「四十にして惑わず」から「四十になったら、できた限界を越えよ」へ | Core Infinity Views

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『原点』を一緒に創るコーチ 若狭 喜弘 の視点を記します。

『プロに論語 第2回 イントロ・その2
 http://www.mishimaga.com/pro-rongo/002.html 』


に興味深いことが書かれていました。

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論語の中で孔子は

  「四十にして惑わず」

と言っています。

でも例えば、「惑」という字は当時は存在しなかったとか。
なので当時あった漢字で書き直す作業をしたら
孔子が本来言ったであろう意図が見てきたようです。

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 すなわち「或」とは、境界線を引くことによって、ある場所を区切ることをいいます。分けること、限定することです。となると「不惑=不或」とは、「自分を限定してはいけない」という意味になります。

 人は四十才くらいになると「自分はこんな人間だ」と限定しがちになる。「自分ができるのはこのくらいだ」とか「自分はこんな性格だから仕方ない」とか「自分の人生はこんなもんだ」とか、限定しがちになります。

 「不惑」とは、四十才くらいは「そういう心の状態になるので気をつけなさい」、「四十才こそ自分の可能性を広げる年齢だ」という意味になるのです。

(リンク先より引用)
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当時と今と、人の余命は違うかもしれませんが、
こちらの解釈の方が正しいように思えます。

 『人は40歳くらいになると、
  「自分の人生はこんなもんだ」などと自分を限定しがちになる。
  「40歳こそ自分の可能性を広げる年齢ですよ」
  「四十になったら、できた限界を越えよ」

今はこれが、50歳、60歳でも当てはまるでしょう。


さあ、あなたには、どんな可能性を広げていきますか。