今日は、引きで捉えてみようと思いました。
サイレント期間中のプログラムは、直走路のハードル走じゃなくて、トラックで行われる障害物競走みたいなもの? なんて思ってみた。
そう、障害を駆ける=生涯を懸ける。
ランナーはとにかく前を向いて走っていて、ちょっとやそっとじゃ振り返らない。自分の後ろを走るチェイサーを「本当の意味で気づく」には、相当な工夫が必要なんだろうなと思う。もともとチェイサーのことにはトコトン鈍感であるように生まれついている可能性もある。
もちろん、チェイサーが銅鑼を鳴らしながら鬼の形相で追いかけてきている場合は別。本当の意味もヘッタクレもない。誰だって恐怖のあまり猛スピードで逃げるから、人としてやめたほうがよい。
「逃げている」「回避している」「拒絶することで防衛している」とか言われるけど、ランナーはそんなに弱虫でも意気地なしでもないはず。だって、何かの使命を背負って、この世界に生まれてきたことを直観しているんだから、強くて優しい正義の味方なはず。常に自分と闘っている。
そのせいで、むしろチェイサーよりも優先させなければならないことが不可抗力で多発している可能性だってある。チェイサーだって、同じ魂なら、心のどこかでそのことに気づいているはず。なんなら、直感的に自分にも使命があるような気がしてなきゃおかしい。
チェイサーへの気づきをランナーに促すタイミングが来たら、天はランナーをのた打ち回らせるような仕掛けを用意する。チェイサーは心配御無用、どうせ手も足も口も出せない。そう、チェイサーは見守っていればいい。いずれ、ランナーはことごとく天に思い知らされる。
ランナーに早く気づいてほしくて、チェイサーがうっかり頑張ったりすると、今度は天がチェイサーに泣かせる仕掛けを用意する。追いつけないランナーに焦るくらいなら、チェイサーはいったんそこで立ち止まって、自分メンテに時間をかけよう。
女性なら、エステにヨガ?
男性なら、整体に筋トレ?
自分のレーンを楽しく走れるように。
「手放し」は、しようと思ってするものではない。しようしようと思うほど、ますます握りしめることになる。だったら、ランナーのために笑ったり泣いたりすることのすべては、誰かに仕組まれていたと思ったほうが気がラクってもの。神でも仏でも先祖でも誰でもいい。とにかく、人間の理解の範疇を超えたものの仕業。
うまくいったら、「よかった、ありがとう!」と思おう。
失敗したら、「うまくいかないことが正解だった。ありがたい、助かった」と思おう。
チェイサーの手放しとランナーの気づきは、同時進行で進むんだろうな。同じトラックだけど、障害物の種類が違うレーンで。最初は、二人のスタートがズレていた。あるとき、互いにすぐ隣のレーンを走る人に気づいて併走した。その瞬間を二人は決して忘れることはない。
時が経ち、ランナーは疲れ果て、ふと後ろを振り向き、スピードを緩めるかもしれない。チェイサーが周回遅れとなり、ランナーの前を走ることになっていたと気づくかもしれない。
その時が来たら、天は必ず、ゴールという名の二人の再スタートを一致させる。
今度はそこから一緒に走ろう!
こちは