不倫の理由 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

広末涼子のダブル不倫がまだ話題だ。

 

しかし、なんだろうな。

不倫をしていた人間の対応を見ていると、どうにも腹が立つことが多い。

決して不倫を擁護するわけじゃないが、マスコミにバレた瞬間、誰もかれも

まず謝罪するのがどうかなあと思う。

 

たとえ不貞の恋であったとしても、

「私はマスコミにスクープされようが、彼女(彼)のことが本当に好きだから

今の奥さん(夫)とはわかれる!」

とくらい、いい張れる人間がいれば、こちら側としても、

「ああ、不倫ではあるけれど、遊びではなく本気だったんだなァ」と

多少、納得ゆくところもでてくると思うが、ばれた瞬間謝って関係を解消する

くらいなら、やはり遊びだったと思える。

はい、遊ぶ余裕があるほどモテる人たちはいいですね、というように

どこか呆れてしまう。

アンジャッシュの渡部とかもその類。

 

でもどうなんだろう。

オレは結婚してないからわからないけれど、結婚や夫婦といっても所詮書類上の

契約だから、夫や妻ができたあとでも、誰かを好きになってしまうのはしょうがない

ことなのかもしれない。

 

オレが思うに、不倫する人にはふたつのタイプがあると思う。

ひとつは自分がモテると自覚している人間。

もうひとつは逆にモテないと自覚している人間だ。

 

アンジャッシュ渡部や広末涼子は前者。

不倫をする理由として、もしバレても今の妻(夫)は怒る事はあっても

自分のもとを去りはしないだろうという自信がどこかに垣間見える。

だから不貞を働く。

 

一方後者のほうは、なかなかわかりづらいかもしれない。

たとえば芸能人の例でいえば誰だといわれても出てこないし。

 

わかりやすくいえば、モテないと自覚している男の前に既婚女性が

現れて積極的に仲良くしてくれたとする。

すると男のほうは、

「この人は夫がいるにもかかわらず、モテない自分なんかと会ってくれている」

と感情移入しやすくなるのである。

 

そして、夫がいる女性と二人で食事したり映画を見に行っているという

背徳感に心地良さを感じるのである。

そう今までの自分と違う自分になったような気になれる。

 

背徳感は蜜の味だ。

これは前者後者ともに当てはまると思う。

じゃあ自分の奥さんや夫が浮気してても許せるのかといわれたら

それは許せないから人間とは難しい。

 

男女問わず、不倫=モテることのステータスみたいに捉えられている

風潮がどこかにあると思う。

 

そして広末涼子と鳥羽シェフは不倫をしている自分たちにどこか酔っている

ふしがあるように思えてならない。

たぶん、お互い自分たちがモテる人間だという意識があると思うのだが

広末はともかく、シェフのほうはそんなにモテるのだろうか。

キャンドル・ジュン氏の記者会見を見ていたら、なんだか可哀想になって

きてしまった。

 

また、以前にもアメンバー限定記事で関係することを書いたが、

たとえば、肉体関係は一切ないという前提で、既婚者と定期的にふたりで

あって、一緒に映画にいったり飲みにいったりするというのは不倫になるのだろうか。

そこに恋愛感情があるかないかで変わるのだろうか。

男女の友人としてのつきあいと不倫のボーダーがオレにはわからない。

 

そういえば昔ネットだったかで不倫している女性のコメントを読んだのだが、

驚いた。

友人から「不倫するくらいなら結婚しなきゃいいじゃん」といわれたら

「不倫したいから結婚したんだ」と答えたらしい。

やはり人によっては不倫は自分に酔うための禁断の果実かといえよう。