昨日は、大変でした。

先日、当社の社長の片桐健二がNHKさんから取材されて全国放送で2度も再放送されたばかりで、その反響にコレコーレ店では、騒動が連続していたにもかかわらず‥

またもやのテレビ取材!!

今度は、片桐ではなくコレコーレの店の取材と言うことで、東京からアナウンサーが自ら取材に来ると言うのである。
しかも、今度は、NHK総合テレビ(11月19日の夜10時50分~11時50分)の番組で全国放送とのことことであった。

しかし、コレコーレの店は、以前の反響やそれまでの取材の反響が続いており、とんでもない状態になっていたのでした。

店の状態は、取材どころではなく、早速、事態を調整する為の大騒動へと大騒ぎになりました。

とてもじゃないけど現在のコレコーレは、全国放送に流されることが可能な状態の可能な店になっていないのでした。

テレビ塔近くへ支店を移転させる為に閉店させたことから発生した大量の商品移動のしわ寄せ状況だけでなく、コレコーレ店が17ヶ月連続で取材されてきた状況の中で、物々交換の為に持ち込まれた品々が重なりまさに大量商品状態でパンクになっているのでした。

そのすごさは、先々月より、あまりの入荷のすごさに、倉庫も何もかも一杯状態で、一時的に、特別強化ブランド以外は、受け入れをストップにさせて頂くと言う非常事態になっていたのです。

しかし、その後もNHKさんの再放送が全国放送で2回も連続しての放映と言う結果も重なりになり、絞り込んだ特別強化ブランドさえもが、さらに大量入荷してくるような状況になって、コレコーレ店は、商品満腹のパンク状態で店は所狭しと商品が溢れ出ている状態で‥

さぁ~どうしようというあんばいでした。

しかし、困窮したときには必ず救世主が不思議と次々と現われてくるのが今までのコレコーレの不思議なところです。

まず救世主の第1弾は、トリアンナーレに参加していたアーチストでした。第2弾は、ご主人が私と30年以上前から付き合いのある人物の奥様で、しかも首相もお忍びで訪問してくると言う名古屋の知る人ぞ知る隠れ家の有名店専属の空間デザイナー兼服飾デザイナーの人物。
第3弾は、テレビにも頻繁に出ていたDNKYの有名マヌカンで最近話題になっているファション誌も手がけている人物。

私が30年以上前に、洋服屋の雇われ店長として始めてアルバイトとして採用したとてもバリバリの人物で、その後もファッション業界に関わり続けている有能な業界のお局からも援助があり、、

なんとかテレビに出る体裁を整えての店作りを追い込むまでには出来上がってきていた。

すると、NHKさんからは、テレビに出ても良いというお客様を用意できませんか?

連続17ヶ月の取材で無理を聞いてくれる方にも限度がある中で時間も無いと言う状況で、どうしたものかと思案していると‥

これも不思議で、偶然にも、来店してくれていた開店当時からのお付き合いだけでなく「哲学カフェ」の発起人にも名を連ねて実際に参加してその博学振りで多くの学びを与えてくれていた建築家の方が快く承諾してくれたのを皮切りに、美術品の有名コレクターで自宅にも私自身が伺ってコレクションを見させて頂いているお客様や、超名門の博士号とバレリーナという美の表現者という側面を持ち合わせる容姿端麗、彩色兼美のお嬢様等などが、

なぜか次々と了解を頂けると言うありえない奇跡がまたもや起きたのです。
驚きの快諾が各スタッフとお客様との会話の中で成立して行く中で、今度は多すぎるので精々4人までに減らして頂きたいとの申し出が出る状態になってしまった。
そこで、今度は快諾頂いたその外の方々には、丁重なお断り対応する事態となり、またもや大騒ぎになったのである。

なにやら、やたら騒々しい状況で、昨日の本番の取材が始まりました。

しかし、どうも今回の取材は、大臣級の進退問題が紛糾する事態への雲行きで、大幅なカットが予想される事態にもなってきてるようである。

失言問題は、想像以上に大きな進展へと発展しそうな勢いである。

前回のNHKさんの取材も史上初のペイオフ発動と言う大事件となった大銀行の倒産とばっちりかち合ってしまい、私が高級洋装店を経営していた頃からの長年の交際になっている名古屋財界父上の大切な嬢様の自宅へ訪問するという予定のわずか30分前になって、事件が発覚してドタキャンするというハプニングを経験したばかりである。

今回も、やはり予定が危ぶまれる状況になっていそうである。

報道ニュース枠の特集扱いは、信憑性が高く,特にNHKさんは、抜群の信頼度があるが、ニュース枠である以上は、事件とのバッティングだけは、どうしようもないことである。

私も最後にアナウンサーからインタビューされたが、使われる時間枠が残されるのか怪しい状況であった。

そこで、私のインタビューの分は、カットしてお客様の取材を優先してという展開へと話を進めてという昨日の取材となった。

さて、どのように料理されるのか?

おそらく前回のNHKの内容とは、大きく異なる状況になりそうである。

ただ、今回の注目は、ラストエンペラーの身内だった方が当店の常連として登場する可能性があるのでどのような応答なのかが楽しみでもある。

先日、「笑っていいとも」のラジオ版のようになっている芸人ひとみちゃんがパーソナリティーをしている番組で、約50分ほど話しぱなしになる番組に紹介を受けて出た。
その時に私を紹介してくれたのが、大正ロマン・昭和モダンを切り口に注目されている浅草の蛍堂のご主人からだった。

リレーが続くことを要望されていたので誰が良いのか考えてみた。
物々交換を面白がる人にはとてもユニークな人が多い。
特に私が通信業やファション業界での成功の果てに、全てをやめて物々交換を始めた馬鹿さ加減への興味も手伝ってかとんでもない人物達との交流が増え続けている。
結局、ただ有名人を紹介するよりも中身の濃い人物を紹介しようと言うことになり、「実は脱ぐとすごいんです。」ではなく「実は生き様がすごいんです。」という人物が良いだろうということになり、当店の顧客の中からえり抜きの生き方をしてきている人物、日本を代表できるような怪物2人と、コレコーレの歴史を作ってくれた恩人お一人であり、とても美形で素敵な生き方を全うしている憧れの女性社長を紹介しようとしていた。

本当は、ロータリークラブ会長などの公職を兼務している私や私の会社の「幕賓」と呼べる貴重な人物や、弁護士会の会長職を担っている歴戦研磨の当社の顧問弁護士も検討したのだがマスコミに出ることは、硬く辞退されてしまっていた。

ひとみちゃんからは、日本で初の完全オーダーメイドの車のメーカーを作り上げた人物や、シルクロード北ルート3000キロを歩いて渡ったり,南極の温泉に入りに行ったという怪物的な老人を私が番組に紹介しようという申し出に強く興味をもたれたのだが、その怪物達に負けていない女傑にも興味を持って頂いていた。

