こんにちは、Kouです。
今回は、嫌なことから、すぐに楽な方へ逃げてしまい、何かに本気で取り組めない人へ。
僕ら人間はたいてい、それほど『意思』の力は強くありません。
なにも考えなければ、楽なほうへ行くのは自然なことです。
過去の偉人にしても、現在世界で活躍している人だって、初めからできたわけではありません。日々弱い自分と戦い、惰性を乗り越えてきたんです。
やる気が出ない日々を、やめてしまいたくなる苦難を乗り越えてきたんです。
はじめから意思が強かったわけではありません。
そして意思の力、つまりは自己コントロール能力というのは使えば消費されます。
僕らは日常の小さな選択でさえ意思の力を使っているとされています。
意思の力を使うような我慢をしいた後、アメを与えるという検証で、被験者はより多くの我慢をしいた後の方が多くのアメを要求し、それを繰り返すことで我慢に対する耐性がついたというものがあります。
つまり、筋肉と同じように『意思の力」は使えば使うほど疲れ弱りますし、反対に鍛えれば鍛えるほど強いものになるということです。
そのために部活でも趣味でも勉強でもなんでもいいから、何かやりきったと思える経験をすることです。
部活はもちろん楽しんでやるものですが、きつくてつらいトレーニングだってしなくちゃいけない。それはものすごく意思の力を必要とするし、鍛えることもできる機会でもあるんです。
勉強も同じで、とことん勉強に集中するというのはものすごく意思の力を必要とするし、鍛えることができる機会です。
社会に出て仕事をする時にもつらく、苦しいことは起こります。そこで逃げるか、戦うかは、そういった意思を鍛える経験をどれだけ積んできたかが左右します。
だから、何かに真剣に取り組んだことがある人というのは強い。
ましてや何かを成し遂げた人は自信がある。
その結果、簡単には折れない精神が培われている。
誰だって「よし、やるぞ。」という決意は時間とともに薄れていってしまいます。やめてしまったり、やる気がでない時に、自己嫌悪することはありません。
その時にもう一度「よし、やるぞ。」と決意し直せばいい。
意思が弱いことが問題なのではなく、意思が弱いとあきらめてしまうことが問題なんです。
何もしなければ惰性に流れるのが自然です。人間そんなに強くありません。でも自分の弱さに負けないことができるのも人間です。
川の流れに身を任せていれば、いずれは流されます。サケは頑張って川をのぼっているんだと思いますよ。
何かに取り組むという経験自体が貴重なものです。
「よし、やるぞ。」と繰り返すことが意思の力を鍛えるし、その集積が自分をコントロールする力なんだと思います。
乗り越えよう、今を。
こんにちは、Kouです。
今回は手段が目的になっているという話。
最近はもはや、大学は選ばなければみんな入れる時代になってきています。
学ぶ機会を得られるという意味ではいいことでしょう。だからといって大学へ行けばいいということではありません。
『大学に行くのはあくまでも手段であって、目的じゃない』ということ。
日本が資本主義経済である以上、どんな業種にしろ自分たちの良さを演出するのは自然なことです。
僕らはそんな社会構造の中にいるんだと自覚して下さい。
で、大学も同じように、学生を集めるために演出されているということ。
うちではこんな制度があります、うちはこんな支援をしています、うちでは~の合格率が100%ですよ、などなど、言うわけです。
「うちでは~の資格が100%取得できますよ。」って。
それは確かにその資格がほしい人にとっては魅力的なものだと思います。
しかし、その資格はあくまでも自分が働きたい仕事のための手段ですよね?
その仕事に就くために必要なもののはず。
そして、その仕事をするのも、その仕事を通じて自分が社会になにを成すか?その仕事を通じて人生でなにを成すか?というための手段ですよね?
