ディベートとダイアログ | Core Infinity Views

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『原点』を一緒に創るコーチ 若狭 喜弘 の視点を記します。

 敗戦の日にあたり、国内も国外も、
 「私が正しい」と思い込みの評価だったり、捏造した事実だったりして、
 「今を生きる私たちの対話」ができないのは相手のせいだと言いあっているのを見て。

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 どちらが正しいか、自分が勝者になるよう、相手の言い間違いや小さなミスをあげつらって議論するディベート(討論:debate)

 相手の言葉に触発されて、双方が出し惜しみせずに新しい発想を出し合い、重ね合うダイアログ(対話:dialogue)


 私は、対話をしたい。

 少しに言い間違いをしないようにと、注意を払って小声で話すよりも、
 付け込まれないようにと強い口調で言い放つよりも、

 小さな気付きを共有したい。
 それを尊重しあえる仲間でありたい。

 そんな気付きを生み出せる場を持っていきたい。

 間違っていたっていいじゃないか。
 終わった後で、その途中で検討して、
 次に別の方法を選べばいいんだから。

 対話は対話だけれど、
 対話は、試行、チャレンジの行動とセットです。

 私は対話の場を応援します。


 小学生を見ていると、
 ちょっとしたいたずらや仕返しが、だんだんエスカレートしていきます。
 相手の身体を傷つける危険なことをやろうとします。

 最後は、

    「僕の方が痛かった」
    「僕の方が10倍された」

 と、被害の程度を言い合います。

 この現実を作っているのは、私なんだ。そう、あなたなんだ。
 100%の被害者なんてない。
 生きている限りは、相手が被害者の面も必ずある。

 だからといって、そこで黙るのではなく、
 より良い今を作るために対話をするんだ。

 自分の正しさを主張しあっているのだと、
 主語と理由をあいまいにしたまま
 「被害者は私だ。私は悪くない」
 と言っている、どこかのバカな大人たちと一緒だ。

 と、子どもたちを見ていて思う。

 一度、お互いが相手の立場になって、ディベートすればいいんだ。

 それをすると、武装した「ビリーフ」や「価値観」が緩む。

 その上で、対話をしましょう。
 私たちは、子どもたちのモデルになりましょう。