住み慣れた場所を離れるのは、いつもなんともいえない寂寞とした想いに駆られます。
荷物が運び出され、伽藍堂となった部屋に立つと、その部屋に初めて足を踏み入れたときの空気がよみがえり、重なって、一つの流れが終わったような、何とも言えない気分になるのです。
根津に越してから3年。人生で二番目に長く住んだ場所です。
のんびりしていて、散歩する場所に事欠かない、よいところでした。住んでいたマンションの管理人さんが、「いつでも遊びにおいで」といってくれたり、八百屋のおじさんが「こっちの方に来るときはまた寄ってくれな」といってくれたり、離れがたさを感じながらも、また新しい場所での生活が始まりました。
ここ何年か、引越しをするときには、「25回目の引越し」と言っていました。今回初めて、引越し回数を全部数えてみたら、この引越しは30回目でした。
いつの間にそんな数になっていたのか・・・引っ越すたびに、「次は10年くらいここに住むだろうか」とか考えながら住むのですが、毎回、それに到達する前に引っ越しています。
確か高校の時は、自分が持っているものの数を把握していて、持ち物が増えたり減ったりするたびにその数が頭の中で自動的に更新されていたように思います。引越しもずいぶんコンパクトでした。
今は、荷物が多くなりすぎて、持ち物の数を把握するのは不可能に近いです。
今回引っ越して特に重いなあと思ったのが本です。
最近、友人が、持っている本をすべてPDF化してパソコンに入れて旅行するときも持ち歩いていると聞いて、自分もやってみようかと本を手に取ったのですが、使い慣れた本をどうしてもデータにする気になれず、あきらめました。
便利とは思うし、荷物と本棚が激減するわけですからメリットは多いはずなのですが、なぜか、踏み切れないところがあります。
何度となく読んだフラワー・オブ・ライフとか、ヨガナンダ氏の本とか、この辺にこのことが書いてあったな、、と読み始めることが多いので、PDF化するとその感覚がなくなってしまう、と思っているからかもしれません。
本をデータの集積としてとらえればPDF化は容易にできるのかもしれませんが、使い慣れたツールとして認識していると、PDF化は難しいなと感じました。
何か新しいことをすれば、得るところと失うところの両方が必ずあるわけですから、得るところにフォーカスすればあっさりやってしまうのでしょうけれども、どうやら本は、もうしばらく手元に残ることになりそうです。
新居は、広尾になりました。
一軒家でとても静かなところです。
朝は太陽に全身が照らされて目が覚めるので、健康的。
暑いけどそれもまたよし。
6月の後半からずーっと荷物の整理をしているので、いささかそんなモードにも飽きてきましたが、まだまだ荷物の山なので、片付け生活がもうしばらく続きそうです。
サロンの部屋も作らなくてはいけないし、結局削られるのは寝る時間なのですが、毎晩(朝?)のコア・メディテーションのおかげで、3時間睡眠で毎日問題なく機能しています。(宣伝です 笑)
13の月の暦によると、もうそろそろ年の瀬です
今年は自分も、周りも激動の一年だったように思います。
来年はさらに意識が拡大していくような出来事が目白押しなのではないかと、そんな風に思います。