誰から紹介しようかと話し合っていたが、

天下の名声を轟かせる盛田さんが化粧品会社の社名の名付け親ということや、次々と判明してくる財界人脈の幅の広さと奥の深さが尋常でなさそうな理由にも興味が強く沸きだし、この際ラジオで明らかにさせてしまおうという目論見もあって先に出演していただくことになった。

番組の前宣伝にHPで写真を掲載しておきたいというひとみちゃんの申し出もあり、最近お気に入りのトルコ料理店に事前紹介のチャンスを作った。話が盛り上がった後、アンティーク美術館のような自宅に出向き写真撮影を行ったのだが、ひとみちゃんと非常に話が盛り上がり、優先的にその美人経営者を番組で紹介することが決まった。

ちょうどその美人経営者は、大須演芸場でもひとみちゃんを見ており会話が弾みやすいことも理由になったが、とてもいい感じの会話の進展状態がさらに弾んでようである。

実際、本番での進行状況は、とても滑らかでウイットが聞いていてとても面白かった。
冒頭でその美人経営者の同級生が「送り人」の監督であったことがわかりびっくりの切り口から様々な引き出しから面白い会話が次々と出てくる状態であった。

しかし、その番組の渦中で突然、耳を疑うような内容が、その化粧品会社の美人経営者から言葉が出た。

「片桐さんは、ちっともハンサムじゃないし‥」

てっきりいつものいじり会話がオンエアーされるのかと聞いていた。
すると、めいっぱい私を落としにかけたあとに‥

「だけどね‥、不思議なの、あの人となら一緒に生活が出来ると思えるのよね!」

・ ・・????????・・・・???

生活破綻者の代表格という自信すら持っている私に、あれだけ意味深長な理解の上に

ユーモアをさりげなく組み立てられる機微に富んだ稀有な人物から驚きの言葉であった。

もちろん番組をもち上げる為のジョークの会話である。

しかし、いつものジョークも、 電波の声で聞くと驚くほどにドキドキしてくる。

電波の力が生み出す心の作用は、とても不思議である。

普通なら、何も引っかかる要素のない笑いだけで終わっていくユーモア言葉であるが、

この言葉は、年齢を重ねてきた私には、また異なった意味合いで考えさせられた。


若い頃の「一緒に生活する」という意味は、とても単純な動機で、好きだから少しでも長
く居たいというだけで良かったのかもしれない。
また、好きという内容も、何が好きか、どれほど好きかと言う尺度と、生活を共にすると言う意味の重さとのバランスに対して、欲望だけが先行してあらゆる思慮を都合の良い物だけに作り変えて、自身から湧き上がるあらゆる疑問を共依存の連帯感の正当性を合理化させるためにだけの理屈付けさせた答えしか用意できなくなるものである。

たとえば、まだ、未熟で一人ですら生活できない者の目の前に、本当に好きな女性が現われたとしよう。

二つの答えがまず用意される。

1、 充分な力が付くまでは、一人で暮らし、いずれ生活力に自信が持てるようになっ       たら、一緒に暮らす方法へと発展させる。

2、 未熟だからこそ、一緒に暮らすことに意味がある。
次ぎ次ぎと起こるであろう苦労に、共に手を合わせていくプロセスにこそ生活の本質があり、人生を共に生きたと言える。

この二つの考えは昔からの普遍の親と子供の論争である。
親心としては、当然、前者を選ぶ男性にしか大切な娘を任せられないだろうし、

若者からしてみれば、後者の主張を通したいし、その主張に共感できないような娘とは、人生を歩いていけないというだろう。

この歴史的な論争のどちらがよりベストなのかを敢えて言及はしないが、老後に向かうこの年齢における「一緒に暮らす」というテーマなら考える価値がありそうである。

若者も老人も基本的には、「理念の一致」を求められるかどうかだと思うが、若いうちは「理念」すらも不安定であり、理念が持つ力の意味すら分からないでいるものである。

第一、好きということがどういうことかさえ分からないし、
好きといってくれたから、好きになったような気がしたり、
性欲を合理化する言葉としての好きであったり、
性への好奇心をカモフラージュさせる言葉が好きであったりする。

また、意外と勘違いされているのが、尊敬する人物が一目置いているから、その人物からの評価を得る代理行為として、手に入れたいと願っていることが好きという意味だったりする。
大体、友人や知り合いの人物を好きになったり、略奪しようとする動機は、ほとんどが自信を認知させるための道具としての代理満足の行為が好きの本質であったりする。

ただ、親から自立したいと言う動機を合理化させるために、好きという自己暗示の世界にはまる人間も多い状況で、若いときの好きは、実際のところ危ういものである。

たとえ、純粋に好きという思いが募っていたとしても、その人の考えを好きというようにはなかなかなれない。

せいぜい、自信の理想を錯覚化させてくれるに相応しそうな人物であるかどうかという身勝手な憶測から想像の産物に恋をしているだけのものが圧倒的であり、実際の相手を見ている状況での恋愛感情は、非常に少ないものである。

しかし、未熟な失敗の産物とは言えども、若さのエネルギーは、それが心の病気の恋愛であれ、未熟な競争心理や、脅迫観念から呪縛であったとしても、真剣にぶつかり合う動機にはなるし、傷つけあう力も生み出すことが可能になる。

それらの衝突の連続の中で、相手の変化だけを求めてきた自身に気づき、自分自身を知ろうと言う動機を生み出すチャンスも得ることが出来る。

そのような、熾烈な自身への戦いを、「好き」というきっかけから生み出すことが出来るような情熱があるような恋愛であれば、考え方の一致を生み出したり、二人が交際することの目的や一緒に暮らすことの目的や「理念」の持ち方などの共有を生み出すことも可能になってくる。

好きな相手と一緒に暮らす目的における「理念」とは、要するに物事に対する考え方のことで、常に変わらぬ考えとしてもっている選択肢の根拠となる考え方のことである。
どのように考えることが自身を本当に納得させられる考えであり、どのように考えることが、いかなる困難にも自身をあきらめることなく成長させ続け、愛する人間をあきらめずに見守り成長させられるのか?
という命の成長の本質そのものを示すものが「理念」である。
まさしく、人生において進化をさせても変えてはならない考え方のことである。

年を重ねてくると、よほどの事件がおきない限りこの「理念」を改善させていくことは、とても困難である。

なぜならば、「理念」とは、その人の人生を支えてきた土台そのもの示しているのである。

理念を改善するということは、自身を支える土台を改善しなくてはならないことであり、生きることへの情熱が冷めていくような人生の敗北者となっている人物には到底出来ない、残念ながら高齢になればなるほどに、自信をあきらめるか、傲慢な自己正当が頑強に自身を蝕んでくるようなる。