大事なことは資格はあくまでも手段だということ。
ここを勘違いしてしまうと手段を目的化してしまい、ずっと手段を求めるようになってしまいます。
例えば、
「私は医者になりたい。」ってそれだけじゃ意味がわからない。
なって何がしたいのか?ここが大事っていう話です。
ただただ漠然と『医者』ていうものに憧れて、自分にぺたっと『医者』っていうラベルをインスタントに張りつけても『医者』にはなれない。
小さい頃から医者になりたかった、なったはいいけど特にやりたいこともないし、『治療』っていう行為をしておけばいいか、なんて医者には診てほしくないですよね。
医者という仕事を通じて自分の『存在証明』をしなきゃいけない。
存在証明って言うのは、そんなに重い話じゃなくて、自分が自分であることを相手に示すってこと。
私は~がしたいんです、とか私はこんなことのために仕事していますとか、自分がどんな存在で、どんな未来を思い描いていて、どんなことをやっているのか、ってことを示すということです。
医者になることが目的ではなく、医者になって成すことが目的ということ。
私は医者です。っていうのは、これはペンです。と同じくらいの主張しかしていない。
これはスタイリッシュでかっこいいペンです。のほうがよっぽど主張がある。
だから、
自分が大切にしているものを自覚しようと、自分が大事に思うものを忘れるな、って伝えたい。
もともとはみんなが本来は理想や純粋な気持ちをもっていたはずです。
単純に好きとか、~したいっていう気持ちを。
それなのに、現代ではそれが段々と薄れていってしまう。いつしか『職業』や『仕事』が目的になってしまう。
それは手段が目的化してしまった状態です。本来は目的のために手段があるんです。
純粋な自分が大切にしているものを失わないでほしいと思います。
今回は手段が目的になっているという話。
最近はもはや、大学は選ばなければみんな入れる時代になってきています。
学ぶ機会を得られるという意味ではいいことでしょう。だからといって大学へ行けばいいということではありません。
『大学に行くのはあくまでも手段であって、目的じゃない』ということ。
日本が資本主義経済である以上、どんな業種にしろ自分たちの良さを演出するのは自然なことです。
僕らはそんな社会構造の中にいるんだと自覚して下さい。
で、大学も同じように、学生を集めるために演出されているということ。
うちではこんな制度があります、うちはこんな支援をしています、うちでは~の合格率が100%ですよ、などなど、言うわけです。
「うちでは~の資格が100%取得できますよ。」って。
それは確かにその資格がほしい人にとっては魅力的なものだと思います。
しかし、その資格はあくまでも自分が働きたい仕事のための手段ですよね?
その仕事に就くために必要なもののはず。
そして、その仕事をするのも、その仕事を通じて自分が社会になにを成すか?その仕事を通じて人生でなにを成すか?というための手段ですよね?
大事なことは資格はあくまでも手段だということ。
ここを勘違いしてしまうと手段を目的化してしまい、ずっと手段を求めるようになってしまいます。
例えば、
「私は医者になりたい。」ってそれだけじゃ意味がわからない。
なって何がしたいのか?ここが大事っていう話です。
ただただ漠然と『医者』ていうものに憧れて、自分にぺたっと『医者』っていうラベルをインスタントに張りつけても『医者』にはなれない。
小さい頃から医者になりたかった、なったはいいけど特にやりたいこともないし、『治療』っていう行為をしておけばいいか、なんて医者には診てほしくないですよね。
医者という仕事を通じて自分の『存在証明』をしなきゃいけない。
存在証明って言うのは、そんなに重い話じゃなくて、自分が自分であることを相手に示すってこと。
私は~がしたいんです、とか私はこんなことのために仕事していますとか、自分がどんな存在で、どんな未来を思い描いていて、どんなことをやっているのか、ってことを示すということです。
医者になることが目的ではなく、医者になって成すことが目的ということ。
私は医者です。っていうのは、これはペンです。と同じくらいの主張しかしていない。
これはスタイリッシュでかっこいいペンです。のほうがよっぽど主張がある。
だから、
自分が大切にしているものを自覚しようと、自分が大事に思うものを忘れるな、って伝えたい。
もともとはみんなが本来は理想や純粋な気持ちをもっていたはずです。
単純に好きとか、~したいっていう気持ちを。
それなのに、現代ではそれが段々と薄れていってしまう。いつしか『職業』や『仕事』が目的になってしまう。
それは手段が目的化してしまった状態です。本来は目的のために手段があるんです。
純粋な自分が大切にしているものを失わないでほしいと思います。
こんにちは、Kouです。
今回は、以前テレビでも紹介されていたアンソニーロブレスさんのスピーチをシェアしたいと思います。
彼のように戦っている人がいると思うと、勇気をもらえると思います。
僕らは弱い自分と戦っていかなきゃいけないし、最後にはそんな弱い自分に勝たないといけない。そう思います。
以下に紹介するのは、
アメリカの大手スポーツ専門局ESPNが主催するスポーツ選手に贈られる年間表彰式で2つの賞を獲得した際のスピーチです。
<ここから>
Every soul who comes to earth with a leg or two at birth must
wrestle his opponents knowing its not what is, but what can be
that measures worth. Make it hard, just make it possible and
through pain, I wont complain. My spirit is unconquerable. Fearless
I will face each foe for I know I am capable. I don’t care whats
probable, through blood sweat and tears I am unstoppable.”
