死への離陸 | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

学生時代から就職するまで働いていたバイト先のガソリンスタンドの所長が

今年1月に亡くなったことを日曜日にしった。

 

きっかけはネットだった。

日曜日の昼、ネットサーフィンをしていて、なんとなくその所長のことを久々

思いだし、もしかしたらだけどSNSかなにか実はやっているかもしれない

と思い、フルネームで検索を掛けてみたのである。

虫の知らせだったのかもしれない。

 

そうしたら某県(所長は地方から赴任で東京にきていて退職後に地元に戻ったのでその県)

で亡くなった人を報告するお悔みサイトのようなものがヒットしたのである。

どうして?と思いながらそのサイトに羅列されている亡くなった人の名前を見て

いったら、その中のひとりに所長の名前があった。

しかも年齢まで同じ。

 

驚いてそのバイト時代の先輩にLINEで連絡した。

そしたらその先輩がまた別の先輩に連絡してくれていろいろ確認を

とり、また連絡してくれた。

どこにでもいるような名前じゃないので同姓同名の可能性はないと思う。

どうやら本人で間違いないらしい。

 

本当に驚いた。

バイトを辞めてから1度か2度、飲み会であったけれど、それでも、もう

15年かそのくらいはあっていなかったが、ついこの前亡くなっていたなんて。

オレより10歳ほど上だから、まだ若いといえば若い。

 

病気だったのか事故だったのかわからないが、とにかくご冥福をお祈りしたいと

思う。

 

数年前も同じ職場で年齢もみっつよっつしか違わない女性がひとり病気で亡くなった。

そのすこし前には、お世話になった社長がまだ50歳ちょっとで病気で亡くなった。

さらにその前には、ミクシィ上で再会した同級生がわずか40歳で病気で亡くなった。

ミクシィのやりとりで卒業以来はじめて会う約束を交わしたが、結局果たせなかった。

 

身近な人間や知っている人間がだんだん亡くなってきてもおかしくない年齢に

なってきたんだなあとつくづく痛感する。

 

そういうオレも、正直今いろいろあって生きるのが辛い。

 

この前、NHKでエヴァンゲリオン監督の庵野秀明に密着する番組をやっていて

観ていたのだが、モノを創ってゆくうえで、庵野監督も自殺を考えたことがあると

インタビューで語っていた。

 

ビルの屋上から飛び降りることや電車に飛び込むことを考えたという。

とどまった理由として、

「死ぬのはいいけど、最後に痛いのが嫌だったから」

と語っていた。

 

一見笑い話のように聞こえるけれど、その気持ちすごくよくわかる。

オレも似たような思いだったから。

自分は度胸がない臆病者でちょうど良かったと思う。

もしオレにその痛みを受け入れられる度胸があったら、とっくに決行

していたかもしれない。

 

周囲に向かったり、あるいはSNS上において

‘自殺は絶対ダメ’と自信を持って発信する気力が今はない。

でもそこは命についてもう一度じっくり考えないといけないのだと思う。

 

誰だっただろうか。

友達から聞いたのか、どこかの作家がエッセイで書いていたのか忘れたけど

どこかで

 

「あなたが死にたいといった今日は、昨日死んだ人が生きたかった今日なんですよ」

 

という台詞を聞いた。

 

そうだろうな。きっと50代で亡くなった所長ももっと生きたかったんだろうなと

思う。

亡くなってしまった人からすれば、その命私にちょうだい、といいたい

だろうな、と。

 

ただ、生きている以上、誰がいつどうなるかわからない。

 

人生は旅だとか航路だとかによく例えられるけれど、別にマイナス思考とかそういう

ことじゃなく、人はみな、生まれた瞬間、死に向かって旅だってゆくのは事実だと思う。

 

老眼も始まった。

デカ盛りが食べられなくなってきた。

老いも間違いなくきている。

 

 

どこでいつどうなるかわからない以上、精神論や前向き夢物語に縛られるのは辞めて

生きないといけないなと最近改めて感じ始めた。