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オウム死刑囚 魂の遍歴 井上嘉浩 すべての罪はわが身にあり
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25歳。
この年齢はみなさんにとって、どんな年だっただろうか。
先日旅先の旅館でなにげなくテレビをつけていたら、この年齢のまだ若い
女性プロゴルファーが病気で亡くなったというニュースが流れてきた。
まだ若いのにこの世を去ったのかという思いと同時に、25歳にしてもうプロ
として活躍して去っていったんだなという思いもわいてきた。
オレは周囲の友人たちに遅れをとり、2年半の就職浪人を経て25歳で
社会人デビューをした。いわば遅れてきたルーキー。
なので、オレの25歳はある意味で社会人として生まれ変わったターニング
ポイントという印象だ。
25歳でこの世を去ってしまう人間もいれば、25歳でまだちゃんと生きてて
新しい世界へと入る人間もいる。
そして、中には……
25歳で「死刑宣告」を受ける人間もいる。
元オウム真理教の幹部であり、麻原の側近、そして教団の司令塔でもあり
先日死刑が執行された井上嘉浩である。
ホーリーネームは「アーナンダ」。
一連のオウム事件の死刑囚たちにおいて、中川智正、新実智光、土谷正実など
オウムおよび麻原についての本当のところどう感じていたのかという興味がある
元幹部は多いがその中でももっとも一番興味深かったのは年齢も近いこの
井上嘉浩元死刑囚だった。
事件当時まだ若く、天才といわれ、教団の中でも異例のスピード出世をした
のは有名。
どこかおとなしそうだったり、インテリ風だったり、地味だったりする信徒の中でも
精悍な顔つきで男前だったこともあり、ワイドショーなどでもよくクローズアップされた。
事実、女性信者からも人気があり、麻原がそれを妬み懲罰を与えたこともあるという。
冒頭に貼りつけたのは発売当時から気になっていた本。
死刑執行前に井上嘉浩と面会をしていたジャーナリストがその様子や井上の生い立ちを
書いた本である。やっと読んだ。
本を開くと、そこには2枚のカラー写真がある。
1枚はまだ幼い子供のころの井上嘉浩の写真。
もう2枚は愛犬と一緒に空手着姿で大好きな空手をやっているポーズ。
どこにでもいるような少年が、どこにでも見るような笑顔を見せているのが
印象的だ。
しかし、そんな無邪気な少年が成長につれて、やがてオウム、そして麻原に出逢って
しまったことで運命が大きく変わってしまう。
事件後から有名なことだが、とくに井上の場合は世間にたいする疑問や感受性が
豊か過ぎてしまったうえ、オウムとの出逢いが早すぎたのも悲運だったといえよう。
それはまだ高校生だったころだ。
だいたいの人間は社会にでてから矛盾や生きづらさを感じ、そこで宗教に走るケース
が多いが、井上はいってしまえばまじめすぎた。
なので高校生のころからオウムに興味を持ちセミナーやイベントに顔をだすようなる。
本を読んだ限り、井上本人は高校生時代からオウムに出家したいと親に相談していた
らしい。
が、そこで親は当然反対。
当時はまだオウムがアヤシイという認識がない時代だったのでその段階では
親心として、そんなわけのわからない団体に家をでてゆかせるわけにはいかない。
息子には大学に行ってほしい、という思いだったようだ。
ここで井上の父親と麻原が直接話し合い。
井上に出家して欲しいというのが本心だったが、当時のオウムはまだ宗教ではなく
ヨガサークル。これから宗教団体に移行しようともくろんでいるところだった。
そんな大事なタイミングで、「未成年が強引に家をでて出家」などという事実がオモテに
でたら宗教団体として新たなスタートを切るオウムにとっては大きなダメージになってしまう。
そのため、姑息な麻原は手のひらを返したように今までと異なり、井上にたいして
「とりあえず(在家のまま)、大学だけはゆきなさい」
といい、その話はまとまった。
なので、井上が出家したのはそのあとである。
一連のオウム事件における幹部の中で一審と二審で判決が覆ったのは井上嘉浩
だけである。
ここはオウムに興味がない人でも関心を持っておかないといけないところだ。
毒物テロという前例がなかっただけに、オウム事件の判決はある意味特殊なのだ。
