アマデウス | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

先日サイコパスの記事で人格に関することをかいたが、今回の記事も

人格関連ではあるかもしれない。

 

「あばれはっちゃく」のはっちゃくとか「ビーバップハイスクール」のヒロシ&トオル

のように昭和時代のヤンチャ者や不良学生の学校の科目の成績設定は

体育だけがズバ抜けて得意で通知票の評価が「5」であり、他の国語や数学はすべて

「1」か「2」というのが定番だった。

 

しかし、実際のヤンキーはそうでもない。

もちろん、運動神経だけが取り柄で勉強がからっきしのヤンキーも存在するのだが、

すべての勉強ができて偏差値も高いうえに性格は悪いというようなヤンキーも

残念ながらそれなりに産み落とされてしまっているのである。

 

よくいわれる「人格」「素行」と、「才能」はまったく別というアレである。

先日サイコパスにおいて例にあげたジョブズとかもそれに値する。

決していい人ではなかったかもしれないが、商才は経営の才能は間違いなくあったと

いう意味では。

 

身近な人間だけでなく、テレビで人気者とされている人間や、カリスマと呼ばれる経営者

にはできるだけ自分や世間にとって好感的であってほしいと考えている。

 

そのほうが心情的にラクなのである。

自分だってそれなりに苦労してきているのに、それで自分が報われず他人が報われて

それなりに裕福な生活を送っていると考えれば、人間なので相応の嫉妬や憎悪あるいは

「どうしてアイツだけ認められる?」という疑問は当然生じる。

 

だけど、その嫉妬の対象がイイ奴であるならば、

「う~ん、でもアイツだったらイイ奴だし好感的だから、まあ許せるかなァ……」

と自分自身に言い聞かせて納得することもまだ可能だ。

 

でも、どんなに才能があったとしても、その対象がムカつく人間だった場合は

納得いかないことととなる。

「なんであんな奴が!」と。

みなさんがこれまで経験した職場を思いだすとわかりやすいかもしれない。

心では結果は結果、能力は能力と認めないといけないとわかっていてても、

やはり完全には納得できないというような自分がいたこともあるはず。

 

自分よりも秀でている者には好感的であってほしいと願う。

素直にその才能を認めることは気分がとても楽だけど、嫉妬することと、それを

持続させることはものすごくパワーがいることなのだ。

 

偉大なる音楽家モーツァルトの生涯、そしてモーツァルトの出現によって人生が大きく

変わってしまったサリエリ。そんなふたりの男を描いた映画「アマデウス」は、今の社会にも

つながる競争や嫉妬における人間性をリアルさ感じさせてくれる映画だった。

 

 

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――

 1825年、オーストリアのウィーンで、1人の老人が自殺を図った。彼の名はアントニオ・サリエリ。

かつて宮廷にその名をはせた音楽家である。

そのサリエリが、天才モーツァルトとの出会いと、恐るべき陰謀を告白する。

「モーツァルトは殺されたのでは…」。19世紀のヨーロッパに流れたこのミステリアスな噂をもとにした

ピーター・シェーファーの戯曲を、完ぺきに映画化。第57回アカデミー作品賞ほか、全8部門を受賞した。
   ふんだんに流れる名曲群、舞台にはないミュージカル部分の追加、チェコのプラハでオールロケ

した美しい映像など、そのすばらしさは枚挙にいとまがない。

監督は、チェコ出身の才人ミロス・フォアマン。2人の音楽家の精神的死闘は、見る者を極度に興奮

させる。

(amazonより引用)

 

歴史上の偉人たちの生涯を映像化したものは多いが、たいていはその功績だけでなく

私生活や人間性も美化されて演出されている。

 

しかし、この「アマデウス」の中で描かれている音楽家である若いモーツァルトはとにかく

奔放で高慢ちき、そして女好きでとっても下品。

 

そういえば大学生時代に働いていたバイト先で、性格にとてもクセがあってみんなから

敬遠されている社員がいた。

バイトがなにかミスすると、脅かすように「あ~あ、これは怒られるなぁ~~」とニヤニヤ

しながらいったあと、「ウッケッケッケッケ」と嬉しそうに笑うのだ。

まるでニワトリが横隔膜の痙攣をおこしたような笑い方で。

 

だいたいの人間は「はっはっは」とか「ふふふ」とか「は行」の文字だけで笑うものだと思うが

その人は「か行」でよく笑っていた。他に「クククククク」とか。

 

「か行」の発音で笑う者など、キン肉マンに登場するアシュラマンやステカセキングなどの

悪魔超人か、もしくは桜田淳子(あれは笑いではないか…)くらいかと思っていたが実在

していたようで驚いた。

同時に「か行」によって構成される笑い声はとてもイヤラシク聞こえ、またそういう人間性を

備えた人間にはやけにしっくりきて似合う笑い方だなあと感じたものだった。

 

