Cordillera Green Network インターン体験記

Cordillera Green Network インターン体験記

フィリピン・ルソン島北部のバギオを本拠地に、山岳地方(コーディリエラ地方)で活動する現地法人の環境NGO「コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(Cordillera Green Network:CGN)」の日本人インターンによるブログです。お問い合わせはcordigreen(a)gmail.com
まで。

コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(Cordillera Green Network:CGN)は、
フィリピンのルソン島北部のコーディリエラといわれる山岳地方の中心、
バギオ市に拠点を置く、現地法人の環境NGOです。
Webサイトはこちら

コーディリエラ(Cordillera)地方は、ルソン島の北部の標高1,500メートル級の山々が連なる山岳地方です。6つの州からなり、総面積は18,249平方km、フィリピン全土の7%にあたります。金をはじめとした鉱山、深い森林など、豊かな自然資源に恵まれていますが、険しい山々に阻まれ、未だ、道路の通っていない村、電気のない村も数多くあります。山間部の村々に暮らすのは、カリンガ族、イフガオ族、カンカナイ族、ボントク族、イバロイ族、イスネグ族などの先住民族たちです。
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10月4日いっぱいでインターンシップを終えました、馬島捷です。

 

 

 

自分がインターンシップでの仕事は何もできていないと感じました。

 

・英語の読み書きlisteningとspeakingができない。

・バギオの歴史や土地勘がわからないこと、例ではコピー屋さん探すのに計3日かかる。

・作業の効率が悪く、今まで何のために小学校から現在通っている大学まで、何の為に勉強したかわからない。

・自分のモチベーションを保てない。

・一人で考えや意見を持つことができない。

・報連相、情報の共有がうまくできない。

 

思いつくだけでも6個あります。

 

 

 自分はここでのインターンシップを終えた後、ヒッチハイクで札幌の自宅まで帰りました。

 そのときお車に乗せていただいた方に次のようなお話をしていただきました。

「物事・仕事の経験は成功でしか得られない。失敗からは失敗したという経験しか得られないと私は考えている。」という内容でした。

 

 自分はその言葉を聞いたとき、そうかな?失敗からも得られるものはたくさんあるのではないかな?と考えていました。

 

 しかし今その言葉は正しいと自分は考えています。

 失敗からは失敗したという経験だけを得ます。そこから成功にむけて反省した内容をもとにまた行動に移せると思うようになりました。そして成功したときに失敗の経験を含め、自身の大きく価値ある経験になると考えることができました。

 

 そして自分は上記にあげた6個の失敗は、反省したうえでもう一度挑戦していました。そして成功してその物事の経験を得ていました。

できていないのではなく、できていたのです!(自分は同じ間違いをすることがあるので、一度できたからと言ってもう大丈夫という考えは持てない人間です。)

 だから自分もすべての人も、一度できなかったからといって落ち込む必要はないとわかりました。

 

“できるまで自ら考え、行動すること”が大事なのだとわかりました。

 

1.自分が行っている仕事や作業は、全体の仕事の中で何を担っているのか、何に貢献できているのかを考えること。

2.自分が今行っている仕事や作業は誰のために行っていることなのか理解すること。

3.今相手のために何ができるのか自分の視野で深く考えること

 

 この3つが意識できると確実に自身を成長することができると確信しています。

 

 

CGN,TALAの皆さん大変お世話になりました。英語のできない自分に優しく接していただき感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

 

 

何度も挑戦します。

 

 

 

~率直な感想~

・すべては気持ち次第、やりたいかやりたくないか。気持ちが強いほど楽しいし、自身の力になると考えています。しかし海外でインターンシップをしたいのであれば、英語ができなければ何も仕事や作業ができないと思います。自分はたまたまできることを用意してくれたので充実した日々になりましたが、英語ができなくて辛かったです。

 

・自分が何を目的にインターンシップをするのか、はっきりと目的を簡潔にかつ具体的に言えるようにすること。これがなければ何の為にインターンシップをしているのかわからないでしょう。実際自分は楽しそうだ!ということだけでインターンシップの機会をいただいたので、CGN,TALAさんにご迷惑をおかけしました。

 

・メリハリをつけて作業を行う、休む時はしっかり休む。食事はとれるときに摂取すること。あれもこれもやらないと気持ちが焦り、結果まったく仕事・作業が進んでいないということが自分にはありました。メリハリつけることが大事だと改めてわかりました。

 

・一番大事なことは謙虚に笑顔で自分にできる行動をとること。人とのコミュニティの中で毎日生活しています。笑顔の挨拶にすべてを懸けました!

