『勉強でいちばん大事なところ』 -18ページ目

『勉強でいちばん大事なところ』

 あなたもワクワクしながら勉強する世界にきませんか?

こんにちは、Kouです。

前回は抽象化の意味や方法をお話しました。

今回はもう少し深く話していこうと思います。

抽象化が徐々にできるようななってきたら、意識してほしいポイントがあります。


それは『シンプルに、汎用性高く』です。


なぜシンプルかというと、長いものは覚えにくいから、そして長いものはまだ削れる余地がある、もしくは、もう1段深い段階で抽象化できるからです。


汎用性高くというのは、しっかりと定義できるが、柔軟で幅広く応用が利くということです。


具体的に言うと、『Aの時はB』と抽象化したとしましょう。


それはシンプルではありますが、汎用性がありません。

「Aaの時は?Abはどうなるの?」と問われ分からないでは意味がないですよね。


世の中にはこういった『Aの時はB』というものが多いです。

受験生にしてみればそれを覚えれば効率的に思えるでしょう。


しかし、

それを覚えても範囲が狭いのであれば意味がありません。

試験では必ずAが出るわけではないからです。

『Aの時はB』『Cの時はD』『Eの時はF』と何個もルールを覚えますか?

それではいつまでたっても自分で考えることができません。


そこで意識するのがはじめに言った『シンプルに、汎用性高く』です。


先ほどの『Aの時はB』では『AaもAbもAcもすべてAに含まれる』そんな抽象化が必要なんです。

『A』は『Aa、Ab、Acのみ、Adは条件付き』のような定義できるが柔軟という範囲を定められることが必要です。


例えば、

数学において『二時関数ときたら判別式を使う』と抽象化したとしましょう。

『二次関数の問題』には『解の個数、解の範囲、定数の限定』などの問題が含まれており、この場合『判別式』を使うことはかなり有効な解き方です。

ですがこの抽象化は実用的ではありません。


方向性が示された程度のものです。

そこではもう少し具体的なレベルでの抽象化が必要です。

例えば『定数の限定ときたら判別式+軸位置+f(a)の正負を求める』としましょう。


定数といっても解の個数、軸位置、切片、頂点に関わるものと様々ありますが、やることは判別式+軸位置+f(a)の正負、これら3つを確認すれば8割方問題は解けると思います。

このようなレベルで抽象化しておき、例外は~な時、~の時は条件付き、などしておけばほぼすべての問題に対応できるでしょう。

その時にはやはり『なぜ?』が分かっていないといけないでしょうし、『何が必要なのか?』『前提条件は何か?』を知らないといけないでしょう。


そのために問題を多く解き、抽象化し、次の問題へ活かす知恵を身につけなきゃいけない。


その問題から何かを学び取る。エッセンスを、真理を学び取る。

ゲームで言えば、これとこれが来たらこうするみたいな必勝パターンだったり、

料理でいえば、冷蔵庫の中にある食材から自分のレパートリーに当てはめたり、

スポーツで言えば、試合の組み立て方、相手の崩し方であったり、そうした『パターンやストック』を溜めていくイメージです。


そうして色々なサンプルを増やしていく、その集積が問題を見極める力を養います。


知っている知らないの知識問題なのか、公式に当てはめれば解ける問題なのか、条件設定から考えないといけないのか、そうした『問題の難易度』が分かってきます。


制限時間内で自分の最高のパフォーマンスをするにはどう時間配分をするのか?

が非常に重要なポイントです。


抽象化を繰り返すことで問題を見極める力がつき、格段に学力は向上します。

頑張って取り組んでいってください。
こんにちは、Kouです。

今回は『抽象化』について。

『抽象化』とは簡単にいってしまえば共通点を抜き出すことなのですが、それだけではまだ言葉の意味が曖昧だと思いますので説明していきます。

うまく言葉にできるかわかりませんが、伝わることを祈って。


例えば、This is a pen. This is a dog. This is a cat.