この作品の中のモーツァルトは厳密にいえば「か行」の笑いではないのだが、作品中、

ところどころでいきなり見せるその笑い声と笑い方がやけに腹立たしいのである。

 

もし、身近にいる人間がオレのいったことにたいしてこの笑いで反応したら、間違いなくすぐに

プチーン!とキレているだろう。

とにかくハナにつくのだ。

映画を観てても、作品中のモーツァルトがその笑いをするたびに、バイオリンで頭を

思いきりぶん殴ってやりたいと思うくらいムカつく笑い方なのだ。

 

 

 

いうまでもなく、それは作り手側の明確な狙いである。

 

モーツァルトという偉人を決して神格化せず、ずば抜けた才能はあったけれど彼も

また人間であるということをユーモアとメッセージ的に描いたエンタメの部分である。

これはあくまで娯楽映画であり、教科書ではない、といったものが感じられて

爽快。ここまでハナにつくをモーツァルトの役を演じている俳優には脱帽。

 

しかし、物語進行の視点と作品の主役といえるのは、モーツァルトではなく、

アントニオ・サリエリ。

 

かつては皇帝につかえる名のある宮廷音楽家だったが、自分よりもいくつも若い

モーツァルトの出現により、彼の人生は大きく変わってしまう。

 

モーツァルトに向けられる大きな嫉妬の炎。

 

ただ、もっとも皮肉だったことはモーツァルトの才能を誰よりも深く理解していたのが

サリエリ本人だったこと。

 

そのへんの安っぽい負け惜しみをいう人間と違うのは、サリエリが彼の才能を貶す

ことなくすごく認めていたことだ。

しかし、そのモーツァルトは人間性としては奔放で下品で高慢チキ。

 

「神はなんであんな人間に才能を与えたのだ」

 

サリエリにとって、若い彼がとても好感的な青年だったら、応援していた。

あるいは人格に問題あっても、音楽の才能がなければ自分にとってはどうでもよかった。

 

奔放で下品で無礼であるのに、自分よりもはるかに上をゆく音楽の才能を持っていた

ことがなんとも許せなかった。

そしてそんなムカつく相手の才能を誰よりもわかってしまっているのが自分だけに、

「もうどれだけやっても彼を越えることはできない」とわかっていることがサリエリをさらなる

ジレンマと嫉妬へと追いやってゆく。

 

だけど、この映画を観ていると、サリエリのほうに同情というかその気持ちを理解する

人のほうが多いんじゃないだろうかと思う。

作品中のモーツァルトも、ハナにつきながらもどこか憎みきれないタイプなんだけれど

今の社会にも通じる部分があって、サリエリにとても感情移入できる。

 

どんなに才能があっても、やはりオレらと同じ感情を持った人間なんだなあと。

 

女性の友人や同僚と話したとき、「女同士はコワいし面倒」とかいう話をけっこう聞いた。

嫉妬的な面も含めて。

それをふまえて「男の人同士って、向き合って言い争ってそれで最後理解しあったり

するからいいよね」とかいわれたこともあったが、そんなこともない。

 

互いにいいたいことを言い合う口論がエスカレートしたあげく、激しい殴り合いになり

まぶたを晴らしたり、口の端から血が流れるほど長時間殴り合った末に、ふたりとも

疲れ切ってしまい、最後「オレたち、いったい何やってたんだろうな?」なんていいながら

夕日に向かって大笑いして握手するなんてのは、千葉県知事がでてくるような昭和の

青春ドラマの中だけの世界である。

 

男も女も性別ウンヌン以前に同じ人間なのだ。

関係ない。

今の時代だと男のほうも嫉妬が強かったり、対面せずして「いいたいことがあるなら

直接いえ!」と、SNSに書きまくる人間もいるんじゃないだろうか。

直接いえ!ということをSNSにアップしている時点で矛盾なのだが(笑)

 

現代に蔓延する陰険で負け惜しみ的な嫉妬と比べると、モーツァルトに向けたサリエリの

嫉妬はとても自然な人間的で健康的にも映る。

 

人はみな人にたいして「一番を目指さないとだめだ」と強く語る。

「2番でもいい」といったものならば、「そんな意気込みだと2番どころか3番にもなれないぞ」

という精神論が跳ね返ってくることはいうまでもない。

 

だが、皮肉にも世の中には天才型という人間も稀に存在する。

他の人間がどんなに努力しても越えることのできない領域の才能を生まれながらに与えられた

タイプの人間というものが。

 