何らかの成功を手にした老人は、自己のわがままがどこまで通用するのかを試すことだけが生きがいになってくる。

わがままが通るうちは、自身に価値があり、わがままを引っ込めなければならないようでは、自身の価値がなくなってしまったことを認めるようなもので、絶対譲歩は出来ないと信じ込んでいる老害症候群がすでに、老癌にさえなっている人物も多くなってくる。

その原因は、

「人は情熱と共に若く、」

「人は疑惑と共に老いる。」

名台詞が意図するように、全ての心の老いは、疑惑心からなのである。

いくら年を重ねても、いや、年を重ねれば重ねるほどに、「情熱」と言うエネルギーや情熱に火をともす勇気が必要なのである。

勇気の源は、想像力であるが、想像する力は、あきらめない心が支えるものである。
あきらめなくてはならない人生の末路の向かって、決してあきらめずに情熱を持ち続ける考え方を理念としている人物の人生に、生涯心の老いは訪れない。

私の信条に、「許」「諦」「寛容」「情熱」という言葉で作り上げた自身への約束がある。

生涯、諦めず
生涯、許さず

人生に「帝」を作らず
人を「午」にしない生き方を育む為に、

「寛容」を全身全霊の情熱で自身の中に創造し続けて、
よく生きることを全うする。


なぜ、考え方が人生の土台なのか?という質問を知人から受けることがある。

考え方は、

目的を生み出す原動力であり、

動機に意味をもたらす力を持つものであり、

選択肢に根拠を与え続けるものである。

考え方は、

人間に希望を生み出せる原動力である。

人間に勇気を奮い起こさせる原動力である。

人間の運命を変えさせることが出来る唯一のものである。

考え方は、

喜びを生み出すものであり、

恐怖を生み出すものであり、

悲しみを生み出すものであり、

悲しみを克服するものであり、

幸福を創出できる唯一のものである。

考え方で心は変わり、心が映し出す景色も喜びも不安も全てが変わるものだが、それぞれの人生で作り出してきた考え方に、条件反射のようにスイッチが入って同じような行動パターンを繰り返し続けていることがある。

しかし、それぞれの条件反射は、それまでの自身にとっては都合の良い反射であったり、それ以外の反射が怖くて出来ないようなものであったりする。

いずれにしても、その反射が、それぞれの人生で対処してきたある意味の知恵であったのである。
その対処の知恵が自身の人格になるまで侵食しているものが、結果としてその人の宿命に背負う考え方なのである。

そもそも性格とは、変えがたい考え方が支配している言動のスイッチの種類や引き出しの種類を分類しているものを示しているようなものである。

考え方の変更が出来なくて性格を変えられるということはありえないことである。
到底、自身の努力や思考の組み立てだけでは不可能に近いものである。
だからこそ性格分析や、プロファイリングなどのような犯罪捜査に力を発揮するのである。

しかし。若いうちであれば人生に自身の努力を超える圧力で性格に変化を生み出すチャンスがないわけではないないのかもしれない。

考えかたが違うとどのようなことが起きるのであろう。

たとえば山に登るという単純ことでも、

「理念」が違ったら、

上る手段も、
目的も、
ルートも、
見る景色も、
起こる問題への対処の仕方も、
満足を得ることも、
不満足に感じることも、
全てがまったく違ってしまう。

考え方の違いとは、山登りひとつとっても、一緒に居られるのか、居られないのか、という答えまでにつながってしまう、生命線の重さを持っている。

多様な個性と同じ考え方で山に登ると言う意味と、

一様な個性と多種多様な考え方で山に登るでは、

まったく意味が違うことなのである。

ましてや

多様な個性と多種多様な考え方で山に登るでは、
命がいくつあっても足りない危険な登山になってしまうのである。


よく国際結婚には、考え方の根本的な違いでの失敗談がある。

中にはとても怖い話があり、私を自身も身近に知っている。

名古屋の最高級住宅街を背景としたおしゃれなセレブから一世を風靡した超有名な「ザ・ステージ」というファションビルの中に、インポートブティックを私が経営していたことがある。
その店の隣の店の店長が殺されるという大事件が発生したことがある。

それは、一人の国際結婚の女性がアメリカ人のご主人に殺された事件であったが‥
私には衝撃的な忘れ難い事件であった。

その女性は、隣の店ということもあって、その店長さんから、よく国際結婚の困難さを私に相談してきていた。
その相談内容から問題の根本的な深さや危険性を私なりに理解していたこともあり、なんどもその女性に離婚のアドバイスを説得していた店長さんでもあった。

その女性の場合もそうであったが、言語の真意が充分に理解できず大半が想像で、このような意味で言ってくれているのであろうという都合の良い解釈で相手の考えかたが自身の理想と一致しているのではと言うような思い込みの錯覚を持ったままに結婚をしたケースであった。

結婚後に言語の理解が深まり伴侶の考え方の本質がようやく分かり出し、驚愕するケースは意外と多いらしい。
とんでもない考え方の相手と結婚してしまったことが判り、大変な後悔をしているという話は意外と多いものである。

前記の未熟な結婚と、用意万端の結婚のどちらが良いのか言及し難いというのは、

未熟だからこそ性格の変化を生みだす可能性もあるという考えもあり、
未熟さが取り返しのつかないことになってしまうと言う考えもあり、
用意万端という人間には、性格の変化は起きようがないという難問もあり、
用意万端という条件を認めるだけの関係に本当の愛は、成立し難いという問題もある。

などの理由もある。

本来、人間は弱いもので、条件を愛することが出来ても、他人を愛することは困難な動物でもある。その証拠になるのが裏切りという言葉が愛の中に生まれようがないはずなのに、いとも簡単に裏切られたり、傷つけられたりという心理状態に自身を追い込みやすい弱さを誰しも持ちやすいものである。

期待する条件に適わない事象が起きれば、すなわち、それがその人にとっての愛の裏切りであり、傷付けられることであると信じて疑わない人間が異常に多いのである。

他人どころか、自身の子供でさえ条件を満たすことだけに価値を置くような接し方の自己正当として「愛」という言葉にすり代えようとするそうとする親が増え続ける人間としての弱さが目立ち始めているようである。

さて、本題の高齢者になってからの「一緒に生活したい相手」となると、もう変化をする気力も勇気もない年齢の相手との相性の話になる。

性格の変化や考え方の変化が望めない相手と決め付けて相手を見るとなると、割と簡単な面もある。若い頃と違い、相手の変化に下手な期待をしないで済むことと、老いて醜くなっていく明らかな現実の中でも、それ以上に愛し続けるものがあるのかどうかという好奇心に対する自身の答えが導き出せればよいだけというのは、割とシンプルである。