ここではペン、犬、猫という意味が重要なのではありません。

ペン、犬、猫、これらに共通する『名詞』という要素が重要なんです。


そこで、同じ名前がついたものには共通のルールが成り立つとしましょう。


すると、この文章の~の部分が『名詞』であれば何でも成り立つということになります。

それが分かれば、3つの単語から『名詞』という抽象化によってすべての名詞に当てはまるルールが導けます。


『名詞』という1段高いレベルでまとめることで、一の知識が千にも万にもなるということです。


抽象化に慣れていない人は、『品詞』ではなく単語に執着してしまう。

『 ~ said that・・・」 の ~ 部分は何だっていいわけです。

『~ が・・・を示している』と分かればそれでいいのに、その名詞を知らないからといってそこで止まってしまう。


そして単語の意味が分からないから解けないんだと的外れな見解になってしまう。


抽象化に慣れていない人は一区切りついた所で、つまり?やまとめると?を自問自答するようにするといいと思います。


つまり、問題を解く際には意識するポイントが大切で、

抽象化のレベルや視点を変えることで問題の本質が見えてくるということです。


英語に関して言えば、単語を1つ1つ覚えることではなく、品詞、文型、動詞の使い方、前置詞の持つイメージなど、抽象化するポイントは様々です。

1つ1つの知識を抽象化によって繋げていくことがとても重要です。

それがないと初めて解く問題で分からない単語が出てきた時に、単語の意味が分からないから解けないで終わってしまう。

それではすべての単語の意味を覚えなければ、完璧にはならないということになってしまいます。


もちろん受験で試される単語も、最低限覚えなければいけないものはありますし、出題されるであろう単語をすべて覚えられたら単語の意味では困らないでしょう。


しかし、


難易度が高くなればなるほど、単語の意味をすべて知っていても解けない問題が出てきます。


なぜか?

そのいい例が翻訳ソフトです。

翻訳ソフトで訳を試してみると何を言っているのか分からない文章がでてくることがあります。


我々人類は知識の量ではコンピューターには敵いません。


しかし、

英文を訳し理解する時には、すべての知識を備えたコンピューターよりも僕らは英文の意味を正確に理解することができる。

それが人類の武器である知恵だと思います。

知識の量はGoogle様に任せておけばいいんです。

僕らがやらなければいけないのは、知識を詰め込むことではなく、知識同士を有機的に結びつけること、すなわち知恵を身につけることです。


そこには必ず『抽象化』が必要になる。


犬も猫も『動物』という次元でまとめられるし、今回のように『名詞』としてもまとめられる。


抽象度が高いほど曖昧さを許容するようになり、抽象度が下がればより個別具体的な内容になります。

他の教科でも同じです。

共通する要素はなに?共通するパターンはなに?と抽象化レベルを上げて下さい。


具体と抽象を行ったり来たりできるようになって、初めて自分の力と呼べるものになります。


抽象化を意識して取り組んでみてください。

次回もこの続きを書いていきます。
こんにちは、Kouです。

今回はイソップ童話の一節です。

ある賢い男には息子がいました。

その息子は人から嫌われることが怖くて家を出ようとしませんでした。

その男は息子に「人がどう思うかを気にするのはやめて、自分の心に従うようにしなさい。」と話ました。

そしてそれを分かってもらおうと、父親は息子を連れて何日か市場へいきました。

最初の日、父親はロバに息子は歩いて市場へ向かいました。

すると通行人が「こんな暑い日に子供を歩かせなんてひどい父親だ。」と父親を非難しました。

二日目は息子がロバに父親が歩いていました。

すると今度は別の通行人が「年寄りを歩かせて自分が楽をするなんて親不孝な息子だ。」と息子に言いました。

三日目はロバをひいて二人とも歩いていくと、「ロバは乗るものだと知らないのか。」と人々にバカにされました。

四日目は二人がロバに乗っていくと、人々は「ロバの扱いがなんてひどい親子なんだ。」と二人を非難しました。

五日目は二人はロバを背負っていきました。

すると市場にいるすべての人が彼らを笑いバカにしました。

賢い男は息子に言いました。「わかったかい。何をしようと必ず反対する人はいる。だから人の意見を気にせず、お前は自分が正しいと思うことをすればいいんだ。」

どんなことにも批判はついてまわります。主張が強ければ強いほど大きなものとなります。

周りの意見に従って、世間のなかで生きるのは簡単です。自分の考えに基づいて、孤独のなかで生きるのも簡単です。

しかし偉大な人間は、人々の中にありながら、孤高の精神を完璧な優しさと共に持ち続けています。

「人には分かるはずがない。」と塞ぎ込むのでもなく、「どうせ分かってもらえない。」と開き直るのでもなく、「きっと、分かってもらえる。」と自分を表現していく。

本当にやりたいことならやったほうがいい。自分を知り、自分に誠実に、自分自身の人生を選択したほうがいい。

いきなり大きな選択をするのは抵抗が大きいと思います。だから日々の選択でも、自分がした選択に忠誠を誓う。自分の信念に従っていきる。

AなのかBなのか、どちらでもいいのか、それとも選んでもらうのか?