先天的な才能や直感を重要視したうえで、自分がどれだけ学んでも死ぬほど努力しても

抜くことはできないと悟った相手よりも上にゆかないといけないというプレッシャーを与えられたら

できることはなんだろうか。

 

それは、相手に堕ちてもらうか、消えてもらうしかない。

 

前にタレントの東野幸治が、自分の立場を脅かすライバル芸人について、どっかでなにか

やらかしてしくじってほしいというようなことを語っていた。

 

「だって、自分で頑張るよりも相手が勝手に堕ちていってくれたほうがラクですやんか」

みたいな感じで。

 

もちろん、東野幸治はコメディアンなので笑わす的なニュアンスメインでそういった

のだろうけど、でもそれはそれで綺麗事抜きでとても人間らしい発言だと思い、オレは

好きだった。

 

道徳的にはよくない考え方だと心ではわかっている。

 

でも現実、才能や実力では明らかに一生叶わないと理解している相手にたいして、

自分の中で勝たないと終れないと思っていたり、また周囲が「抜こうと思わないとダメだ!」

と圧力をかけてくるのであれば、可能性としてはもう相手の勝手な転落か、あるいは

そういう意図を仕組むしかないではないか。

 

なにかの本で読んだことがあった。

「黒魔術」で呪った相手が死んでもそれは罪にならないと。

 

直接的に刺したり撃ったり、なにか飲ませたりしたわけじゃないからという理由だと思う。

 

黒魔術ではないが、サリエリも必然的にモーツァルトの精神を追い込むような行動を

おこす。

サリエリの策略に気づかず、日々死へと近づいてゆくモーツァルト。

 

だが最後の最後でモーツァルトがサリエリにかけた一言と、それにたいして動揺と

後悔の一片をみせるサリエリ。

 

予定調和の「救いようのあるドラマ」はあまり好きじゃないのだけれど、このサリエリと

モーツァルトのやりとりは、双方の人間らしさが最後に垣間見えたようで印象的だった。

 

……

 

この「アマデウス」という作品。

公開が1984年とのことで、小学校か中学にあがったばかりのころにテレビで予告編の

CMを観た記憶が残っている。

 

冒頭で、老紳士が首から胸のあたりにかけて血を流し、ものすごい断末魔の表情で

倒れてゆく映像があった。(あとになってそれが自殺未遂しているサリエリだとわかった)

それがすごく怖くて、子供だったオレにはトラウマ的な映像であり、インパクトが強かった

だけに最後に流れる「アマデウス」という作品名がその後もずっと忘れずにいた。

 

モーツァルトにかんする映画ということも理解していたが同時にジャンルとしては

エグいサスペンスと勝手に思い込んでしまっていた期間が長かったが、のちに映画を紹介する

テレビとかで「アマデウス」は実は映画史に燦然と輝く名作であるということをしった。

 

しかし、オレは基本的に「偉人の生涯モノ」の映画やドラマには興味がない。

モーツァルトも名前は当然しっているがそれ以上に関心はなかった。

 

なので、世間的には名作であってもオレには合わないだろうなと。

あまり面白くないだろうなと。

そう思っていた。

 

でもアマデウスにはいろんな引力があった。

ひとつは昔みたそのCMの記憶。

当時は恐かったんだけれど、それでもやはりずっと気になる存在として

「いつか観てみようかな」という願望が心に長年こびりついていたんだと思う。

 

そしてポスターやDVDパッケージのイラストのカッコよさ。

これもずっと印象的だった。

TSUTAYAのDVDコーナーを歩くたび、背表紙に「アマデウス」という文字を見かけると

借りるつもりはなくとも、そのパッケージデザインをなんとなく観たくなっていつも手に

とって眺めていた。

 

イヤらしい話、「このデザインに惹かれるオレって、いくらか映画のすばらしさをわかっている

んじゃないかな?」と感じさせてくれるようなデザインだと思っていたのかもしれない。

 

そのへんももちろんだが、いうまでもなく本作、面白くて素晴らしかった。

 

オレが観たのはディレクターズカット版で3時間と長丁場だったので、公開作品はどれくらい

だったのかしらないが、長いだけに退屈だったらキツイなあと思いながら決断して鑑賞した

のだが、ずっと楽しめた。

 

モーツァルトや外国の歴史にまったく興味や知識がないオレが観ても映画として面白かった。

 

もっと早く若いうちに観ておけばよかった作品だなあとやや後悔もしたが、オレみたいな偏差値

が低い人間は大人になって観たからこそその良さがわかって、昔みていたらよくわからない作品

として片づけてしまっていたかもしれない(笑)