 札幌からバギオまでの距離は、約数百キロメートル離れている。しかし私とCGNさんの心の距離は0キロメートルであろう。

 初めの1行の通り、元気と懸命さだけが長所であろう私は「海外でインターンシップって面白そう。環境に配慮する考えとコーヒーというキーファクターに興味がある!」という考えだけで、今回のCGNさんのインターンシップに参加を希望しました。

 

 CGNさん、バギオに来て5日目。いい意味で期待は裏切られました。

 私は今思う。なんて自分はこどもだろう。自分のことは何もできていなく、相手のことを考えていない。「自分はいま、人にいわれたことしかできない。」とネガティブな気持ちが出てきました。

このネガティブな気持ちは私の短所です。

 

 そんな私ができることは、誰のために行動するのかをいつも考え、日々迅速な行動をすることです。この5日間で学びました。

 

 この文章をみていただいている方、どうか厳しい目で見ていただけますと幸いです。よろしくお願い致します。

 

 

馬島捷(マジマショウ)

北海学園大学経営学部3年

FB Sho Majima

現在までの大学生活はアルバイトだけをしていて、高校生まではサッカーばかりでした。

好きな食べ物はカレーライスとラーメン、ガイヤーンにガパオライス。苦手な食べ物は苦い食べ物。

大学2年生の冬時期に、北海学園大学のとあるほぼ認知症教授との出会いから、海外研修でヴィエンチャンとバンコクに行き海外に興味を持ち、現在CGNさんのところでお世話になっています。

ツアーの前半も終わりみんなでツアーを通して思ったことのシェアリングを行いました。その際同席していたCGN顧問、反町の言葉が私を含めアジア寺子屋生の心に響きました。

それは、「パソコンを持っていない、スマホを持っていないなどないもの探しをしても意味がないからあるものの中から数える、あるものの中から探す」という言葉でした。

 

確かに資本主義のものさしでフィリピンを見ると日本よりないものは多いかもしれません。しかし、彼らは豊かな自然資源を持っています。彼らは私たちの持っていないものを多く持っています。そのため私たちができることは、まずは彼ら自身がどれだけ多くの資源を持っているのか知ってもらい、その中から、何かお金を生み出すために知恵を貸したり一緒に知恵を絞ったりすることかもしれません。

 

といいつつ、私自身ないものねだりをしてばかりの生活です。

日本にはないものを求めフィリピンのバギオへやってきて、日本と違ってコミュニティや家族の繋がりが強くていいな、自由でいいなと羨ましい目で見てしまっています。しかし日本には日本の良さがもちろんあります。私自身この言葉は今日本がどれだけいろんなものを持っているのかを見つめなおす良い機会となりました。

 

ツアー後半も密度濃く、様々なアクティビティを行いました。

その中でもアジア寺子屋生にとって特に印象深かったことはバギオからバスで北上すること約5時間の場所に位置する、マウンテン州カヤンでの5日間のホームステイでした。

 

元々バギオのあるベンゲット州の南東に位置する、キリノ州マデラでホームステイを行う予定だった彼ら。しかし出発直前に武装勢力「新人民軍」がマデラにやってきたことを受け、安全を考慮してホームステイを中止にし、代わりとなったのがマウンテン州のカヤンという村。カヤンはカンカナイ族が多く住む村で、村を歩けば至る所にマンゴーの木やパイナップルが植わっているなど自然が多く残る村です。村には「門限」があり、大人ですら夜9時以降は外を出歩けません。「のどか」。カヤンを表現するならばこの言葉がもっともしっくりきます。いつもと異なる村で、いつもより短い期間のホームステイは彼らの目にどう映ったのでしょうか。

