ボウリング・フォー・コロンバイン | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

いろんな制度に問題はあるかもしれないが、それでもなんだかんだで

日本はいい国だといえるかもしれない。

当たり前になりすぎてなにも感じなくなりがちだが、水道水を普通に

飲める国というのはとてもありがたいことである。

外国で水道水飲んだら間違いなく腹がクラッシュする。

先進国のアメリカでさえ、ホテルの水とかは飲めないはずだった。

夜中に喉が渇いて冷たい水が飲みたくなったらホテル1階のストアまで

買いにゆかないといけなかった。

 

あと治安というか安全面。

漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」で、

なにからなにまで警官を頼りにしようと派出所にやってくる市民たちを

うっとうしがる仕事嫌いの主人公警察官・両津勘吉が

「いっそのことアメリカみたいに銃を自由化して自分で身を守らせれば

いいんだ」といい、同僚の警察官に「ばかいえ、こっちの身が危なくなるぜ」

と言い返されるシーンがあった。

 

まったくそのとおりである。

真田広之が主演していた映画「新宿鮫」で、警官に恨みがある青年(浅野忠信)が

次々と警察官を射殺してゆくというのがあったが、まさにそれに似たような事件が

何件も起きているかもしれない。

 

それとテロ。

日本は銃が自由化していないから、世の中に追いつめられた人間や、ちょっと

イッチャッている人間が、無差別殺傷事件を起こす際、使用する凶器は包丁や

武器用ナイフなどの刃物がメインとなっているが、もし銃が自由化していたら、

池田小襲撃事件の宅間守や、秋葉原事件の加藤智大は、もしかしたら凶器に

拳銃やライフルを使っていたかもしれない。

そうしたら、もっと多くの被害者がでていただろう。

 

オウム真理教も幹部がロシアまでいって小銃の調達をもくろんでいたようだから

早めに潰しておいて正解だった。

オウムがあのまま警察に踏み込まれないでいたらと思うとゾッとする。

 

しかし、アメリカは日本と違って今でもまだ銃社会。

アメリカはアメリカで素晴らしい面も当然あるのは認めるが、銃が自由化してると

思うと、やはり日本に生まれて良かったと思う。

 

数年前に友人から強く勧められた映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」を

この前やっと鑑賞した。

 

 

 

――

マイケル・ムーアが、『ロジャー&ミー』や『ザ・ビッグ・ワン』でやったように、アポなし突撃取材で

挑んだ優れたドキュメンタリー映画。

今回のターゲットは「銃規制」。この主題をとりまくあらゆる論争を巧みに展開、それらの論争を

打ち負かしていくが、「他の民主主義国家に比べて、どうしてアメリカ人は互いを殺しあうのか?」

という問題の答えはなかなか見つからない。

コロンバイン高校銃乱射事件や、ムーアの地元ミシガン州フリントで起きた6歳児の発砲事件に

フォーカスを当て、探求は進む。コロンバイン高校銃乱射事件を引き起こした生徒が銃を購入した

大手ディスカウントストアのKマート本社に乗り込んだり、全米ライフル協会(NRA)会長、

チャールトン・へストンの自宅を訪問、アメリカ国内での銃規制に反対する人々や組織に説明責任

を求める。ムーアの切り口には、ユーモアと感情があり、ただの熱血漢で終わっていない。

ムーアは、犯罪のはびこる世の中において、真に良識のある発言者となりつつある。

(amazonよりレビュー引用)

 

こんなアメリカに誰がした!?をテーマにご存じマイケル・ムーア監督が銃社会にメスを入れ

各方面の人物などにアポなしで取材に出向く。

 

ドラマではなく、いわゆる記録映画である。

今の映像と過去の映像などを交錯させて話はすすむ。

映画でいえば「夜と霧」も一種の記録映画だったが、こういう構成は嫌いじゃないかも

しれない。

 

乱射事件の犯人が事件前、アーティストのマリリン・マンソンに傾倒していたとこのことで

メディアは事件の要因のひとつにマリリン・マンソンが影響していると報道した。

それについてマイケル・ムーア監督はマリリン・マンソンにも取材をしている。

 

このように銃についてだけでなく、事件が起きるととにかくなんでも原因となる悪者を

設定したがるメディアの報道の仕方にも追求している。

 

これは記録映画だし、レビューにもたくさん書いてあるからオチもなにもないので書いて

しまうと、終盤でマイケル・ムーア監督は銃弾を販売するKマートというディスカウントストアの

本部に乗り込み、銃弾の販売を辞めるよう訴える。

そこで社会的にもひとつの結果をしっかり出しているのは素晴らしいと思った。

 

しかし、銃というものはやはりなにか魅力というか魔力のようなものを持っているのだろうか。

オレも小学校から中学校にかけてエアガンやモデルガンに熱狂した。

子供ながらにこれは人を殺傷するための道具のオモチャだとわかっていながらも大好きだった

のだ。今はもう買ったり集めたりはしていないが決して嫌いではない。

戦車や戦闘機のプラモデルもそう。男の子はみんな通ってきた道である。

人間て、そのへんは不器用にできているものである。

 

この『ボーリング・フォー・コロンバイン』。

世直しの手段として、こういう映像で発信する手段もあったのかという感じは受けた。