選んでもらうなら、選んでもらったことに対して忠誠を誓わなきゃいけない。どちらでもいいと言ったのなら、結果がどちらであっても受け入れなきゃいけない。

それがなく、いつも根拠を他人に求めている人はどこか薄っぺらい、人としての深みがありません。

自分への忠誠が自分を形づくり、自信を築き、信念を強化する。そうしてできあがった信念はちょっとしたことでは折れない。

そうして築かれた自信や信念は、人生を左右するほどの大きな選択の際に必ず自分の力となります。

今そうしたものがないのなら、これから築いていけばいい。

いつからだって人は変われる。

日々の自分の選択に意識を向けること、そこから始めてみてください。
こんにちは、Kouです。

今回は問題を解いていて、陥りがちなミスについて話していきます。

問題を解き終わり、答えは出たんだけど「あれ?おかしいな。答えが合わない。」といったことを経験したことがあると思います。

その時に何を考えていけばいいのでしょうか。

ルールと目の前の現象が矛盾する場合、考えられる原因は3つです。


1『ルールが間違っている』

2『現象が間違っている』

3『現象を捉え間違えている』



1つ目の『ルールが間違っている』、これは受験に限ればルールの正しさを疑う必要はありません。

水はH2Oだし、人間は空を飛べないし、この瞬間も地球は太陽の周りを回っています。


ルールがルールとして認められてきたということは過去に何度も検証されてきた結果、確からしいとされているわけです。


少し余談ですが、


現実の世界においては、常識とされていることを疑わないといけない時もあります。

どちらかと言えばこちらの方が多いでしょう。

なぜならみんなよく考えていないから。

常識としてそう思い込んでいることがほとんどです。

考えていればそれだけで世界が違って見えます。


例えば、

中学生はヘルメット着用、高校生はノーヘル。なんで?

みんな高校へ進学する。義務じゃないよ?

二股はいけません。みんなハッピーならいいんじゃない?

葬式は友引には行いません。もはやギャグなの?

「人の勝手でしょ!」どこまでが個人の自由なの?


と、無条件に常識と考えていることは多いと思います。でも考えるって言うのは常識とされていることを深く考えていくってことです。


過去の偉人たちも「なんでこうなるんだ?」「これが正しいとされているけど本当は間違っているんじゃないか?」と当時の常識を疑ったわけですよね?


「そもそも電気ってなんだ?」「本当は地球が回っているんじゃないのか?」「疑っても疑っても疑っている自分だけは確かに存在する。」とかですね。


考えてもらいたいことではありますが、受験に限ればそういうことを深く考える必要はありません。


本題に戻って、

疑うべきは、自分が覚えたルールが正しいのかどうかです。

例えば英語のルールで「不可算名詞には冠詞はつけない」⬅明確な時には不可算名詞にも冠詞をつけます。

数学のルールで「絶対値は必ずプラスで外す」⬅条件によって場合分けします。

物理のルールで「力がつり合う時、物体は止まる」⬅止まるだけでなく、等速直線運動の時も力はつり合います。


このような自分が覚えたルールがすべてに当てはまるのか?それとも条件がつくのか?そもそも覚えたルールは正確なのか?確認してください。


次に2つ目の『現象が間違っている』、これはそもそも問題が間違っているということですが、

これも手作りプリントでないのなら疑う必要はありません。


入試問題はしっかり考えられた問題なので、問題に集中すればいいでしょう。


最後に3つ目の『現象を捉え間違えている』、これが真っ先に疑うべきことです。


問題文の解釈は間違っていないか?


条件をすべてピックアップしたか?