 

 

 

私自身、大学ではフィリピンで植林をしながらホームステイを行うサークルに入っています。そのためホームステイへの思い入れはとても強いです。日本とは違うことが多いフィリピンの村を訪れ、その村の家庭に入り、そこで一緒に過ごすのは新鮮なことばかりで日々発見の嵐です。

とはいえ、アジア寺子屋メンバーはいつものホームステイ地と異なることで戸惑う部分も多くあったことと思います。しかし、マデラもカヤンも総じて村全体での団結力や結束力、村のコミュニティの繋がりが極めて強いというところが同じだったという彼らの言葉には、「なるほどな」と納得しました。日本の都会に住んでいると、核家族化が一般的で地域のコミュニティも希薄。ご近所の顔も名前も知らないということが普通にあります。しかしこの地域では道を歩けば沢山の人が声をかけ、お互いがお互いのことをよく知り、困ったときは助け合い、収穫した農作物の交換会が普通に行われています。そういった光景を目の当たりにすると、自然に心が底の方からじんわりと温まります。

 

 

 

今回ホームステイの中で、小学校訪問を行いました。小学校訪問では事前に校長先生からお願いされていた日本のテクノロジーについての発表や、アジア寺子屋生が事前に準備していた日本の世界遺産についてなどの発表をしました。トイレのウォシュレット機能や自動運転の車について解説をし、テクノロジーが進むと便利なこともある一方、3.11での原子力発電の事故のように、リスクも伴うということを伝えました。この発表のために寝る間も惜しんで準備してきた彼ら。リクエストされたことに応えることができたということは、彼らにとっても大きな達成感だったことでしょう。

 

他にも村人と一緒に植林を行ったり、村で毎週末開催されるハイレベルすぎるスポーツ大会に参加するなど、5日間の間に様々なアクティビティを行いました。また自由時間には村の人々と一緒に「上を向いて歩こう」を歌ったり、もち米に甘い味を付けてバナナの葉で巻く「パトパ」というおやつを作るなど、のどかでほほえましい時間を過ごしました。

 

5日間という短い期間でしたが、アジア寺子屋生とカヤンの人々が素敵な関係を築くことができたことは、私自身とっても安堵感を覚えました。

 

 

このスタディツアーは私自身学びの連続でした。最初はフィリピン人とアジア寺子屋生の間にあった距離が、次第に縮んでいき、どんどん積極的に質問をするようになり、コミュニケーションの中でリアクションを取るようになっていきました。これらの変化の過程を見て、スタディツアーはただ学ぶだけでなく、参加者がツアーの中でどのように成長していくのか、変わっていくのかに着目することも重要なんだと知りました。

 

またコーディリエラの自然に囲まれながら過ごすことで、改めて、この地域が持つ自然の豊かさと人々の適度なゆるさの中にある芯の強さ、寛容さに気づくことができました。何よりジプニーの上に乗って自然の風を肌で感じ、胸いっぱいに美味しい空気を吸いながら大自然に囲まれると、自分が小さな人間に思えてきます。そうするとそれまで自分が抱えていた悩みも全て小さなことに感じられました。またこんな最高な感覚を覚えてしまうと、この景色が失われてほしくない、この地域から緑が消えないでほしいと心から思いました。

 

連日フィリピンの家庭料理であるパンシットやアドボなどを大量に食べていたアジア寺子屋生。最終日の夕飯はさすがにピザやパスタといったものが食べたいかなと思いきや、みんな満場一致でフィリピン料理が食べたいとのこと。元々フィリピンが好きだったとは思いますが、このツアーを通してフィリピンのことをもっともっと好きになってくれたかな、と思うと私自身嬉しくなりました。

 

出発直前にホームステイ受け入れ先であるキリノ州マデラに行かれなくなるという緊急事態にアジア寺子屋生も多く戸惑うことがあったと思います。けれどそんな事態にめげることなく約3週間走り抜けたその姿から私自身学ぶことが多い、実りのあるスタディツアーとなりました。

