究極の選択 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

地球最後の日が来たらなにを食べるかという問題。

 

大好きなものを腹いっぱい食べるか。

それとも、食べたことのないものを食べるか。

 

悩む。

無難なのは好きなものを食べるほうだ。

食べたことのないものの場合、もし不味かったりしたら

後悔する。

でも、既に食べたことあるものだったら新鮮味には欠ける。

 

難しい選択だ。

オレが好きなものってなんだろう。フィレオフィッシュとおからかな。

うーむ、しょぼい。

 

いわゆるZ世代の人たちはしらないと思うが、オレが中学生の

ときにとても流行った本がある。

「究極の選択」

 

 

内容はいたってシンプル。

選択が難しい2択を集めた本である。

 

代表的なのは、

食べるならどっち!?

「う○こ味のカレー」と「カレー味のう○こ」。

汚い話だが、これが究極の選択の代表的な2択という時代だった。

 

ちなみに上の2択だったら、オレの選択は前者。

どんな味であろうが、う○こは絶対食べたくない。

みなさんはどうだろうか。

とにかく、‘はっきりいって、どちらもヤダ!’というなかから

絶対ひとつを選ばないといけないというのがたったひとつの

ルールだったのである。

 

それはさておき、この本は本当に大ヒットした。

一時期、書店から姿を消したほど売れたのだ。

単純な内容が万人うけしたらしい。

ブームからやや遅れてだがオレも買った。

聴いてなかったけれど、ウッチャンナンチャンのラジオのコーナー

から生まれたんだっけかな。

 

人気に便乗して、「悪魔の選択」とか「地獄の選択」とかいう

パクリ本も多数出版されたのをおぼえている。

 

フジテレビも素人を出演させ、カメラの前で自分が考えた究極の選択を

発表させる特番を組んだことがあった。

それほどのブームだったのである。

 

ところで本題。

この本に掲載されていたわけじゃないが、他のどこかで聞いた「究極の選択」

でずっと永遠の宿題だったような2択がある。

皆さんもご一緒に考えていただきたい。

それはこれ。

 

「地球上で自分だけ死ぬ」か「地球上で自分だけ生き残る」か、である。

 

これ、けっこう難しいテーマだと思う。

辛さの種類が異なるので。

 

「地球上で自分だけ死ぬ」のほうは、とにかく悔しいし納得できないと思う。

‘なんで私だけ???’という思いに襲われながら死んでゆくことになるだろう。

確率的にも納得できないはず。

ただ、無念はあるけれど、ある意味では楽といえるかもしれない。

 

 

一方、「地球上で自分だけ生き残る」のほう。

一見、生きることは素晴らしいように聞こえるが、実際世の中に自分以外の

人間が誰ひとりいないわけである。

もちろん、話す人も遊ぶ人もいない。

これは気が狂いそうになるのではないだろうか。

 

食べ物はどうだ。

人がいなくなってお金を払う必要がないスーパーマーケットなどから

食料を拝借することはできるだろうが、モノのは消費期限というものが存在する。

期限の切れてないモノを永遠に調達することはムリだろうし、自分で狩りや「と殺」

をしないかぎり、食肉も手にすることができないだろう。

 

あと、病気になっても医者がいない。

薬ももらえない。

なので、病気になったとき、ひとりで悶え苦しむのもさぞ辛いと考えられる。

 

どうせ死ぬならば、ひとりで生きれるだけ生きて、自殺すればいいという考えも

あるかもしれないが、聞いた話によると、自殺に失敗したら本当に地獄らしい。

中途半端に肉体や精神が死んだ状態で生きなければいけないらしいのだ。

 

三島由紀夫じゃないが、自分以外に誰かいれば自殺に失敗しても介錯(死んで楽に

なるためのトドメ)をしてくれる人がいるだろうが、自分以外誰もいなければ

それもできない。

 

地球上に自分ひとりとなっても、全然平気という人はいるだろうか。

 

それを考えると、オレはこの選択、大変不本意ながら

「地球上で自分だけ死ぬ」

を選ぶかもしれない。

 

サブカルテーマだが、メインテーマが哲学みたいに重くなってしまった。

 

とりあえず今回は懐かしのサブカルチャーをひとつ取り上げてみた。