異性からはじめてあだなで呼ばれた日のことをおぼえてはいる
だろうか。
昔から地味で女子と気軽に話せない性格だったこともあり、
小学生時代から中学時代まで、女子からは上の名前で呼ばれたこと
しかなかった。
なので女の子からはじめてあだなで呼ばれたときのことは今でも忘れない。
高校1年生のとき、斜め後ろに座っていた派手でケバいけどキャラ的には
おバカで可愛い女の子だった。
中学生のときはクラスのカーストで3軍だったが、高校入学してから
たまたま一番仲良くなった友人(男)がヤンキーだったことで、オレのまわりにも
自然と派手な奴らが集まり、また目立つ女子もオレに話しかけてくれるように
なったのがきっかけだった。
オレの名字が○○○○なので、その女の子はオレのことを名字の上2文字を
とって「○○ちゃん」と親し気に呼んでくれた。
男子からは同じあだなで呼ばれたことはあったが、女子からあだなで呼ばれた
ことははじめてだったので正直、めちゃくちゃ嬉しかった。
照れ隠しで「なんだよ、その呼び方~!」とか口ではいっていながらも
夜ひとりでベッドの中でその女の子が口にしてくれる「○○ちゃん」という
言葉を頭のなかで何度も反芻しながらひとりでニヤニヤしていたものだ。
小中学校のときから異性と当たり前のように話せた者どもよ。
キモイと思うなら思うがよい。
クラスのカースト底辺にいた人間の気持ちなど貴様らにはわからないだろう。
今はいじめにつながるという理由であだなを禁止にしている学校があるそうだが
それも微妙なところである。
たしかに外見を揶揄するようなあだなはいじめにつながるが、親しみのある
あだなはあったほうがよいと思う。
そう、そう、
後悔はしても反省はしないひねくれポジティブ人間のこんなオレだけれども
つい最近、反省したことがひとつある。
周囲にはたくさんといっても過言でないほどの友人知人が存在するのだけれども
誰ひとりとして、オレのほうから愛嬌あるあだなをつけてあげたことがなかった。
もう既に別の誰かがあだなをつけていたから、それで呼んでいたというのもあるが
オレ自身が先陣をきってあだなをつけるのがこっぱずかしいというのもあった。
今日、あだなについて書こうと思ったのは、つい最近、あだなづけの名人の
ような若い人にあったから。
仮のその人をAさんとして、Aさんとは先週末はじめてあったのだが、
あったその日にもうオレのことを親し気にあだなで「○○さん」と呼んで
くれた。
嬉しかった。そして、なんだか気持ちよかった。
同時にこの人は人から人気あるだろうな、と思えた。
あだなをつけること、あだなで呼ぶこと。
これもひとつの才能だと思う。
そう、オレにはない才能。
そんなこともあり、叫ぶ詩人の会の「あだなの詩」を思いだした。
おそらく同窓会的なバックの世界観で作られた歌。
ワッキー 最近新車を買った
ホッシー レコード会社で働いている 仕事が辛いらしい
…
プリンチャン 行方不明
カメ子 一児の母
…
などと、まず最初に(クラスメート?)のあだなをいい、
そのあとに現在どうしているかを続々と歌う歌。
それの繰り返し。
いかにも叫ぶ詩人の会らしい構成の詩である。
あだなというのもひとつの財産だと思う。
ただ、人が不快になるようなあだなをつけて、そのあだなが浸透する
のをみて「オレがあいつにあのあだなをつけたんだ」と悦に入っている
やつもいるが、そういうのは最低である。
あだなは財産でもある反面、凶器にもなる。
人にあだなをつけるときは、呼ばれたほうが嬉しくなるあだなに
しよう。
※この記事はタイマー更新です