 
その他スタディツアーで行ったアクティビティ
①ポキン村に住む紙布作りアーティスト、志村朝夫さんの工房で紙漉き体験
②イトゴン町にある孤児院「Turning Point」にてバギオを舞台にした映画「クロスロード」の鑑賞会&交流会
③マウンテン州のボントック町にてボントック博物館&伝統的なボントック織りの見学
④③と同州のマリコン村にてライステラスをトレッキング
⑤③と同州のマイニット村にて温泉巡り

 

3日目は朝からアボンのスタッフと一緒に、田植えとカモーテ(サツマイモ)の植え付け体験を行いました。

 

田植え中にヒルに刺される人もいましたが、動じることなく冷静に取り除くその姿は大変たくましかったです。

 

田植えの後に行ったカモーテ植え付け体験では少し驚くことが。

カモーテ植え付けのためのスコップが無く、我々はやることがないなぁとただぼーっと立っているだけでした。スコップが無いならカモーテ植え付け体験もしなくていいかなという雰囲気がただよっていたその時、アボンのスタッフらが竹でスコップを作っていたのです。

 

無いものは無い、無ければ購入するという固い頭を持っていた私たちにとって、ないなら作ろうというスタッフの発想は柔軟で新鮮で、私たちに大きな驚きと感動を与えました。そしてこの経験から、ないならあるものの中で作るというシンプルだけれどとっても大事なことを学びました。

 

4日目はバギオからジプニーで1時間程の距離にあるイトゴン町のルネタ鉱山地域へ。着くとまず目に映ったのは何やら様子のおかしい湖。

 

 

何も知らなければ、エメラルドグリーンの色をしたきれいな湖と思ってしまうかもしれないこのダムは大企業による鉱山開発が落とした影の象徴。なぜならこのダムがこのような色をしているのは、鉱山開発のために使われてきた多くの危険化学物質がそのまま流れていったものだからです。

 

 

この地域ではかつて大企業が鉱山開発を行いました。この地にいた先住民族は自分の土地を追われるか又は坑夫として働いていましたが、生産コストの上昇により企業側が経営難となり、この地を撤退していきました。

 

企業は撤退していったものの、この土地で働いていた住民らは生活をしなければなりません。そのため小規模で採鉱を継続し、現在に至ります。彼らはリスクに対する十分な知識を持たないまま企業が精錬を行っていたやり方をもとに危険物質を使用した採鉱をおこなっています。

 

この日は小規模鉱山開発者の協同組合「ルネタ・マイナーズ・アソシエ―ション」の代表であるラトガンさんからお話を伺いました。今、金は1グラム2500P(日本円で5500円程度)で売れるとのこと。

 

金の採掘は空気の薄い坑道を掘って行い、これは死と隣り合わせの作業。実際に死者をだしてしまうこともあるようですが、彼らには何も保障がありません。

 

今回は現在ほとんど使用されていない坑道を入らせてもらう機会がありました。坑道の中は真っ暗で、空気も薄く中腰で足を進めていくのは体力だけではなく精神的な不安を煽ります。そして坑道を進んで突き当たったところからさらに7~8メートル下降部へと降りる体験もしましたが、降りれば降りるほど空気は薄くなり、こんな状況でアクシデントが起きても冷静な判断などできないと思いました。

 

 

緊張感の走る坑道体験でしたが、後から聞いた話だと普段は7~8メートル降りる作業を20回ほど繰り返し、地下のまた地下へ行って採鉱するということ。気が遠くなるような仕事を毎日行っている抗夫のことを思うと、言葉も出てきませんでした。

 

特に印象的だったのは「ルネタ・マイナーズ・アソシエーション」のジャネットさんが、「この地域では農業ができるわけではないから、自分らは鉱山で暮らしていくしかない」と言っていたことでした。生きる選択肢が鉱山しかない、そんな状況を打破するにはどうしたらいいのか大変難しい問題だなと改めて感じました。

 

