応援歌の「お前」は失礼なのか?という論 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

昔の映画やドラマ、とくに男女のラブストーリー。

 

監督や主演をしていた役者さんが十数年後にテレビ番組にて

当時の撮影エピソードを話していることがある。

 

けっこう耳にする裏話のひとつが以下のコレ。

 

「ふたりで向き合い立っているキスシーンにて、男優さんよりも女優さんのほうが

背が高かったため、男優さんには台の上に乗ってもらい、女優さんに見上げてもらうよう

にしてキスしてもらった」

という話。

 

撮影側がそうする演出の理由としては、純粋に「絵になる」からただそれだけだと思うが、

ちょっと冷静に掘り下げてみよう。

 

生物学的なことも含めて考えれば昔も今も女性より男性のほうが平均的にたしかに

身長が高い。

でもそれはあくまで、平均である。

 

男性の平均身長以上に身長がある背の高い女性だっているにはいるし、

女性の平均身長よりも身長が低い男性だっている。

カラテカなんて矢部も入江も小さかった気がする。

 

街を歩いてても、ごくまれに女性のほうがあたまひとつぶんくらい高いカップルを

見たりする。

 

なので、ここを掘りさげて考えれば、キスシーンにて女優さんのほうが背が高かった場合

俳優さんに台に乗ってもらい、女優さんに見上げてもらわないと絵にならないというのは

一歩間違えば、女性は小柄のほうがかわいらしい、という差別に捉えられる可能性もあるし、

男性は女性より高身長じゃないとかっこつかない、というような誤解またはプレッシャーに

捉えられる可能性もあると思う。

 

かといって、チビの春日俊介と大柄なエルが繰り広げるラブコメディ「THE♡かぼちゃワイン」

のように、小柄な男子と背の高い女子の凸凹カップルみたいにそれを大々的にウリにして

しまうのもまた違う。

 

あくまでも、男女の身長逆転現象をアピールせず、ごく自然なカップルとして話がすすんで

ゆくのがリアルというものだ。

 

まあ、俳優さんがキスシーンで台に乗って女優さんがわざわざ見上げるという演出については

「だったら最初から相手役の女優よりも背の高い俳優をキャスティングしろよ!」とも思うが。

 

だが、今のところこの構図、裏話につき、背の低い男性はもちろん背の高い女性からもクレームが

きたというのを聞かない。

 

これはもう昔から当たり前の図だから、男女差別だとか身長差別だとか偏見演出だとか

‘今さら’といった感覚なんだと思われる。

 

映画やドラマにおいて、男も女も「カップルは男のほうが高いのが当然」というイメージが

刷り込まれているからこれはこれで正解の演出であり、たとえ背が低くても男性もときには見上げろ

という議論はするまでおもないだろう。

 

これを踏まえてだが、先日ちと興味深いネットニュースが目に入った。

 

プロ野球の中日ドラゴンズ球団と与田剛監督が、自分のチームの応援団にたいして

打者が打席にたった際に歌われる応援歌の歌詞にある

「お前」

という表現を辞めてくれと訴えかけたとのことである。

 

詳しく歌詞はしらないが、「お前が打たなきゃ、誰が打つ!」みたいな感じ。

 

監督いわく、「お前という表現が不快。まだ呼捨てのほうがいい」

球団いわく、「お前という呼び方が子供たちの教育に悪い」

とのこと。

 

やっと出たか!この話題!

実はオレは子供のころテレビで野球を観ていたときから、ちょっと考えていた。

後だしジャンケンみたいに思われそうだが本当に。

 

と、こうはじめると例によって、オレが監督と球団側に賛成だと思われそうだが、

さすがに今回は応援団寄りの声である。

 

応援歌の「呼捨て」や「お前」は別に選手を見下しているワケじゃなく、ノリとリズムで

ファンが一体になれるというだけのことである。

 

冒頭で書いたキスシーンでいえば、今さら「台に乗るな」というのと似たようなもんで

今さら「選手にお前というな」といういう内容に近い。

 