-Anthony Robles-
この世に生を受けた人間は脚が1本であれ 2本であれ
困難に立ち向かわねばならない
どう生まれたかではなくどれだけ価値のある者になれるか
たくましくあれ可能性を高めよ
そのために痛みが伴おうとも私は不満をこぼす事はないだろう
私の魂は屈する事はない
どんな敵に立ち向かおうとも恐れる事はない
私は自分の可能性を知っているから
<ここまで>
興味がある方は調べてみて下さい。
『アンソニーロブレス』で調べれば出てくると思います。
今回はこれで。
今回は、以前テレビでも紹介されていたアンソニーロブレスさんのスピーチをシェアしたいと思います。
彼のように戦っている人がいると思うと、勇気をもらえると思います。
僕らは弱い自分と戦っていかなきゃいけないし、最後にはそんな弱い自分に勝たないといけない。そう思います。
以下に紹介するのは、
アメリカの大手スポーツ専門局ESPNが主催するスポーツ選手に贈られる年間表彰式で2つの賞を獲得した際のスピーチです。
<ここから>
Every soul who comes to earth with a leg or two at birth must
wrestle his opponents knowing its not what is, but what can be
that measures worth. Make it hard, just make it possible and
through pain, I wont complain. My spirit is unconquerable. Fearless
I will face each foe for I know I am capable. I don’t care whats
probable, through blood sweat and tears I am unstoppable.”
-Anthony Robles-
この世に生を受けた人間は脚が1本であれ 2本であれ
困難に立ち向かわねばならない
どう生まれたかではなくどれだけ価値のある者になれるか
たくましくあれ可能性を高めよ
そのために痛みが伴おうとも私は不満をこぼす事はないだろう
私の魂は屈する事はない
どんな敵に立ち向かおうとも恐れる事はない
私は自分の可能性を知っているから
<ここまで>
興味がある方は調べてみて下さい。
『アンソニーロブレス』で調べれば出てくると思います。
今回はこれで。
こんにちは、kouです。
今回はなにが価値的かという話。
なにが価値的か、という考えの中に『希少性』というものがあります。
これは、そこでしか手に入らない、世界でたった1つしかないみたいなものです。
これを人について言えば、その人にしかできない、その人でなければダメ、といった『なくてはならない人』ということです。
これは、19世紀のフランスでの話なのですが、
19世紀、フランスの大統領が、ある大富豪の晩餐会に招待された。
行ってみると、大統領の席順は、なんと16番目だった。
来賓の1人が主人に理由を聞くと、主人はこう答えた。
「この席順は実質的に偉い人の席順です。本当に偉い人とは、その人でなくてはならない、代理のきかない人のことです。」と。
1番目の席に座っている人は、世界一の技師であった。
世界でたった1人だけ、その人にしかできない技術を持った技師であった。
2番目も3番目も同じように。
そして16番目の大統領は、他の人でもできる、というのであった。
というお話です。
仕事の価値は役職や職業名のような『ラベル』で決まるのではありません。
その人にしかできない、その人だからこそできる、その人の『実質』の部分で決まる。
現代では価値観も多様化し、職業も様々なものがあります。そのために反って、何をやったらいいのかが分かりにくくなっている。
『好きなこと』を仕事にすることもあるだろうし、やっていくうちに『好きな仕事』になることもある。