鉱山でのスタディツアーの後、みんなでイトゴンにあるスイミング・プール「Mountain View」へと行き、これにてスタディツアー前半は終了となりました。

 

かなりのハードスケジュールだったにもかかわらず、疲れた様子も見せず終始楽しそうに過ごすアジア寺子屋生のパワーに、私自身学ぶことが多くあるツアー前半になりました。

 

続きはアジア寺子屋スタディツアー その③にて

 

お久しぶりです!CGNでインターンをしている吉村 瞭です。

 

2017年8月6日~24日まで、立教大学のフィリピンホームステイサークル「アジア寺子屋」のスタディツアーの企画・コーディネイトを担当しました。

 

「アジア寺子屋」は毎年夏休みにキリノ州マデラという村で約3週間のホームステイを行いながら文化交流を行うサークルです。彼らはこれまでにも何度かCGNのスタディツアーに参加しています。多民族国家フィリピンで、マデラ村を見ただけではフィリピンを知ったことにはならない、もっと多面的にフィリピンを知ろうという目的でツアーへの参加を決めてくれた彼ら。

 

実は私も前々から同じことを感じていました。フィリピンは7109の島々からなり、公用語は英語、タガログ語ではあるものの,それとは別に地域の言語が約80程あるといわれており、それらの言語は地域によって全く異なります。私はそんな多民族国家フィリピンの中の一部を見ただけでフィリピンを知っているとは言い切れないと思います。とはいえ、フィリピンの全部を見ることは中々難しいので、できる範囲でフィリピンの様々な面を学び、それを通してフィリピンは多様な文化が存在していて、どれもが全部フィリピンなんだと知ってもらいたい、そんな気持ちで私もこのツアーに挑みました。

 

実はこのツアー、当初の予定ではCGNがコーディネイトを担当するのは8月7日~10日の四日間でした。しかし出発の直前、マデラに武装勢力「新人民軍」が現れたという知らせを受け、急遽ホームステイの受け入れが中止に。こうした事態によりCGNはツアーの期間を彼らの帰国予定である24日まで延長し、約3週間のスタディツアーを行うこととなりました。

 

私自身、この知らせを聞いた時、頭が真っ白になり何をすればいいのか分からなくなりました。ツアー延長を決めることで、どれだけ沢山のフィリピン人に動いてもらうことになるか、それらを自分でちゃんと把握しきれるか、不安と焦りでいくら深呼吸しても空気が頭に入ってこない状態でした。

 

しかし、CGNスタッフやフィリピン人はこの事態に全く動じておらず、その姿に感謝と尊敬の気持ちでいっぱいになりました。元々フィリピン人の素敵なところだと思っていたハプニングにも動じず柔軟に動く姿はなお一層私の心に強く響くものがありました。

 

このような状況下ではじまった、スタディツアー。参加者のアジア寺子屋の学生さんは計7名でフィリピン5回目というベテランから今回が初海外というひとまで様々。

 
実は今回、今年の1月までCGNのインターンを行っていた山本佳波さんも、卒業論文の調査のためこのスタディツアーに(10日まで)参加!
 
そうしてインターンの先輩である佳波さんが優しく見守ってくださる中、私の挑戦ともいえるスタディツアー始まりました。

 

最初はみんなでオリエンテーションを行いました。

オリエンテーションではCGNの活動について代表のレナートから説明があり、その後ツアー前に事前勉強会ということで私からコーディリエラ地域の先住民族について、この地域が抱える鉱山問題について、植林についてプレゼンテ―ションを行いました。

 

コーディリエラには多くの先住民族が住んでおり、彼らは民族としてのアイデンティティを強く持っています。彼らは民族ごとに言語を持っており、そこには高い誇りがあります。日本人は方言という文化はあれど、地方ごとに言語が異なるということはなく、日本人同士は日本語で会話するのが当たり前。そういう我々にとって、民族によって全く異なる言語を持っている状況をすぐに理解することは難しいかもしれません。ですがフィリピン人という枠に当てはめるのではなく、彼らは何民族なのか、その民族はどういった特徴があるのかなど学ぶことでフィリピンをより濃く知ってもらいたいと伝えました。