そして、相手の考えや性格がその年齢まで変わらずに居ながらも愛し続ける言う自信がもてるのであれば、あとは、自分自身がどこまで寛容の幅を持つことが出来るのかという自身の最後の人間としての成長という課題だけを見れば済む話になることになる。

成熟した大人の「一緒に生活する」というテーマにおける課題は、相互が「寛容」と言う課題だけをテーマに最後の人生を歩むと言うことなのだと思う。

私の信条への課題は、とても困難だが、諦めることだけはしたくないと思う。

名古屋の名東区で物々交換屋の店をやっています。

                   
 

   店を紹介してくれているブログがとても多くなったらしく、

スタッフからブログや社長のブログで一押しのブログを紹介して欲しいとの要望が上がり、

こんな内容がリストアップされてきました。

他にも何か面白い紹介ブログを発見しましたら、是非、ご紹介下さい。




さかさまに作った店のある場所では、有名芸人やタレント・アーチストなども記念写真を撮って行ってくれる

ようになったこともあり、とてもユニークな写真も次々と撮られ出してきました。

この写真も合わせて掲載して欲しいと言う要望がありましたが、有名人の方は、それぞれの事務所的に許可が出難い画像もあり、ここでの紹介は今のところ難しそうです。

macaroni Drop 〈マカロニ ドロップ〉

http://ameblo.jp/macaroni-drop/entry-10289909515.html

★ナルミママのブログ
http://ameblo.jp/okanaru828/entry-10515749869.html

アメリカ館「USA」巨大サインなど

http://expoafter.web.fc2.com/expoafter2-16.html

万博村の会代表へーほーの日記
http://blog.livedoor.jp/heho3/archives/1019260.html

*Happy ayu's Life*
http://ameblo.jp/dipstick0714/entry-10655956638.html

無慈悲なパイプBLOG コレコーレの朝礼

http://mujihi.blog.shinobi.jp/Entry/1168/

YouTube - 物々交換・コレコーレ
http://www.youtube.com/watch?v=HFrj2mgIkXM

ヴァニRさんのページ
http://www.kosodate-style.jp/mypage/2410/article/393946/

lave the new life 
な日々
http://ameblo.jp/lovethenewlife/entry-10488681597.html

さっちんブログ
http://ameblo.jp/yotsumen/entry-10640872458.html

名古屋でもっとも変な店を教えてください。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1416648909

生涯学徒fusajiiのブログ
http://ameblo.jp/fusa-ken/entry-10561733519.html

コレコーレにお宝が
http://expoafter.web.fc2.com/expoafter2-17.html

レポドラ日記野田英里
http://blog.hicbc.com/blog/repodora/archives/13/

局へのアクセス人気ベストスリー(スーパーニュース東海テレビ調査)
http://friends.benigumo.com/archives/9954efe89b7d9011a92dbd9f102d6464.html

a la carte (ファッション)楽天ブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/designfeti/diary/201003210000/

アージュドールの美人スタッフのブログ

http://ameblo.jp/agedor/entry-10625285119.html

増田喜子のオフィシャルブログ
http://ameblo.jp/masumasunakayoshikoyoshi/entry-10439558717.html

多田えりかオフィシャルブログ
http://ameblo.jp/erika-haniwa0114/entry-10288597410.html

エディタ・コミュニティ
http://community.edita.jp/blog_photo_display/m-4a1d49c43c471/blog_no-m/photo-4a90ad649c414
東京日記
http://akkiman12.exblog.jp/2085980/
A-tsuのMusic Pop
http://musicpop.exblog.jp/457658/
ひとみちゃんからミカハウスへのご招待
http://mujihi.blog.shinobi.jp/Date/201010/1.html

情報誌 愛知県漂流
http://hyouryu.fc2web.com/log.html

他にも、何か面白い紹介ブログがありましたら、是非ご紹介下さい。


*泥棒に入られた事への発覚までの時間およそ、5分以内。
*泥棒発見から警察までの通報時間およそ、30秒
*マスコミへの連絡の時間、4時間(担当者の出社時間へ合わせた時間。)

企業説明を考える資料として、下記のような内容をひつの参考にしている。
また、当社が理念経営を重んじるきっかけを作った大きな理由として、ジョンソン&ジョンソンのエピソードがとても重要になっている。



