アカウンタブル(主体性)な行動とそうでない感情が同居可能 | Core Infinity Views

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『原点』を一緒に創るコーチ 若狭 喜弘 の視点を記します。

昨日、京都チャプターの仲間との雑談の中で。

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(そのメンバーの話)
アメリカに行って学んだのだけれど、
その時、ワークショップのファシリテーターをするときがあった。

日本のように指名しないと意見を言わないということはなく、
質問の時間とも言っていない時にでも
挙手して発言を求めてくる。
それの一人や二人ではなく、かなりの人数。9割以上かも。

で、その意見には「自己主張」はある。

けれど、「自分の責任の下で話そうとする内容が起こったのだ」
とはならず、
「ほかの人のために、こんなことになった体験がある」
と、『他責』の意見が多いらしい。

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今僕は、

「主体性」
「自主性」

が本人にあることに、本人に許可をいかに出してもらうか
をテーマにしている。

(「自主性を持たせ、主体性を持った行動や発言をさせる」
 という言い方は、
 結局、その本人に「自主性」「主体性」が無いことを前提に
 「命令してでも」持たせる、
 という訳の分からない状況を生み出すので、
 表現はともかく、
 「本人自ら」を念頭に置いた言葉で書いた)

一応、

   accountability=主体性

とするが、

「自己責任のない主体性」

ってどうなのかな、と思う。
もちろん、「方便」「練習」ではあるので、
行動から変えていくのは方法として間違っていないのだが。

『主体性がある発言姿勢、表現方法』
『主体性がある感情、判断、伝えたい言葉』

この間には、違いがある。

コミュニケーションのトレーニングしている人は、前者をできるんだ。
で、テクニックとして後者を上手に隠そうとするんだ。
例えば、ポジティブな表現を使ったりして。