平成の次の元号は何になるのだろう。
書類の類は生年月日を記入する欄があり、大正・昭和・平成生まれの
記入に関しては、イニシャルで大正はT、昭和はS、平成はHと略されていて
いずれかに○をつける形式が多いため、同じイニシャルの元号だまぎわらしく
なるから、少なくともT、S、Hがイニシャルになるような元号になる可能性は
ないとかいう。
なので、た行、さ行、は行はないと思われる。
授業でならった大正時代を考えると、大正時代のカルチャーは「大正ロマン」と
いう言葉が語り継がれている。
実際生きてきた昭和には「昭和レトロ」という言葉がある。
では、もうすぐ終わる平成を象徴するカルチャーといえばなにか?と考えると
ぱっと浮かばない。
「平成バブル」??
いや、あれは昭和の終わりか、あるいは昭和と平成にまたがっているかもだから
厳密には平成じゃないかも。
オレらが子供だったころでもかろうじて、食事するテーブルがインベーダー
ゲームなどの台だったのが斬新な時代な時代だった。
オレらの親の代ではそういうレトロ喫茶の卓はインベーダーゲームが定番だった
と思われるが、もしオレの記憶がどこかですり替わっているのでなければオレらが
子供のころは「ゼビウス」の卓が喫茶店とか、デパートの喫茶コーナーの卓に
あったような気がする。
とくに派手さもなく、大きな話題になることもなかったけれど地味に当時の子供たちの
間で安定した人気と浸透性を維持していた「ゼビウス」。
平成が終われば、ファミコンももうふたつ前の時代の産物になるけど、ゼビウスは
人気あった。
ボンボンなのか家が親バカなのかわからないけれど、ファミコンカセットの新作が発売
されるたびに必ず買ってもらい、発売日の午後には家にある同級生がいて、たまに
あそびにゆくと見せつけるようにカセット収納ボックスの中に並んだ数々のファミコンカセット
があった。
その中でもいつもタイトルシールが背に張られたゼビウスのカセットが目立っていた。
なのでオレの中ではゼビウスという言葉を聞くたびに、そいつの家の中の風景を思い出してしまう。
でもゼビウスは魅力的だった。
シンプルだけど面白い。
ゲーム開始直後に流れる電子音のメロディも耳に残った。
シューティングという広いくくりでいえばインベーダーゲームと近いが、決定的に
違ったのは地上の背景があったということだと思う。
インベーダーも面白いんだけれど、背景がずっと宇宙というだけに同じなのが
飽きる部分はあった。
ゼビウスは縦スクロールで地上に茂る緑や、そこに点在する基地?などの
世界観が惹かれるものがあった。
AボタンとBボタンを使い分けて、飛行する敵物体だけでなく、地上にあるそういう敵施設も
破壊してゆくというのが面白かった。
四角いカーソルを地上にある敵施設にあわせて、うまく破壊したときはなんともいえない
気持よさがあった。
「宙」だけでなく「地」にもシューティングできるゲームの先駆けといえば、たぶんこの
ゼビウスだと思えるが、このゼビウスのややシリアスで事務的な雰囲気をポップな
世界観にうまく置き換えて追って誕生したのが、「ツインビー」ではないだろうか。
登場する敵のデザインは果物や食べ物を擬人化したものばかりで
バラエティーに富んでいる。
生物なのかロボットなのかもわからない。
鳥山明の描いたアラレちゃんにおけるペンギン村のキャラたちのような
世界観でこれもまた面白かった。
空に浮く雲に向けて弾を放つと、そこからベル(鈴)がとびでてきて、さらに
そのベルに弾を撃ち続けると色がかわり、変色したベルを受け取ると様々な
パワーアップをしてゆくのだが、欲張って撃ちすぎるとベルから敵である蜂に
変わってしまい、それにあたると一機死んでしまうという今考えるとちょっと
哲学的なゲームだった。
当時のファミコンはふたり同時プレイできるゲームが多くて、このツインビーもそう。
友人と一緒にプレイしてて、オレが必死にベルを撃ち、より強力にパワーアップする
色になったところでそのベルを取りにゆこうとしたら、友人がそのベルに一発撃ち込んで
パワーアップベルが直前で蜂になってしまい、回避できずその蜂を受けてしまって死んで
しまうというような裏切りプレイが流行っていたあのころも今思えば懐かしい。