これから『求められる仕事』という視点から仕事を考えることもできるし、新しく仕事を創ってしまうという考えもできる。
はじめから、これだって言うものと出逢えている人もいるし、出逢えていない人もいる。
出逢えているのなら、それは幸せなことだと思います。
もし今それに出逢えてなかったとしてもいつかは出逢えます。
出逢うためには、自分を磨いていくこと。
全力で、主体的に、前のめりで勉強に向かっていく、仕事に向かっていく。その瞬間に全力を込める、そんな意気込みで向かっていくことが大切です。
どんなことでも、継続なくして『人にはできないことができる』にはならない。
継続するためには、やはり『好き』という要素があったほうがいいのだと思います。
今回は『希少性』という視点で話してみました。仕事を考える際に役立てて下さい。
今回はなにが価値的かという話。
なにが価値的か、という考えの中に『希少性』というものがあります。
これは、そこでしか手に入らない、世界でたった1つしかないみたいなものです。
これを人について言えば、その人にしかできない、その人でなければダメ、といった『なくてはならない人』ということです。
これは、19世紀のフランスでの話なのですが、
19世紀、フランスの大統領が、ある大富豪の晩餐会に招待された。
行ってみると、大統領の席順は、なんと16番目だった。
来賓の1人が主人に理由を聞くと、主人はこう答えた。
「この席順は実質的に偉い人の席順です。本当に偉い人とは、その人でなくてはならない、代理のきかない人のことです。」と。
1番目の席に座っている人は、世界一の技師であった。
世界でたった1人だけ、その人にしかできない技術を持った技師であった。
2番目も3番目も同じように。
そして16番目の大統領は、他の人でもできる、というのであった。
というお話です。
仕事の価値は役職や職業名のような『ラベル』で決まるのではありません。
その人にしかできない、その人だからこそできる、その人の『実質』の部分で決まる。
現代では価値観も多様化し、職業も様々なものがあります。そのために反って、何をやったらいいのかが分かりにくくなっている。
『好きなこと』を仕事にすることもあるだろうし、やっていくうちに『好きな仕事』になることもある。
これから『求められる仕事』という視点から仕事を考えることもできるし、新しく仕事を創ってしまうという考えもできる。
はじめから、これだって言うものと出逢えている人もいるし、出逢えていない人もいる。
出逢えているのなら、それは幸せなことだと思います。
もし今それに出逢えてなかったとしてもいつかは出逢えます。
出逢うためには、自分を磨いていくこと。
全力で、主体的に、前のめりで勉強に向かっていく、仕事に向かっていく。その瞬間に全力を込める、そんな意気込みで向かっていくことが大切です。
どんなことでも、継続なくして『人にはできないことができる』にはならない。
継続するためには、やはり『好き』という要素があったほうがいいのだと思います。
今回は『希少性』という視点で話してみました。仕事を考える際に役立てて下さい。
こんにちは、Kouです。
今回は志のある人生について。
志のある人生を生きるために努力していく。勉強とはそうした技能や人格を磨き、高めていくために必要なことなんだと思います。
とある日本の青年ビジネスマンの話。
ある日本の青年が南国の島にいくことになった。
彼は小さな頃から一生懸命勉強し、大企業に入社した、いわゆるエリートである。
彼が初めて訪れたその地では、少年たちは昼間からのんびりと砂浜で寝転んでいた。
それを見た青年は「昼間から寝ていないで、学校にいってちゃんと勉強しなさい。」と少年たちに言った。
すると少年たちは「何のために学校へ行かないといけないの?」と尋ねた。
「それは、学校へ行ってしっかり勉強し、いい成績をとるためだ。」
「いい成績をとると、どうなるの?」
「成績がよければいい大学に入れるじゃないか。」
「いい大学に入って、どうなるの?」