企業が何か不祥事を起こしたときに開かれる記者会見。経営のトップがうちそろって深々と頭を下げて謝罪するシーンは、前にも書いたように見慣れた風景になってしまった。こうした会見におけるメディアヘの対応がまずく、ますますダメージを広げてしまい、ついには社長交代に追いつめられるという例も多い。
このような事態の場合、企業がもっとも避けなければならないことは何か?日本パブリックリレーションズ協会がそのアンケート調査を行なったことがあり、その結果はつぎのようになった。回答者はメディアの記者の人たちである。
断然多かったのは「会見でのウソ、隠蔽」と「マスコミの取材を一切拒否」の二つであった。次いで「トップが記者会見に出ない企業対応」「トップが情報を知らずに会見に臨む事態」であり、「ミスリードしたり、世論を誘導するような対応」の順であった。
先にジョンソン&ジョンソン社の危機対応の例を、成功したひとつの例として出したが、危機対応に失敗した有名な例としてフランスのペリエ社の事件がある。
一九九〇年、ペリエ社の飲料水にベンゼン混入の痕跡が見られるという報道がなされた。
このときペリエ社の経営陣は、ビンの洗浄段階で起きたたったひとつの例外的な事故であって、ベンゼンによる汚染は、北米地域で数本見つかっただけであり、「数日で忘れ去られるような些細なこと」であるという認識で、緊急の対策を何もとらなかった。
しかしその後、異物混人が認められるボトルが世界中で見つかり、ペリエ社の株価は、事態が発覚してから二十四時間経たないうちに暴落しはじめた。
アメリカ市場では自発的に製品回収の動きが出はじめたが、ペリエ社は「アメリカ人は弱腰だ」ときめつけ、アメリカでの回収の動きを、消費者に対する健康面への配慮とは受け取らず、「フランスでは、消費者はこうしたことは気にしていない」というまことに驚くべきコメントを出しつづける始末だった。
ペリエ社としては、製品イメ-ジを損ないたくないためにとったメディアヘの対応であったのであるが、説明責任をまったく欠いたこのような乱暴なコメントが報道されたことにより、ペリエ社の対応は消費者への気遣いがまったく欠けていると受け取られ、世界の主要市場で強い反発を招く結果になった。
結局、ペリエ社が世界市場から製品の回収を決断したのは、ベンゼンの混入発見後、四日を経過してからであった。その際ペリエ社は「回収措置が、全世界のペリエ社のイメ-ジを救った」
2
という声明を発表した。
しかしときすでに遅く、そのときにはペリエ社の商品イメージはすでに損なわれており、「ペリエ社は決断力がなく、問題の深刻さに対する態度に一貫性がない」と見なされる状態に落ち込んでいたのであった。安全な飲料水を消費者に届ける責任を負う同社は、市場への説明責任を果たすのを怠ったのである。
事態発覚から対応までの相手側の視点に立った「双方向性コミュニケーション」が欠如し、また自己修正機能が働かなかったペリエ社の動向は、メディアから嘲笑されるところとなった。このペリエ社の例は、クライシス・マネジメントの代表的な失敗例といえる。
ペリエ社はこの事件のあと、数々の宣伝キャンペーンを行ない、問題となった飲料水の人気を回復することができた。しかしその人気回復に使われたのは、従来の一〇〇〇ミリリットルのボトルではなく、七五〇ミリリットルのボトルであった。しかも新ボトルは元のボトルとまったく同じ値段で売られたので、ある意味、ペリエ社の怠慢のツケを消費者が支払っているという見方もできるのである。
では、どのようなやり方が成功例であるのか、最近の身近な事件から拾ってみたい。
これは事件というようなものではないが、人気タレントの草彅剛さん(三十四歳)の、深夜?酔全裸事件は、ファンにとってはショックな事件だったろう。
「とてもいい人」として人気のある彼が、二〇〇九年四月二十三日の午前三時ごろ、自宅マンション近くの公園で?酔状態で全裸になり奇声を上げた。近所の人に通報され、駆けつけた警察官に反抗したので逮捕されたのだが、ひと晩留置のあと送検、処分保留で釈放された。
釈放後、すぐに記者会見を開いて、本人が自分の言葉で謝罪した。自分の奇矯な行動を世間にお詫びしたので、説明責任はいちおうセーフといえる。
なぜあのような突飛な行動に駆り立てられたのか、彼を追いつめた心の底の懊悩については、プライバシーに関することなので説明する必要はない。誰かに危害を与えたりしているならともかく、そうした事実はない。
ともかく、その誠実さが十分に国民に伝わり、事件発生後わずか一カ月ほどでCMも放映されテレビにも復帰したようなので、ファンの人たちもひと安心だろう。誠実さが感じられる説明は、人の心に訴える力があり、説明責任を果たすうえで、より大きな効果をもたらす。
その人の誠実さが、トラブルや危機に直面したときに表われるよい例である。
これまでは日本企業の悲観的な話をしてきたが、最近「説明責任」に目覚めはじめた経営者も現われてきたのは喜ばしいことだ。単に説明する責任を果たすだけではなく、説明したことについてもきちんと社会的責任を果たしている。こうした実例を紹介しよう。
最初の事例はアスベスト事件で、これは二〇〇五年に、農機具の大手製造メーカーであるクボタが、二〇〇五年にアスベスト(石綿)が原因で一九七八年度以降工場従業員や外部業者など計七十九人が、胸膜や腹膜に起きるがん(中皮腫)などで死亡していることを自発的に明らかにしたことにはじまる。クボタは、発病についての因果関係や法的責任の有無が確認されていない段階で、企業サイドの判断で見舞金の支給や亡くなった患者への弔慰金支給の内規作りなどの対策を進めた。
厚生労働省は「周辺住民らの被害把握を急ぐ」狙いで、アスベストによる労災認定事業所を公表。名指しされた企業が戸惑いを見せる中でクボタは事実関係の把握作業にすでに着手していて、
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社長自らが健康被害者に会うなど、矢継ぎ早で能動的な取り組みが行なわれ、遺族に弔慰金や見舞金の支払いを決めた。その後も地域住民に対して従業員並みの補償の発表や、二〇〇六年に入っても、周辺住民に対して社員を上回る最高四千六百万円保証枠の提示や救済金支払いなどを決定している。
クボタの一連の対応には「説明責任」に目覚めはじめた経営者の姿勢がうかがえる。
パナソニック(旧松下電器産業)の関係者のあいだで、いまだに語り継がれているひとつの伝説がある。それは松下電器の創業者・松下幸之助氏が自ら先頭に立って、会社の危機回避に奔走するキッカケとなった『熱海会談』の一件である。
この『熱海会談』の物語は、「説明責任」あるいは「危機管理」という重要な要素を包含する、パブリック・リレーションズにおける対応の例として、後ほど再び紹介するジョンソン&ジョンソン社の成功例に、勝るとも?らぬ輝かしい成功例である。
その伝説的な『熱海会談』の経緯を「PHP Business Review 特別版 松下幸之助創業の心 Vol.2-難局を乗り切る理念と実践」をひもといて見てみよう。
一九六四年(昭和三十九年)といえば、あの東京オリンピックが十月に開催された年であったが、オリンピックを前にして日本の経済界は大不況に突入しつつあった。それまでの高度経済成長に急ブレーキがかかったのである。
松下電器(当時)も他企業同様、不景気の波に揉まれていた。社の苦境に危機感をつのらせた松下幸之助は、一九六四年七月九日に、全国百七十社の販売会社・代理店の社長たちを熱海のホテルに招き経営の実状を聞いた。これが「全国販売会社代理店社長懇談会」、のちの通称『熱海会談』であった。
松下幸之助はその会の開催の経緯をこう述べている。
「当時の日本は不況が深刻化し、企業の行きづまり、倒産も多くなっていました。電機業界においても同様で、一流といわれる会社が大きな欠損を出したりして、非常に経営の悪化が広がっていました。それで私は、松下電器の販売会社・代理店の経営状況はどうかと気になり、実状を聞こうと懇談することにしたのです」
さて、販売会社・代理店の話を開いてみると、どこも予想以上の苦しい状況であった。利益の出ている会社は、百七十社中二十数社にすぎず、資本金の三十倍以上の赤字を出している会社や、多額の手形を抱えて資金繰りに追われている会社と、どこも不況の波の中でアップアップしている状態であった。
「実状を聞かせて欲しい」という松下電器側からの問いかけに対し、出てくるものは松下電器への不平不満ばかりという状態であった。
「資本金が五百万円なのに、一億五千万円もの赤字が出ている。松下電器のいうとおりにやっているのに儲からん」
それからの議論は、販売会社・代理店側は松下電器に責任があるといい、松下電器側は、販売会社・代理店の経営に問題があるという非難合戦の様相を呈したのであった。松下幸之助は延々と演壇に立ちつづけて批判、非難の矢面に立っていた。
そして三日目が来た。演壇に立ちつづける松下幸之助の脳裏にある感慨が次第に醸成されていった。松下幸之助はこう述べている。
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「私はその場で出されている不平や不満をふり返って見ました。それらは一面、販売会社・代理店の経営に対する甘さからくるものだと見ることもできましたが、松下電器にもあらためなければならない問題があるのではなかろうかと思ったのです」
つまり、反省をしなければならないのは松下電器であり、知らず知らずに自分たちは慢心していたのではないか。それが今日の苦境を生み出した原因のすべてではないか。
脳裏に醸成された感慨は瞬時に確信に変わった。雷に打たれたようにそのことを悟った松下幸之助の口から、会場の人々に向かって陳謝の言葉が流れ出した。
「松下電器が今日の姿に発展したのも、みなさまが松下電器を育ててやろうとごひいきにして下さったおかげです。そのことを考えれば、私のほうから不足を申し上げるのは間違っておりました。みなさまが損を出しておられるのは、松下電器の注意が足らなかったからです。今後は松下電器は、取り引きその他いっさいの点に根本的な改善を行ない、みなさまの経営の安泰のため、業界の安定のために努力しなければならないと感じております。ほんとうに申し訳ありませんでした」
