあって、
それぞれの炎症を回復させる際に、痰が出るようだ。
咳をするたびに、
容器がブクブクと音を立てているのを聞いて、
まだまだ穴が塞がる気配は無い。
その度に、
げんなりとする。
そんな日々が3日間程度続いただろうか。
トイレの処理も板に付いてきたころだ。
レントゲンの結果が良好とのしんだんをうけた。
翌朝のレントゲン結果も良ければ、
チューブをクランプして、
肺に空気の漏れが無いかを確認するステップに入ることになった。
よしこれで退院できる。最高だ。
深呼吸しても、軽い咳払いをしてもブクブクしない。
なんとかこのまま翌朝のレントゲンまで持ってくれと思いながら。
夜を迎えた。
夜を迎えると、、、
咳がでる。この病院の空調はなぜか、全館空調で、設定温度を変えてもやたら冷える。
それで湿度が下がり、咳が出やすくなる。
なので、
窓ガラスを少し開け、外の湿度を取り込み咳が出ないようにやたらと水分を補給して、夜を過ごしたが、
やっぱり咳が出る。
ブク
おわた。
翌朝レントゲン、
やはり肺から空気が漏れているとのこと。
クランプへのステップは遠いと思いつつも、
確実に肺の穴は塞がっている。
なぜなら、
咳をしてもぶくぶく音が鳴る頻度が明らかに減っているからだ。
しかし、
担当医としては、私が早く仕事に戻りたいと思っていると思っているらしく、
再度、
手術をしましょうとの話が出ていた。
しかし、
医師の言うことよりも、自分がどうしたいかを優先したいと思っていたので、
自分を信じて、あと1週間は自然治癒を目指すと伝えた。
というのも、
もう個室代は取られない。
1週間だけ家族には迷惑を掛けるが、
自分を試してみたいと思った。
一方で、
脳裏に焼きついていた、
外科医がいっていた複数の嚢胞、肺組織の弱さなどに関しては、気になっていた。担当医としても、肺組織についてしっかりと調べるべく、病理検査に検体を出ししっかりと検査するといってくれた。
さらに今回の気胸の原因が、
遺伝性の気胸、つまりBHDの可能性があることも伝えられた。
このbhdは、複数の疾患を併発する場合があるようだ。主に、皮膚疾患と、腎腫瘍を併発するとのこと。
とはいえ、
BHDに関しては、私が入院した大学病院では、診断できないので、専門病院に退院後掛からないとわからないと言われた。
その甲斐あってか、
手術から1週間後無事に、
クランプまで辿り着き、
チューブを抜き取るに至った。
仮に、1週間経っても状況が改善されない場合は、
再手術で肺全体を特殊なシートでカバーする手術をする選択肢があった。
なんだかんだ手術はしんどかったので、絶対にそうなりたくなかったので、
自然治癒の選択肢選んでいてよかったと痛切に思った。
気がつけば、15日間も病院に居た。
最終日は、大部屋に移された。
その大部屋は糖尿病患者の部屋だったようだ。
みなさん本当に大変そうだった。
1人のおじさんがとてもつもなくわがままだったことには辟易し、
コラっと苦言を呈してしまった話は、また今度。