今日は、長年納得がいかなかったことを自分なりの説明で受け入れます。
「受け取り」が実は苦手だったと気づいたこちは。とても受容的な人だと思われていて、こちは自身も勘違いしてきた。
プレゼントもコミュニケーションも、人との「遣り取り」は相手ありきのことだから、失礼のないよう真摯に励んできた。
そりゃ、勘違いされてトーゼンだわ。
そこには、かなりの打算も働いていた。
認める、こちはが悪い。
女性は、性的な機能のせいか、呪術的な役割のせいか、「受け取る性」だと思われている。
受ける、受け取る、受け入れる・・・
受の呪縛だーっ!
ナゼ、女性の受容性ばかりがクローズアップされるのだ?
こちはは思う、
女性の能動性は不要なのか?
男性の受容性は不要なのか?
「包容力のある男性はモテる」とゆーではないか!
そこで、また引き合いに出すよ、「想像が先、創造(具現化)は後」という仕組みを。
女性の能動(想像)
↓
男性の受容(想像の受け取り)
↓
男性の能動(想像の具現化)
↓
女性の受容(創造の受け取り)
女性は自分の思いがカタチになったことを喜び、男性は女性の思いをカタチにできたことを喜ぶ。
これなら、お互いに分かち合える気がするね。
つまりよ、女性は自分の最初の能動性、えっと、つまり、女性自身の内側から発した思いや願いが、どこへ向かっているのかを知っておく。これが、この「遣り取り」の要ってことだ。
向かう先が迷走していては、あるいは女性自身に向かってしまっていては、男性は女性の混沌とした願いを受け取って、具現化するってことになるじゃん。
そう考えて、こちはは人類を救う壮大な夢を描こうと決意した。
よっ、きぬく、かっこいいっ!
こちは