三十年ほど前に電球を販売するにあたり、「松下電器を育てると思って販売して下さい」とお願いし、それに応えて汗水流して必死に販売してくれた人々。その人々の真摯な姿を思い出し、そのエピソードを語るうちに松下幸之助の声は涙声になり、目からは涙がこぼれ落ちた。
松下幸之助が思わずハンカチで目をぬぐうと、それまでザワついていた会場がシンと静まり、会場の人々もまたハンカチで目をぬぐい、中には嗚咽を漏らす人もいるではないか。
このとき、壇上の松下幸之助と会場の人々は、何ともいえず心地よく、希望が湧いてくるような連帯感で結ばれたのであった。
やがてひとりの代理店社長が立ち上がっていった。
「考えてみると、松下さんとわれわれの間は、単なる金銭などで結ばれているのではない。もっと深い、精神的なつながりがあるのだ。これまで松下電器が悪いといって責めてばかりきたが、われわれも間違っていた。あらためることは多い」
それまで非難の応酬だった会場は、一転、心温まる感動の発露の場へと変わり、松下幸之助も会場の人々も、涙と笑いで顔をクチャクチャにしていた。
かくして『熱海会談』は幕を閉じたのであった。
『熱海会談』のあとの松下幸之助の行動は素早く激しかった。七十歳を迎えようとする老いの体にムチ打って、まさに八面六臂の働きをしたといっていい。
会談終了当日、販売会社や代理店の社長を見送ったあと、幹部社員をホテルに残し「われわれは反省から始めよう」といって、三年の間に販売制度をきちんと確立しようと決意を述べた。
その後は東奔西走、人々の話を聞き、販売現場に顔を出し、自社に足りないものは何かを追い求め、外国の経営実態を探り、変化の趨勢に敏感に反応するアンテナを張りめぐらし、その上でしきりに自己反省して、謙虚で誠実な初心に戻ることに努めたのだった。そして、『熱海会談』からたった八カ月後の一九六五年(昭和四十年)二月には、新販売制度を全国で実施することに成功したのである。その新制度により、松下電器の企業としての体制は磐石となり、現在の隆盛を招いたといえる。
松下幸之助のこの一連の動きはまさに、パブリック・リレーンョンズにおける重要な三原則「倫理観」「双方向性」「自己修正」をクリアした、見事な模範例といえるのである。
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危機管理の成功例として、ジョンソン&ジョンソン社の例を、もういちどすこし詳しく見てみよう。
一九八二年九月に、アメリカのシカゴで同社の頭痛薬「タイレノール」にシアン化合物が混入しており、使用した人から死者が出たことが報道された。この「タイレノール」は同社の主力製品で、社の全利益中の一五%を占めていた。報道の直後から同社は、カプセル錠剤の入った数百万ボトルの回収を始め、同時に製品を特っている可能性のある、医師、病院、流通業者に対して、危険性を警告したのだった。そのあと、八百万カプセルをテストして、毒物混入錠剤を七十五個見つけた。
この事件による死者は七人にまで増え、アメリカの全土に不安は広まった。事件後の調査によると、じつに全消費者の九四%が、「タイレノール」は毒物との関連性がある薬と答えているほどであった。
事件発生の直後、同社はジム・バーク会長を中心とした七人の危機管理チームを編成、緊急対策をつぎつぎに打ち出した。批判的な報道が出る中で、同社の素早い対応は注目され、有力紙が「誰かをリスクにさらすより、自社が膨大な損失を被ることを選択した」と、その取り組みを評価する記事を書き、中には賞賛の声すら紹介するメディアも現われた。
金額的に見れば製品回収コストは、流通コストの十倍近くかかるという専門家の見積もりもあり、同社が危険性の警告に要した費用だけでも、五十万ドル近いと見られている。また同社が、タイレノール危機から回復するのに、五千万ドル以上を費やしたとも推測されている。
ジョンソン&ジョンソン社の対応は「最悪のシナリオ」を前提にしていたといっていい。
製造過程での事故により毒物が混入した可能性はないか、製品回収の遅れが死傷者の増大につながらないか、顧客や消費者がどのような関心を持つかなど、それぞれ最悪の場合を想定したのであった。同社の信条は顧客第一主義であり、実態が不明の段階で即座に回収に乗り出し、誰もが毒物入り錠剤を使用する可能性があるとの前提で警告を発した。
それにともなって、製造過程における毒物混入の可能性を検証し、製品テストも実施した。同社がとった一連の行動は、これは製品事故ではなく、何者かの悪意による毒物混入であるという印象を消費者に与え、最終的には同社の企業イメージを保つことに成功したのだった。さらに注目すべきことは、同社は緊急事態発生に対してスピーディな対応を通して積極的な情報開示を行ない説明責任を果たす一方で、主力製品の再発売を急がず慎重にビジネスチャンスを待ったことであった。
その後の調査により、この事件は「悪意による毒物混入」であることが判明した。この頭痛薬は社の主力製品であるのだから、毒物の混入が製造過程の問題ではなく、人為的な故意の混入であったことを考えれば、ふつうは再発売を急ごうとするものだが、ジョンソン&ジョンソン社はその気持ちを抑えて再発売を急がなかったのである。というのも、この時期、事件を受けて政府や薬品関係の所管当局(食品医薬品局)が、薬剤安全法制定に向けて動いており、ジョンソン&ジョンソン社はそこに注目したからであった。
その当時、アメリカの鎮痛剤市場は約十二億ドルであり、事件前にはジョンソン&ジョンソン社が三割以上のシェアを占めていたのだが、回収措置をとった直後のシェアは、なんとゼロという有様であった。それにもかかわらず同社は、食品医薬品局の課した不正開封防止パッケージなどの諸規制を、他社に先駆けて取り入れた上で再発売した。必要とされる「修正」を素早く行な
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ったのである。
新パッケージ導入の動きは大々的に取り上げられ、五カ月後の同社のシェアは事件前の七割にまで回復したのだった。シェアはかなり減?したものの、ナンバーワンの地位を保った上、同業他社も不正開封防止パッケージ導入などの措置に、追随せざるを得ない状況を作り出したのであった。
ジョンソン&ジョンソン社とペリエ社の、事故対応の成功例と失敗例を見たが、パブリック・リレーションズにおける「説明責任」においてとくに重要なことは、「聞かれなくても常日頃、情報をコンスタントに出すという姿勢」であるといえる。
オープンで誠実な態度であるか否かが、前記の事故の場合でも、そのあとのダメージを受ける度合いの軽重にかかわってくる。
ひるがえって日本の場合を考えてみると、どちらかというと聞かれたら出すというところが多い。かなり口が重いほうである。日本の広報はどこも、メディアがきたらはじめて口を開いて説明する、という態度になっている。能動的ではなく受動的な姿勢をとる広報が多い。だから、彼らは白分たちで戦略性を持って動くことができないといえる。
「説明責任」ということについても、メディア側はいつも、はっきりいってもらいたいと思っているのだが、情報を出す側が積極的に出さないから、メディア側にもフラストレーションがたまってしまう。情報が出てこないから、メディアは情報に飢えているところがある。すると、「説明責任」とは無関係なことでも、ときにはガセネタでも書いて報道してしまうという結果になる。「説明責任」の意識が弱い環境には情報がないわけだから、人々は情報に飢えている。そんな状態のときに、「関係者」とか「何々筋」などというところから出てくると、そのあいまいな情報に飛びついてしまうということになる。
その情報が正しい情報かどうか、もちろんメディアも吟味はしているのだろうが、新聞などのメディアは、一刻も早く伝えるということを要求されているので、結果的に踊らされた記事を書いてしまうということもままある。情報操作されやすい環境が生まれてしまうことになるわけだ。
危機管理においてもっとも重要なことは、メディア対応がうまく機敏にできるかということだろう。
事故が起きたとき、警察や消防などへの連絡だけでなく、メディアヘの連絡も非常に大事である。この連絡に時間がかかると、マイナスの憶測を呼ぶことになり、メディアの論調は原因解明前から批判的になることが多い。
メディアの情報収集能力はかなり強力でスピーディなので、企業が把握している以上の事実を知ろうとする。メディアに対しての初動対応が後手にまわると、企業の対応は受身になる。するとメディア側は「不利な事実を隠そうとしているのではないか」、「現在進行している緊急事態に対する認識が甘いのではないか」という疑いを抱くことになる。
企業にとって不利なニュースであっても、事実を隠そうとせず、説明責任を明らかにし、適切で素早く取材に対応する体制を整備することが大事である。取材が集中する場合は、積極的に会見を行なうなど、メディアヘの情報提供には、守りではなく攻めの姿勢で臨むべきである。
一般的にいうと、メディアヘの第一報は、危機発生後三十分以内にしなければならないといわれている。
工場火災などが発生した場合、本社など、意思決定を行なわなければならない部署は、消防、
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警察などの関係当局への連絡をすませ、現場から火災発生状況や詳しい経過を把握し、場合によっては、付近の住民の避難誘導などの対策を講じ、それと並行してメディアヘの連絡を行なわなければならない。この一連の行動を三十分以内にすませなければならないということなのである。
現実には、メディアからの問い合わせがあってはじめて、企業本社の意思決定部署が、危機発生を知るというようなことが多いようで、短時間で上記のような対応態勢をとることはかなり困難ではある。



