「先生」と呼ばれて | Core Infinity Views

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『原点』を一緒に創るコーチ 若狭 喜弘 の視点を記します。

Teacher_009 / tim_ellis
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先生と呼ぶから生徒になる。
先生と自称するから先生になる。
先生と呼ぶことで、呼びかけた人の学びが大きくなるのであれば、それも一つだろう。

でも、先生臭さが身についてしまったら、よくないだろう。


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【解説】
●先生と呼ぶから生徒になる。

 「先生」と呼ぶと、自分の可能性、上限がその「先生」レベルになる。
 あなたは、もっともっと可能性のある存在です。


●先生と自称するから先生になる。

 「先生」と自称することで、責任を引き受ける。
 でも、「先生」は「教える人」で、「先生を超える人を育てる人」ではない。


●先生と呼ぶことで、呼びかけた人の学びが大きくなるのであれば、それも一つだろう。

 「先生」と呼ぶことで、「生徒」が肩の荷を軽くして学びやすくなる、というのはある話。
 「先生」と呼ぶことで、「その人」との関係を馴染みのあるものにして、学びに集中することはできるだろう。
 けれど、かつての「先生」-「生徒」の関係以上の学びを得ることができない。


 「学び」というのは、想像以上に主体的なもので、身近な例から考えてしまうもので、自分の責任に直面するものである。
 だから、とても苦しい。
 でも、だからこそ、学ぶ意味を理解できるし、自分の生活や生き方に役立てることができる。


 最後に。

●でも、先生臭さが身についてしまったら、よくないだろう。

 「先生臭さ」からイメージされるものは?
 偉そう、「教える」立場、何でもわかっている風

 学びのレベルは下がるよね。

 でもそれは、いわゆる「先生」側の問題だし、「生徒」側の問題。
 「学ぶ」ってどういうことか、知らないだけ、体験したことがないだけなんだ。