絲山秋子「忘れられたワルツ」 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

 

 

それで結局のところ、男性の下着において女性の意見としては

「ブリーフ派」と「トランクス派」のどちらが多いのだろうか。

 

いや、今でこそボクサーパンツというブリーフとトランクスのハーフの

ようなスタイリッシュなパンツが登場したから、それがベストだといえる

ものの、オレらが中学校から大学くらいまでの間は男子は白ブリーフか

トランクスの2択だったのである。

だから気持ちを十数年前にタイムトリップして考えていただきたい。

 

男の意見としてはブリーフはピシッと締まるんだけれども、見るからに下着という

感じがして、なんか生生しく抵抗があるのである。

トランクスは夏は涼しいし、ビジュアルは短パンぽいので人に見られることには

あまり抵抗がないが、締まりは悪い。

ずうっと昔、「笑っていいとも!」で、この2択でどっちが好きかというコーナーを

やっていて、森口博子はブリーフのほうがピチっと引き締まってみえて、

トランクスはなんかヒラヒラしているから、ブリーフのほうがいいといっていた。

ちなみにトランクスだと横から見えそうだからいやだと(爆)

 

ボクサーパンツがまだない時代、ある意味で究極の2択である。

 

オレはトランクス派なんだな。この2択でいえば。

ブリーフってやっぱり男同士で着替えるときでも、やはりなんかちょっと恥ずかしい

のがある。いかにも下着って感じで。

だけど、トランクスだと抵抗ないのだ。

やはりビジュアル的に生生しくないからだと思う。見た目先行。

 

遅いか早いかわからないけれど、高校1年にブリーフからトランクスに変えた。

生まれて初めてトランクスを穿いたときは、ちょっと大人の階段上ったような気がした

ものである。

 

オレの好きな作家のひとりに絲山秋子がいるのだが、最近読んだ絲山秋子の

短編集の話のひとつのなかに、そんな男の下着(ブリーフ)にかんする文章があった。

以下。

 

――

「(ズボンの呼称について)パンツはだめだな。あとブリーフケースっていうのもだめだ」

ブリーフケースといわれると、どんな高価なバッグであろうともそこに白い下着が入っている

映像が浮かんでしまうのだ。

そうだ。おれの男としての自立はブリーフがいやだとおふくろにいったことから始まった。

(中略)

トランクスに変えてから、たとえば体育の時間とか、たまに家族旅行で行く温泉なんかで

ブリーフを穿いた子供を見ると相手が非常に幼く見えたもんだった。

 

これはオレだけじゃなく、思春期男子あるあるだと思う。

絲山秋子は女性なのに、思春期男子の心情をよく捉えているのがすごい。

 

太宰の小説みたいに読み手が「これってオレの話じゃないの?」という感覚になる

作品が多いのである。

 

他の短編もそんな描写が多い。

 

――

地震計を見つめる旧友と過ごす、海辺の静かな一夜(「強震モニタ走馬燈」)、

豪雪のハイウェイで出会った、オーロラを運ぶ女(「葬式とオーロラ」)、

空に音符を投げる預言者が奏でる、未来のメロディー(「ニイタカヤマノボレ」)、

母の間男を追って、ピアノ部屋から飛び出した姉の行方(「忘れられたワルツ」)、

女装する老人と、彼を見下ろす神様の人知れぬ懊悩(「神と増田喜十郎」)他二篇。

「今」を描き出す想像力の最先端七篇。

(amazonより引用)

 

3年くらい前にも記事で紹介した絲山秋子の「薄情」もたくさんの読者さんや、

友人からも共感を頂いたが、絲山秋子という作家はみんなが思っているけど

なかなか声を大にしていえないことや、いったら変人だと思われそうなことを

小説の場で代弁してくれている作家だといえよう。

 

この短編集のはじめの話は「恋愛雑用論」という話なのだが、そこでは

『恋愛とはすなわち雑用である。不用ではなく雑用である』

と書いている。

さりげなく深い。いいたいことは伝わってくる。

 

「葬式とオーロラ」という話では、

『努力が報われるのだったら、ストーカーなんてものすごい努力してるぞ。

そうじゃないだろう』

というやりとりがある。好きだ。

 

表題作にもなった「忘れられたワルツ」では

『風花にはピアノの才能がなかった。姉に言わせればその段階は「ピアノの才能」

というレベルではなく、「練習する才能」のことらしい』

という文がある。

鋭い。たしかに練習の才能ってあって、すべてはそこからかもしれないと思った。

 

今まで絲山秋子の本を何冊も読んできたが、正直ストーリーをまともに憶えて

いる作品はほとんどないかもしれない。

絲山文学はストーリーよりも、あちらこちらに散りばめられた共感が魅力的なのだ。

 

いいたいことがあるし自分は間違っていない自信あるけど、これをいったら自分が

ヒネクレ者、悪者に見られるかな……

というような価値観をたくさん抱いている人には絲山文学はおすすめかもしれない。

個人的には今回紹介した本よりも「薄情」のほうがおすすめである。