[出典:井之上喬 著「『説明責任』とは何か」(PHP研究所、2009)]一部省略した部分がある。

芸人ひとみちゃんへプレゼントした世界遺産のヴェリチカ岩塩鉱の岩塩の塊を、滅多に出会うこととには、なりそうもない桁外れの度量の豪傑の主人から頂いた「有名作家のぐい飲み」との物々交換を実行するために、一度はひとみちゃんへ差し上げたヴェリチカ岩塩鉱の岩塩を取り上げたお詫びにさらに大きな岩塩の塊を進呈するために、
コレコーレの本店へと車を走らせる事とした。

私たちが店から未練を残して帰ろうとしているところへ、その御主人から、今から焼き物のとても有名な作家と一杯やりに行く予定だが一緒にどうだ?

との誘いを頂いたが、さすがに泥棒が入って店の扉が壊されたままで出向くわけにもいかず、無念にもその誘いをお断りすることとなったのだが、ご主人と友人同様に交際があるという人物の名前にも驚きであった。ほとんど中古市場には、出回らない人気を誇っている作家名がご主人の口から出てきたのである。

茶碗なら50万円前後は、普通の価格でつきかねないその有名作家は、コレコーレの中でも特別高価買取にしている喉から手が出るほど欲しい作品を次々と出している人物で、その人物との直接交流はとんでもないチャンスだっただけに、泥棒への憎悪が膨らんだ一瞬でもあった。

今日の宿直は、私が担当すると決めていたので、あまり遅くならないうちに帰らなくてはならないと考えていたが、すでに遅い時間となっていた。

それにしてもひとみちゃんからは、かけがえのないご主人との出会いを演出して頂いたのである。

私が通信業という店からかけ離れた仕事から「店」を行うようになったのは、ファッション業界で作り出してきた「店」というものの本質的な力をある程度知っていたことや、運良く本当の「店」というものであった感動を知っていたからであった。

「店」の漢字は、家屋を表す言葉と、どれにするかを決定するという意味を示す「占」という意味と、占有を粘り強く継続し続ける意味を兼ね合わせ文字である。

「テン」は、簡潔に纏めれば、掌握しきるという意味であり、

「ミ」は、美であり、羊審判善による絶対的な物事の決定であり、絶対法則による成果としての「果実を」示す言葉であり、果実は、万物を引き寄せる解き放つシンボルとなる言葉であり、
「セ」は、果実を得るために課せられる試練であり、切磋琢磨、洗練、学びの課程を表す意味を示すと教わってもいます。

店は、

「見せる力を実せるミセ場所であり」
「魅せる力を実せるミセ場所であり」

「美せる力を実せたミセ場所である」

そのような格言を実現しようとしている「店」に出会うことや、
ごく稀ではあるが実際に実現していると確信させてくれる店に出会うことがある。

店の力は、外観にあるわけではなく、その品揃えだけにあるわけではなく、
その店員や、接客技術やご主人のカリスマ性にあるわけではないということに、
この年になってようやく気がつきだしている。

店は、店に集う顧客の存在感や、顧客のいかなる面を引き出すことに
成功させている店であるかと言う問いに、常に明快な答えを用意しきっている店であり、
その答えに対し、あらゆる事が、関わる物や人がひたむきに向き合っている姿勢や、
その姿勢から、何らかのエネルギーを受け取ることに、共感の輪を広げる一員として、
顧客自身さえも店に参画しているような空間を維持し続けている店である。

