セブン | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

人からおすすめの映画や小説を教えてもらうことは少なくない。

だけど、面白いということを聞いたあとにひとこと「でも……」と続き、

「読み終わったあと辛くなる」

「オチが切なくてブルーになる」

と補足されることが多い。

小説でいえば湊かなえ作品、映画でいえばミリオンダラー・ベイビーなど。

とにかく、おすすめで面白いけれど観たあとは沈むよ、という助言である。

 

で、実際にその小説を読んだり映画を観たりするとたしかにバッドエンドでは

あるのだけれど、結果としてそこまで感情が沈んだ経験はないのだ。

むしろ、オレ的には大歓迎なラスト。

 

正義は勝つ。

出逢った男女は結ばれる。

努力をしてきたチームは日本一になる。

 

すべて……

 

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そういう古い体育教師的な精神論の幻想教育を野放しにしてきた結果、

社会にでて現実からカウンターパンチをくらったナイーブな人間が打ちのめされ、

ロープでつくった輪っかの中に首を通してしまったり、通販で練炭を購入してしまうのである。

 

勧善懲悪、努力は報われるといったハッピーエンドな世界観ばかりがはびこっていた

表現の世界に一石を投じたのが湊かなえやその他の表現者の方々だろうと考える。

 

世間一般多数にとってのバッドエンドが、どうやらオレにとっての後味の良いハッピーエンドの

ようである。

 

根がひねくれているせいか辛酸をメガジョッキで呑まされてきたせいか、物語あるいは

主人公が幸せに終わると、どうしても‘予定調和’‘現実離れの夢物語’というふうに捉えて

しまう。

 

逆に物語や主人公の結末が最悪で終われば、

「ああ、この作者(監督)は現実の理不尽さをしっかり隠さず描いているじゃないか」

と感心し、オレにとっては後味が非常に良い。

 

でも世間多数はやはり幸福な結末のほうが気分いいのだろう。

そこがオレとその他大勢の絶対的に縮まらない温度差。

 

でも、ただ単純にひねくれているからというわけではない。

やはりどうしても……

やって報われた人間より、やっても報われなかった人間のほうに共感してしまうのだ。

まわりに流されてとりあえず正義の立場にいる人間より、たとえそれが歪んでいたと

しても自分の確固たる思想を持った悪のほうに多少の魅力を感じてしまうのは事実である。

 

先日、上野の美術館にいった記事を書いたが、常設展のほうはキリストに関する絵画が

多かった。

それを観て、ふと思いだしたひとつの映画があった。

最初に観たのはもうずっと前だが、ブラピとモーガン・フリーマンが共演していた

デビッド・フィンチャー監督の「セブン」である。

 

 

 

――

デビッド・フィンチャー監督、ブラッド・ピット、モーガン・フリーマン共演によるサイコサスペンス。

キリスト教の“七つの大罪”になぞらえた連続殺人事件を追う、ベテラン刑事・サマセットと

新人刑事・ミルズの姿を描く。

(amazonより引用)

 

 

‘肥満’で太った男が殺され、‘強欲’で弁護士が殺されるなど、解説にあるとおりキリスト教の

七つの大罪になぞられて猟奇殺人が繰り返されてゆく。

その事件の犯人を追うブラッド・ピットとモーガン・フリーマンの老若コンビ。

 

なんと表現してよいかわからないけれど、この作品の後味の悪さほど爽快なものはなかった。

 

7つの殺人を成し遂げようとする犯人、そしてそれを阻止しようとする刑事コンビ。

最後の殺人の成し遂げられ方と、そこまでの流れ構成は見事。

 

犯人役として登場するケビン・スペイシーのキャラも良い。

サスペンスやミステリーにおいてたいてい犯人という存在は、実は最初から主人公のすぐ

そばにいたか、あるいは最後に急に出てくるかというのが相場だが、ここでは漫画の

「サイコメトラーEIJI」の犯人のように途中さりげなくモブ的に登場していて、のちに改めて

アノ時にいたアイツがそうだった!といった演出にしているのも芸細かい。

 

この「セブン」のような「完成された後味の悪い作品」は大好きだ。面白い。

 

なんでもかんでもハッピーエンドに結び付けるような予定調和作品よりはるかに

エンタメとしての後味は良い。

 

ちょっと辛口なこといわせてもらうと、「セブン」を観終わったあとブルーになる

人は現実でまだまだ理不尽な目にあっていない余裕ある生活している人かなあとも

感じるかもしれない。