22年目の告白 ‐私が殺人犯です‐ | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

プロ野球は興味あるが、高校野球や大学野球は興味ないということは

もう何度も書いている。

 

だけど高校野球や大学野球あるいは社会人野球からプロへゆくその

経過として「ドラフト会議」というものがあり、そのイベントにかんしては

ニュースを観ていると時期的に必然的に話題が目や耳に入ってくるものだ。

 

だからといってそこまで、まともに観ているわけじゃないから、もしかしたら

オレの勝手な思い込みかもしれないが、今の高校球児(大学、社会人)って

過去に比べて、「○○(特定の球団)にいきたいです!」という主張がないような

印象を受ける。

プロで野球をやらせてもらえるならどこでもいいです、とか

自分を指名してくれるならば、そこでも嬉しいです、とかいわゆるそうゆうやつ。

 

今中日にいる松坂だって、当初結局は西武に入団したけど、もともとは横浜じゃ

なければいやだといってたし、元巨人の元木は巨人じゃないといかないと言い張って

プロ入りとしては珍しく1年浪人し、立場上、巨人のほうが翌年元木を指名しないと

いけないような流れになった。

 

ここ最近でもオレのしっている限りだと、ここに入団したいと言い張ったのは巨人の

菅野くらいな気がする。

アメリカにゆくといっていた大谷はまた別として。

 

球児たちが謙虚になったのか、それともそこまで固執するほどの魅力がある球団が

なくなったのか。

 

それこそ、ひと昔前はさきほどあげた元木や菅野のように、そろって、

「巨人じゃなければいかない!」

「巨人にゆきたい!」

という球児が多かった。

 

巨人ファンからすればそれは嬉しい声かもしれないが、アンチ巨人である他の11球団ファン

からすれば、「なんでそんなに巨人がいいの?」という感じであまり好印象な風潮ではない。

 

そんなアンチのひとりがリスナーで投稿したんだと思うが、深夜ラジオで

「もし自分がこういう立場だったらいってみたい一言」みたいなコーナーがあって、

 

「もし自分が高校球児で、ドラフトの時マスコミから『どこの球団にゆきたいですか?』と

訊かれたら、『巨人以外ならばどこでもいいです』といいたい」

 

というハガキが読まれ、日ハムファンでアンチ巨人のDJだった伊集院がバカうけしていた

のを今でもおぼえている。

 

訊いていたオレもそのリスナーにたいして、「よく11球団ファンのいいたいことを代弁してくれた!」

と当時はスッキリしたものだ。

 

ただ、このような‘もしもネタ’にかんしては、

「そういうことは自分が努力して本当に球児になってからいってみろよ!」とかいう類の

批評がくるリスクもある。

が、この時にかんしては今でいう炎上はなかったようだった。

 

このようにかなりの確率でありえないことを‘もしも’として、自分だったらどうするか、

どうしたいかとかいう妄想を討論するのが好きなのは人間の本質なのかもしれない。

小学生の頃もよく、「宝くじで1億円あたったらなにに使う?」みたいなことを話した記憶が

ある人も多いんじゃないだろうか。

もちろんオレもある。

 

一億当たったらなに買うかとかいうことも話したし、もしも願いが3つだけ叶うならなにを願うか

ということも話したことあるけど、もうひとつ、誰かと話したわけじゃなく自分の中で、もしこういう

立場でこういう行動をとったら、世間はどうなるか?という妄想をしたことがある。

 

そんな妄想をしたときから30年ほど経過したとき、その世界観をそのままテーマにしたような

映画が登場して、とても興味を持った。

 

ロードショー時にも興味あったが、まあ映画館に足を運ぶまでもないかなあと悩み、スルーしたら

先日早くも地上波で放送されたので喜び、そして鑑賞した。

 

その映画が、

『22年目の告白 -私が殺人犯です-』

 

 

 

そう……

もし自分が重大な犯罪を犯して逃亡を続け、時効成立後に犯人だと名乗りでたら

警察および世間はどう反応、対応するのだろうかという疑問または好奇心。

 

今でこそ、凶悪な事件にかんしては時効というものが撤廃されたが、昔は殺人罪でも時効

というものがあった。

 

時効というと、もう時間が経ったから許してあげましょうというような響きだが、内容的には

警察がいつまでも過去の事件を追うのは負担になるのでその負担を減らそうというのが

本質である。

 

遺族の気持ちを考えると、時効撤廃には大賛成。

だけど、時効がまだ存在した時代を前提としたこの映画はこれとしてなかなか興味深かった。

韓国映画のリメイクらしいけど、日本で実際におきた震災とかの時間軸をちゃんと反映させて

いた。

 

藤原竜也が演じる犯人を名乗る男と、当時その事件を追っていたが犯人をとり逃してしまった

キノコさんが演じる刑事の心理的な戦い。

 

うーむ……

実際どうだろう?

もし自分が殺人犯だとしたら、時効後名乗り出るか。

名乗りでるとしたら、その行為は一種の社会や遺族にたいする挑発といえるかもしれない。

 

オレはやはりムリだな。

もう逮捕はされないとしても、やはり周囲の目というものがある。

普通に生活はできない。

コソコソいわれたり、近所から避けられたりしそうだ。

 

本編にかんしては最後まで観た結果、トータル的にテンポよく話が進んで面白かったけど

はっきりいってしまえば中盤1回目のどんでん返しの時にオチがわかってしまったのはある。

洋画でいえば「シックスセンス」みたいに。

 

以下、オレがちょっと感じたことを書く。

このブログの方針として、基本ネタバレは書かない。

だけど、なんとなくオチが想像できてしまうような文章ではあるかもしれないので、

まだ観ておらずこれから楽しみたい人は、これから下の文章は読まずにここでやめてもらえれば。

 

空白途中に書き込むので、ついたとするコメントだけ読みたい方は、画面をじっくり見ないか

薄目にして一気に一番下まで画面をスクロールしてもらえればいい。

 

既に作品を鑑賞された方、もしくは今後この作品を見る予定はないと言い切れる

方は引き続きそのまま読んでもらえればと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・事件から22年たったにしては犯人役の藤原竜也が見た目的にもあまりにも若すぎるという

違和感は拭えなかった。

だけど、観終わってそういうオチならばまあ納得ではあるかも。

 

 

・野島伸司脚本のTBSドラマ「人間・失格」では本当の黒幕は加勢大周演じる生徒思いの

教師だった。

その王道で、もっとも熱血漢で正義に燃えている人物が最終的にはサイコパスだったという

のは途中見抜けてしまった。

こういうサイコパスの存在は映画やドラマの中だけでなく、実生活でもあることのように思える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上。

 

 

おしまい。