セミの抜け殻は好き?嫌い? | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

週に一回くらい前を歩く公園がある。

その公園の入り口のところにある切り株の上。

 

 

セミの抜け殻が意図的に置いてあった。

 

実はこれを撮影する数日前はもっとたくさん……

そう、まさに切り株の表面を覆い尽くすくらいのセミの抜け殻が

たんまりと置いてあったのだ。

数日経過している間にその多くが風で飛ばされていって、溝にはまっている

数匹ぶんだけがそこに残ったのだろう。

 

公園で遊んでいる無邪気な子供たちが、とくに目的もなくひたすらセミの抜け殻を

探しては切り株の上に溜めて遊んできた光景が目に浮かぶ。

 

そうそう、後日ラジオを聞いていたら、こんなテーマをやっていてリスナーから

の声を募集していた。

 

「セミの抜け殻は好きですか? 嫌いですか?」

 

そういう流れで今回は久々すべての読者さんが読める記事を書くことにした。

 

みなさんはセミの抜け殻、好き?それとも嫌い?

 

オレは好きである。

 

外を歩いていて綺麗な抜け殻を見つけたら、そっとそこから外して、潰れないように

手のひらに乗せて指で囲いながら家に持ち帰り、部屋の網戸の外側に

くっつけたりしている。

というか、現在進行形でこの記事を書いている今も部屋の網戸の外側に一匹

くっついている。いってみれば真夏の夜の飾りである。

 

目を閉じなくとも思いだす少年時代。

 

夏休みに神奈川にある大叔母の家に泊まりにゆくのが恒例だったのだが、

そのころの夏は今ほど殺人的に暑くもなければクーラーもそこまで普及していなかった。

夜は網戸から抜けてくる夜風で十分眠れた。

 

夜、網戸のまま布団に入っていて、眠る前にふと位置的に頭の上にある網戸を観たら

裏の林から飛んできたであろう、コガネムシやカナブンが網戸の向こうにくっついたりしていた。

比較的虫好きだった少年としては、その小さな来訪者の姿に小さなときめきに近いものを

感じたものだった。

「ああ、今は東京を離れた夏休みの夜なんだなァ」

と。

 

もちろん、虫ならばなんで良いというわけではなく、誤記鰤などはゼッタイお断りだが

コガネムシやカナブンなど愛嬌ある虫たちの存在には純粋にノスタルジーを感じてならないのだ。

 

だからオレが今、外でセミの抜け殻を見つけたら持ち帰って網戸の外側にはりつけるのは

あのころの景色と気持ちを大人になった今、再生させようという願望からきているのかも

しれない。

 

網戸っていう存在は「現実世界」と「夏という季節」をつなぐ境界的な扉に思えて好きだ。

ここまで暑くなると、さすがにエアコンつけないとやっていけないから、当然ガラス戸を

ぴしっと閉めるため、いまやもう網戸が網戸として使われる機会が損ねられてきているようで

なんか残念である。

 

大叔母の家で夜、網戸の向こう側から聞こえてくる小田急線のカンカンカン……ていう

踏切音もなんか大好きだった。

 

実際異なるのか、あるいはオレだけがそう感じるのかわからないが、小田急線の

踏切音って、他の鉄道会社と違うよう聞こえる。

 

JR、京王その他の路線の踏切音は無機質で機械的だけど、小田急線の踏切音は

なんとなく湿っていて夏の夜に響きやすく、そしてどこか切ない。

 

それが、たまらなく好きだった。

 

東京を離れた夏休みの夜、数分ごとに遠くから網戸を抜けて聞こえてくる小田急線の

踏切音を子守歌替わりにして眠っていたものだった。

 

話をセミに戻そう。

 

セミの抜け殻が好きなもうひとつの理由。

 

ノスタルジー抜きにしても純粋にあの造詣はアートだと思う。

 

あれがそのまま中身詰まっている幼虫ならば、別に興味ないのだ。

脱げ殻なのに、あそこまで原型をとどめているというのが冷静に考えてすごい。

 

脱皮する部位がボディだけだとかならば各段大したことはないのだ。

だけどあんな細い足のつま先から、綺麗にすべて抜けているというのが

自然の神秘とした思えない。

目の部分の丸みとかももうたまらん。

「脱皮」という行為はほんとうにすごい。とくにセミは。

 

でもやはりそのまるまる残っているというリアルさが逆に気持ち悪いという

人もいるんだろう。

あるいは抜け殻以前にもう虫自体がダメという人。

 

そのラジオをリスナー投票の詳しい結果はおぼえていないが、女性男性ともに

意見はバランスよくわれていたと思った。

 

好きな人には好きな理由があるし、嫌いな人には嫌いな理由がある。

 

今年は梅雨が長く押したから、そんな抜け殻たちを見られるのももうすこしの間

かもしれない。

 

複雑な心境である。

「夏」はノスタルジーがあって好きなんだが、「今の暑さ」は嫌いである。

 

 

ついでだが、夏のノスタルジーといえば先日地上波で放送されたアニメ映画

「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」

を観たことを報告。

 

 

 

 

 

ご存じのとおり、これってもともとは昔フジテレビで放送されていた「if ~もしも~」

っていう「ゲームブック的なドラマでやっていた話だった。

たしかヒロインが奥菜恵だったことはおぼえているけれど、内容までおぼえて

いなかったので、今回改めてアニメ版でみて、ああ、こういうことを伝えたかったのね

と理解した。