もともとは「御前」という尊敬を意味する言葉だったら、今の日本ではもう

完全に同等かもしくは見下す呼び方になってしまってるから、いわれたほうは

たしかに気分いいとはいえないかもしれない。

 

使い勝手がいいので、オレも小学校のときは友人たちに向かってたまに

「お前!」といったりしていてその友人から注意されたことがあった。

それでも一定時期そう呼んでいるともう習慣になってしまい、治らず、

「だから、人に向かってすぐお前というなって、何回いったらわかるんだお前は!!」

とキレられたり。

 

でもやはり、日常と応援歌は違う。

応援歌で選手にむけていう「お前」は日本に昔からある礼儀とは別のフォーマット。

 

 

なので誤解ないよう、結論だけいってしまえばこの騒動にかんしては

応援団の人たちを応援したい。

 

 

だからといって別に監督や球団が悪いとかオカシイとかは思わない。

 

オレがさきほど「やっと出たかこの話題!」と書いたのは、正解か間違いかとかいう問題

じゃなく、やっとそういう細かいところに気づいて指摘する人がでてきて、それが話題になった

ということ。

 

細かいところを哲学してしまうオレだけに、ゴリゴリのスポーツマンだと思っていた

与田監督がそこにふれたのは嬉しかった。

そして気持ちもある程度は理解できるのだ。

 

もう何度か書いているが、小学校高学年のときは仲の良い同級生とかと学校が終わった

あと、草野球とかしていた。

それぞれ個人が贔屓の球団の実在の選手になりきって打席に立つという、プロ野球ごっこ

でもあった。

 

同級生が1つ2つ下の弟や近所のシモベを連れてきて混合チームもできたりした。

その際にいうまでもなく友人の弟などが同じチームになるわけだが、オレが打席に

たった際、清原になりきっていたとしたら、応援歌の清原という名前部分をオレの名前にして

「かっとばせーー!○○!(オレの名前)」

とオレに向かって呼捨てで叫ぶわけである。

 

正直、ちょっとムカっときた(笑) 

「お前」ではないが、ずっと言葉使いや敬語をテッテーして生きてきたほうなので。

 

でも、これこそ本当のプロ野球の応援とおなじであくまでリズムなのである。

 

「かっとばせーー!○○さん!」

とサン付けすると、リズムも悪いうえ、命令系で叫んだあと急に丁寧敬称で呼ぶから

ヘンになる。

その同級生の弟やシモベたちも、普段はしっかりと年上の人間には「くん」をつけて

読んでいた。

 

なので、そこはちゃんとわけて考えて、応援の「お前」はアリでいいと思いつつ、

今回の与田監督の気持ちもいくらかわかる。

 

ただ今回は聞く限り、グラウンドで実際にプレイする選手ではなく、監督と球団が不快

とのことだったが、これがもしプレイしている選手たちの声だったら、それはそれで

しっかり考えないといけない。

 

あだ名と同じ理論。

応援しているほうが、「見下しじゃなく親しみを持っているから呼ぶ」とか、

「昔からお決まりのフレーズというだけ」といっても、いわれている本人たちが

嫌がっているならば、辞めるべき。

 

 

ヘンなあだ名をつけられて、それを親しみゆえといわれても不快になる人は多いだろう。

タメグチも同じ。

親しいからタメグチで話すという人間が多いが、それを不快に感じるかどうか、

許容するかしないかを判断するのはあくまで目上、年上のほうである。

 

オレは相手によって挨拶を変える人間と、敬語使えない人間だけは認めない。

いちいちキレたり注意しないけど、そこでこいつはもうダメだ、と見切る。

自分で気づくか一度誰かにキレられないと意味がないし。

 

前者は朝、オフィスとかで後輩や部下が挨拶してきたときは、まともに目もあわさず仏頂面で

小さく「うーす」とかいうクセに、そこに社長とか偉い人が出社してきたら、急にハキハキした

大声で「おはようございます!!」とか態度をコロコロ変えるカメレオン人間をいう。

 

あと、「挨拶は大声でハキハキと!」と大きく書かれた貼り紙が壁にある会社の社長が

社員にたいし大声でハキハキと挨拶している風景を一度も見たことない(笑)