解答が問題の意図に適しているか? 確認してください。


例えば、

英文解釈では「ここを主語と考えて、ここを動詞と考えて、と考えていくと、この動詞はなんだ?」

というのが出てきたり、「動詞として考えていたけどそうすると主語がない」とか矛盾が起きる時があります。


そのときは「この文章はおかしい!」ではなくて、前提が間違っているわけです。


これはこれと思い込んでいることが間違っている。

まずは自分の前提を疑うこと、ここから考えていってください。


以上3つの原因がありますが、現実的には自分の思い込んでいる前提や問題を捉え間違えていることがほとんどです。

矛盾に気づいた時は「それは本当に正しいのか?」を考えてみてください。
こんにちは、Kouです。

今回は『才能』について話していこうと思います。

日常使う『才能』という言葉は、生まれつきのもの、変わることのないもの、という意味で使われることが多いように感じます。

ですが才能というのは、目に見える物ではなく、概念です。ということは考え方次第で言葉の意味は変わるということです。

例えば、リンゴはリンゴであってそれ以上でもそれ以下でもない。リンゴはリンゴであってリンゴという意味以外の意味を持ちません。

ですが才能という言葉は違います。人によってはプラスのイメージを抱く人もいれば、マイナスのイメージを抱く人もいます。才能の定義だって完全には一致しないでしょう。

僕らは無意識のうちに自分で言葉に意味付けをして、言葉を解釈しているんです。

そこで、

今回は『才能』について考えてみたいと思います。

才能が生まれつきのものであるとしたら、努力する意味はないでしょう。

なぜなら、はじめから決められた定量的なものであるのなら、環境による変化はしないということだから。

では逆に特殊な環境下で育つものだとしたら、先天的に生まれ持った要素は関係ないということになります。

そうすると同じ環境下でトレーニングすれば、みんなが同じ結果を得られることになってしまいます。

それもおかしいでしょう。特殊な環境下でトレーニングをしたとしても、僕はボルトのように早く走れる自信はありません。

ということは『才能』は先天的な要素、分かりやすく遺伝子としましょう、その遺伝子と環境とによって構成されているということです。

世界で活躍する人は、人とは違う圧倒的な練習をしてきた人たちです。難関大学を目指している人たちも同じように積み重ねてきた時間と質が違います。

そこに懸けてきた時間や思いが違えば、結果も違うのは当然じゃないですか?

野球の田中将大投手にしても、サッカーの本田圭佑選手にしても、とてつもなくやってきているはずです。

スポーツや芸術と違って勉強は後天的な環境による所が大きいものです。鍛えれば鍛えた分だけ、脳は成長します。

つまり才能というのは持って生まれた遺伝子が環境によって磨かれ、開花したものということです。

だから「私には勉強の才能がない。」「~という仕事の才能はない。」というのは逃げの口実のように聞こえてしまいます。

それはとことんやってみなければ分かりません。そのためには情熱を注げるものでないといけない。だからこそ、取り組むことは好きなことの方がいい。

なぜなら、何よりも継続することが一番大切なことだから。

世の中で結果を出している人の多くは圧倒的に好きなことをやっている人の方が多いです。

前回話したように何かを続けていけば必ず葛藤や壁が生じます。その時に情熱がなければすぐにやめてしまうでしょう。

挫折を味わっても、それでもと前へ進んでいけるかどうかは、その人の思いの強さに依ります。


例えば、


マイケル・ジョーダンも高校入学時には部活の選抜に落第し挫折を味わっています。彼は1度バスケットをやめて、野球選手になり、再びバスケットの世界へもどりました。そして『バスケットボールの神様』と呼ばれるまでになった。


ウォルト・ディズニーもはじめは誰がネズミのアニメーションなんて見るんだとバカにされていた。今やディズニーは世界へ広がり、みんなに愛されるものになった。


アインシュタインも幼少期には言葉が上手に使えず、学習障害とされました。数学だけは傑出していたけれど、それ以外の教科はさっぱりだったんです。それが今や物理の基礎をなす、相対性理論を打ち立てた。


彼らはみな挫折を味わった、それでもやめなかった。それはそこに懸ける思いがあったからです。

その気持ちの核はそれぞれ違うかもしれません。単純に好きとか、楽しい、知りたい、伝えたい、喜ばせたい、関係していたい、といったものかもしれない。


今は分からなくても自分の中にそういった気持ちを探していってほしい、そして人生の一時を切り取って、自分には才能がないとあきらめてほしくありません。


才能は懸けた時間や質、そして思いに比例して開花するものだと思います。自分を磨き種を花ひらかせていってください。