自分と同年代でもいまだに
「上祐史浩はどうしてあれだけの幹部なのに、死刑にも無期にもならなかったの?」
と聞いてくる人もいる。
上祐氏はたしかに麻原の側近中の側近で、最高幹部で、メディアにもよく露出して
いたし、オウムのやったことにおいて数々の偽証はおこなったが、殺人などの凶悪
事件には直接加担していないからだ。
一方で、直接的には1人も殺していないが死刑になった幹部もいる。
土谷正実(クシティガルバ)や、遠藤誠一(ジーヴァカ)である。
彼らは直接の殺人はおかしていない。
サリン散布実行犯でもない。
だが、サティアンで多くの人の命を奪うためのサリンを製造したということで死刑になった。
直接人を殺していないし、すべては麻原が元凶なのだけれど、殺人加担は加担に違いないので
そこについては別になにもいわないし、遺族の方の気持ちを考えるということもできない。
ただ、死刑判決が特殊といえば特殊な例には違いないかと。
井上嘉浩についても、実行犯や拉致犯、および教団内リンチに加担した幹部だろうと
勘違いしている人もいくらかいると思う。
でも彼もまた、直接的にはひとりも殺していないのである。
だが、自ら率先して麻原に助言をしたり、犯罪の計画をたてた司令塔としての罪が大きかった。
一審で無期判決がでたのは、直接はひとりも殺していないため。
二審で死刑になったのは、その役割の罪があまりに大きいとされたため。
直接的に誰も殺してはいないというのは、いいかえれば自らの手を汚さずに逃げていた
というようにも捉えられた。
それは井上と接見した著者も感じているし、井上自身も認めている部分だと思う。
井上は感受性が豊かでまじめだっただけに、他の信者ほど盲目ではなかった。
ときには教団のやり方、そして教祖である麻原の言動に疑問を抱いたシーンも
多かったようだ。
ある日、「尊師」である麻原から、「すぐに来い!」と呼びだされた井上はなにごとかと急いで
麻原がいるという建物の部屋に向かったら、そこで麻原が楽しそうにカラオケを歌っており
周囲で女性信者らがそれを盛り上げていたという。
それを見た瞬間、井上は
「なにやってんだ、こいつら……」
と、怒りと疑問がわいたという。
当然である。
でも、ここは組織や団体に属する者、あるいはひとりの人間を一度信仰および尊敬して
しまったものの悪い部分で、
「いや、誰だってたまにはそういう面も見せる。そう思ってしまう自分が悪い」
と必死にいい聞かせることの繰り返しだったのがなんとなく垣間見られる。
これはオウムという団体に限ったことじゃない。
あきらかにトップや上層部がオカシイと思っていても、そう思う自分が悪いと必死に
いい聞かせることで収めてしまい、結果誰も指摘せずトップが好き放題やる体勢が
続くというのは一般の企業にもよくあることである。
井上嘉浩が最後まで教祖についていってしまった責任だけは逃れられない。
逮捕後、マインドコントロールが解けた井上は法廷でかつての教祖と対決する。
オウムが間違っていたことに気づいたのは事実だと思うが、そこでかつての教祖や
オウムを徹底的に批判したことについては、自分が極刑を免れたいからだともいわれた。
そこらへんにかんしては本人しか真実をわからないからなんともいえない。
ただ、自分が二審で死刑判決を受けたとき、それを聞いていた両親が泣いたのを見て、
同じように自分が指示や計画しておこした事件によって息子や娘を亡くした親御さんたちは、
今の自分の親と同じような悲しみを味わったのだろうというのは痛感したといっていたらしい。
そこだけは信じたい。
直接的な殺人はやっていないとはいえ、井上嘉浩がやったことは決して許されるものではない。
ご両親もそれはしっかりと認めている。
自分の息子の罪を認め、極刑も受け入れるというのはさぞつらかったことだとお察しする。
一連の事件で家族を亡くした遺族のことを思うと、たとえ自分の息子であろうと
特別に擁護しなかったのだろうと思うと、なおさら辛かっただろうなと。
死刑が執行されたあと、両親のもとに井上嘉浩の遺体は届けられたのだが、
母親は「よっちゃん!よっちゃん!」と泣きながらすがりついたという。
井上嘉浩の罪は大きく、遺族のことを思うと決して許されないが、この本の冒頭にある
愛犬と写る無邪気な若いころの写真をみたら、
「ああ……、麻原と出逢っていなければもしかしたら……」
と思わずにいられない。