「いい大学に入って勉強し、卒業したらいい会社に入れるし、給料も高くなるし、成功できるじゃないか。」
「それから?」
「そしたら、いい結婚もできるかもしれないし、いい家に住み楽しく暮らせるだろう。」
「それから?」
「定年までしっかり働き、子供もいい学校に進学させる。子供たちが成人したら、どこか暖かいところで毎日のんびり暮らすのさ。」そう言うと、
少年たちは、「そんなこと、今僕たちがやっていることじゃないか。」と言って笑った。
要するに、人生の目的は何かってこと。
人生の目的が『楽に暮らすこと』、社会で思われている『成功した暮らし』であるのなら別に学力はいらないし、どこか南島で暮らしたらいい。
先ほどの青年は心の底からそういう人生を歩みたいと思い、努力してきたのならそれはすばらしいことです。
しかし、それがメディアによって作られた『幸せ』であったのなら、幸せにはなれない。
いい学校へ行き、いい会社に入り、いい役職につき、と先を追っていっても幸せにはなれない。
何のために学ぶのか、何のためにお金が必要なのか、何のための人生なのか、そこがなければ幸せにはなれない。
勉強の目的も有名大学に入ること、一流企業に入ること、にあるのではない。
そこで何をするか、自分を高め、社会と交わり、どんな価値を作っていけるのか、ここにある。
自分にしかできないことを果たすために生きてほしい。
そのためには志がいる。
それを果たすための力がいる。
技能も人格も磨いていく、そのための勉強だと、そのための努力だと思います。
志のある人生を生きていってほしいと思います。
今回は志のある人生について。
志のある人生を生きるために努力していく。勉強とはそうした技能や人格を磨き、高めていくために必要なことなんだと思います。
とある日本の青年ビジネスマンの話。
ある日本の青年が南国の島にいくことになった。
彼は小さな頃から一生懸命勉強し、大企業に入社した、いわゆるエリートである。
彼が初めて訪れたその地では、少年たちは昼間からのんびりと砂浜で寝転んでいた。
それを見た青年は「昼間から寝ていないで、学校にいってちゃんと勉強しなさい。」と少年たちに言った。
すると少年たちは「何のために学校へ行かないといけないの?」と尋ねた。
「それは、学校へ行ってしっかり勉強し、いい成績をとるためだ。」
「いい成績をとると、どうなるの?」
「成績がよければいい大学に入れるじゃないか。」
「いい大学に入って、どうなるの?」
「いい大学に入って勉強し、卒業したらいい会社に入れるし、給料も高くなるし、成功できるじゃないか。」
「それから?」
「そしたら、いい結婚もできるかもしれないし、いい家に住み楽しく暮らせるだろう。」
「それから?」
「定年までしっかり働き、子供もいい学校に進学させる。子供たちが成人したら、どこか暖かいところで毎日のんびり暮らすのさ。」そう言うと、
少年たちは、「そんなこと、今僕たちがやっていることじゃないか。」と言って笑った。
要するに、人生の目的は何かってこと。
人生の目的が『楽に暮らすこと』、社会で思われている『成功した暮らし』であるのなら別に学力はいらないし、どこか南島で暮らしたらいい。
先ほどの青年は心の底からそういう人生を歩みたいと思い、努力してきたのならそれはすばらしいことです。
しかし、それがメディアによって作られた『幸せ』であったのなら、幸せにはなれない。
いい学校へ行き、いい会社に入り、いい役職につき、と先を追っていっても幸せにはなれない。
何のために学ぶのか、何のためにお金が必要なのか、何のための人生なのか、そこがなければ幸せにはなれない。
勉強の目的も有名大学に入ること、一流企業に入ること、にあるのではない。
そこで何をするか、自分を高め、社会と交わり、どんな価値を作っていけるのか、ここにある。
自分にしかできないことを果たすために生きてほしい。
そのためには志がいる。
それを果たすための力がいる。
技能も人格も磨いていく、そのための勉強だと、そのための努力だと思います。
志のある人生を生きていってほしいと思います。