 

今回はなかでも、ベンゲット州に多く住むイバロイ族について取り上げました。イバロイ族はラテン気質なフィリピン人が多い中でも珍しく、シャイな人が多いのが特徴。

 

また鉱山問題では、植民地時代より始まる大企業の開発がこの土地にどれだけ大きな影響を与えたのか、歴史を学びながら勉強しました。鉱山=汚い、鉱山なんかやめればいい、そういった安易な答えではここでの問題を理解したとはいいません。この問題の背景にあるフィリピンの社会問題や環境問題についても知ってもらった上で、ではどうしていくべきなのか考えてもらいました。

 

最後の植林では、植林を行う理由や、これからみんなで植える木について勉強しました。

植林というと地球温暖化を防ぐといった、あまりのも大きなテーマになってしまいがちでなんだか身近に感じにくいかと思われます。ですが、植林をすることでその地域の土砂崩れを防いだり、きれいな水を供給できたりと地域への還元力は非常に高いのです。

 

長い座学もようやく終わったところでみんなでバギオにあるセントルイス大学内の博物館へ。ここではコーディリエラの先住民族文化について学びました。

 

ガイドを務めてくれたコロンブスさんの最初の一声、「我々はフィリピン人というより民族としての意識が強く、アイデンティティは民族にある」という言葉を聞き、この地の人は本当に民族に対して高い誇りを持っているのだと感じました。その一方で少し疑問も。今経済成長が著しいフィリピンで、コーディリエラ地域もその影響を受けているのは事実。経済発展がされていく中でせっかくの文化がなくなってしまわないか、何か失われないための努力はなされているのかと不安になりました。文化は変容していくものですが、それによって何か大切なものが失われてほしくないと強く思いました。

 

ここではみんなで伝統楽器を奏でるなど様々な体験も行いました。

 

 

翌日は朝からみんなでバギオからジプニーで2時間程の距離にあるCGNの植林地アンボンドランへ

 

足元が不安定な中、苗木を持ちながら行ったり来たりする作業はなかなか大変で、みんなで声を掛け合いながらベンゲット松を植えました。

 

身体を動かすと自然とおなかがすいてしまいます。

お昼はみんなでフィリピン家庭料理の定番アドボを食べました。アドボとは醤油ベースの煮込み料理で、主にバブイ(豚肉)やマノック(鶏肉)を使用します。

 

たらふくアドボを食べた後に、紙布作りアーティスト志村朝夫さんお手製のコンニャク・アイスクリームをいただきました。

 

この色鮮やかなアイスクリーム、ここには何も着色料などは含まれておらず、ピンクはドラゴンフルーツ、黄色はウコンそのままの色です。

 

その後アンボンドランを後にしてイバロイ族の伝統的家屋をコテージにした「Suvani's Avong Heritage Home」(以下アボン)へ

 

 

ここはイバロイ族の伝統的な生活を守っていきたい、知ってもらいたいという思いから6年前にオープンしたコテージです。

 

この日はここに一泊し、高床式で自然の風を感じながらイバロイ族の伝統的なライフスタイルを体験しました。

 

 

夕飯はピニピカン。ピニピカンとはコーディリエラ地域伝統の料理で、生きた鶏の首を意識がなくなるまでピシピシ叩きます。そうやって絞めることで血、一滴も無駄になりません。今回はこの工程を最初から見学しましたが、みんな目を背けることなく命が私たちのためにささげられる様子を見届けました。

 

日本のスーパーで見かけるプラスチックパックに詰められた肉も全て命をいただいているもの。しかしあのパックは原型をとどめていないため、命をいただいているという気持ちは湧きにくいかもしれません。絞めた鶏をカットしていくと、そこには生まれる直前の卵がお腹の中に。改めて命をいただいているんだなと感じる機会となりました。

 

木の温もりを感じ、自然の音しか聞こえないアボンでの静かな夜に参加者一人ひとりが色々なことを感じながら寝床へと着きました。3日目以降の様子はアジア寺子屋スタディツアーその②にて!