そのような「店」の究極ともいえる店に、幸いなことに遭遇したことが、
イタリアで一軒と、フランスで一軒と、日本での一軒、
を体験しているが、そのような空間に自身の身を置く体験をすると
店というものをいつか極めて見たいとか、
店を極める過程に学びを得てみたいという衝動に駆られるものである。

たとえば、日本の一軒は、骨董通りという日本でも中心的な場所にあるのだが、
その店の事を知っている人は、ほとんどいないほどにある意味で無名である。

無名の理由は、誰もその店名を口にしないことも理由だが、
店の入り口でオーナー自身が入店させる丁寧に満席を伝えて、
お帰り願うかを、常にオーナー自身が決めているからでもある。

かの有名な豪腕の首相たちもことごとく満席の洗礼を受け続けていて、
いまだに店内の様子すら知らないようである。

幸いなことに、私はそのオーナーから将来の有望ぶりを買われて、とても優遇されてその店に出入りしている天才的なデザイナーに連れられて、何度か足をお運ぶことができたお陰で店の力とはいかなるものかと言う私にとっては大きな問いに対して、
当時のファッション界では、とても小さくて、もっとも偉大な集合が実現されていると言われるスイスの中にあるイタリアの町で私が体験した「店」の壮絶なパワーや、パリで同じように衝撃を受けてきた「店」の力の不思議さへの問いへの答えを、
日本のこの店が実際に身体に翻訳して、胆識として理解させてくれた店でもあった。

その店が行ってきたのは、店構えの贅沢さでもなければ、綺麗に着飾った女性の存在でもなければ、人の存在すら邪魔と言いたくなるような調度品や自身の動きにいかなる緩みも与えないような緊張の空間でも、虚栄を満足させるいかなるものも存在しない空間なのである。

その店名を店の外では、一切口にしなくなったいきさつは、店側の意向から始まったのか?
常連たちの暗黙の了解として始まったことなのかは、いまだに分かてはいないが、実際に誰もが店名を口にしないこと、その店で出合った人々の交流を店の外へと持ち出していかないこと、
それらの暗黙のような約束は、鉄の約束のように顧客全員に認知されていることで、その条件を満たすことが確約できる人物しか同伴させていないようであった。

そのような暗黙の約束が実行されているにも関わらず、店内の空気は老人化することなく、常に若々しいエネルギーが何の拘束も受けずに自由に開放されている空間であり、常に新しい顧客の参加に寛容であり、あまりにも寛容すぎることが、店のオーナーの老婆心が店先へのオーナーチェックの必要性を生み出しているのだろうと納得ほどであった。

実際、私が十代から育て上げてきた最高の店長と自負していたブティックの伊東店長の誕生日に、その空間での感動を身に焼き付けさせておきたいと願い、デザイナーに誕生日にその店に連れて行く約束を取り付け、その店に出向いた事があった。
やや、その店長が若いこともあり、オーナーチェックを通らせてくれるかについて不安がないわけではない、せっかくの誕生日に心を傷つける可能性のあるチェックを受けさせることにどうかな?という不安を一瞬くらいは沸かせはしたが、すぐに否定できた。それほどにその店長の人間性は奥が深かった。

結果は、その場にいた全員と、伊東店長自身が初対面にも関わらず、
知らないうちにその店のオーナーが用意してくれた誕生セレモニーの主役となってのパーティーを体験できたのである。

その日の感動が今の伊東店長を作っていった大きなきっかけとなったことは、とてもよく判ることである。

実際、念願のフランス人の人生を生きるために、気難しいことで有名な大女優の岸恵子さんの自宅への同居生活経験して、とても厳しいマナー洗礼を受けるチャンスを得てさらな飛躍に生きている事実が、私にとっての、この店の存在理由の証明であり、生涯をかける価値との出会いに確かさを与え続けていてくれるエピソードでもある。

そのようなエピソードをこの店は、いくつ生み出したのであろうと創造すると、ただの金儲けに人生を費やしてしまう愚かさをいつも叱咤されてきたような気がするのである。

そのような満足感や、感動を知らないコレコーレのスタッフたちに、物々交換と言う地獄に向かうか?天国に向うか?という答えがもっとも分かりやすく出る業務に身を置かせる事は、かなりの大きな壁にぶつかり続ける連続に心身共に限界に生きるような過酷さがある。

今は、まだ何合目と言う言葉すら出せないレベルだが‥いつか伊東店長が感動した世界に身を置かせてあげたいものである。

話は戻すが‥
ひとみちゃんから紹介された店は、確かにそのオーナーの店作りとは、表面的には事なる部分が多いが、道は違えど、やり方は違えど行き着くところ、目指すところは同じなのではないかという考えからはずれ難い出会いだった。

そのような至福の時間を堪能して、今朝泥棒が入ってまだ自動扉が割れたままという「現実の世界」、「問題の渦中」というリアルにひとみちゃんごと入り込むこととなった。

しかし、ひとみちゃんは、泥棒のことは忘れたように、店内を夢中で物色し始めるのである。

もちろん、その場にいたコレコーレのスタッフを紹介した後の事ではあるが‥

店にかなり興味を、持って頂いている様子と、是非ひとみちゃんの人物に見込んで朝礼に参加して頂き、率直な意見が欲しいという願望が湧き上がっていて、

お願いの結果、

ひとみちゃんのお泊り決定がなされたのであるが‥

泥棒に自動扉を破壊された前に、

万博の際にオーストラリアのVIPルームで使用されていた長めのソファーを置き私が眠り、

ひとみちゃんは何人か有名人が突然宿泊することになった茶室で眠ることになった。

ひとみちゃんの疲労も相当のようで、当店のゴッドハンドと言われている不思議な力を持った癒しの達人からある申し出がなされた。

    私に触らせてください。

    どこに?

    身体に、

    え!?

    まずは脱いでください。

    ど、ど、どこで‥

    茶室はいかがですか?

    などと言う会話の果てに、二人は茶室に入っていきました。

    私はソファーの上で、今日収録し生放送で流された内容を聞こうと

    ラジカセから流れてくる放送内容を聞こうかなと思っているうちに、

  眠りについてしまいました。



    ひとみちゃんを癒してくれたゴッドハンドのコレコーレスタッフ
    http://mixi.jp/show_friend.pl?id=3736851&_fof

塗香菩薩さんこと菊池さんがなぜゴッドハンドと呼ばれる程の腕前なのか?

川合塾が経営するトライデントの講師へのオファーを辞退してなぜコレコーレのスタッフになっているかについては、また長い話になるので後日触れることとします。


  続きは、明日書きます。