千鳥 | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

遺伝というものは体形や顔つきなどの容姿だけでなく、性格までも

その家系の中で親から子、孫、さらにはそのまた次の世代まで継がれ続けて

ゆくものなのだろうか。

 

おじいさんや、おばあさんも優しい。

その血を継ぐ父や母も優しい。

その父母から生まれた本人も優しい。

そして、その本人たちから生まれた子供も優しい。

 

そんな家系、家族はとても素晴らしい存在だと思う。

 

しかし、世の中の構造とはまた皮肉なもので素晴らしい家系こそ、

悩んだり苦労したりすることなく生きてゆくことが難しい。

 

 

優しい人や優しい家系が存在するのと同時に、他人にたいして気が強く圧力的な

人間や家系もあれば、ずるがしこい人間や家系もあったりする。

 

そういう家系の人間というものは、だいたい優しい家系の人間をターゲットにして

いいたいこといったり、やりたくないこと押し付けたり、あるいはダマして利得をせしめようと

寄ってくるものである。

 

だから、「優しい家系」というものはすべての代において、他人を優先してしまったり

裏切られたりしてしまうという、「損をしがちな家系」となってしまうこと運命かもしれない。

 

人間性において、強気と弱気のどちらが正解かといえば、そこに正解はないと思う。

 

だけど基本的に優しくて穏やかで人がよい家系においては、どこかでひとりくらい強気な

誕生させてあげたいと思う。

たまには他人側に強くいえたりする代の存在があって、そこで家系の運命のバランスを

とるべき。

そうしないと優しい家系は歴史を通して尽くし損になりかねない。

 

優しい人間が続く家系にはひとりくらいヤンチャモノの代がいたほうがフェア。

その一方、ずっと強気で地上をわが物顔でのさばり続けてきた家系においては

ひとりくらい弱気で優しい人間が生み落されるべきではないだろうか。

 

もしも神様がいるとするならば、まず第一にやるべき仕事がその「家系の遺伝の調整」だろう。

 

お笑いコンビ「千鳥」をはじめてしったのはまだ第2回か3回目のМー1を観た時だった。

ゴールデンの特番のトップバッターにしては、ちょっと下ネタ寄りの漫才で司会の今田耕司にも

軽くツッコまれ、それにくわえて大悟のあのガラの悪さ臭(笑)がどうも目立ち、当時あまり好きには

なれなかった。

 

だけど、最近はバラエティにおけるやりとりを観ていると面白いと感じるようになった。

 

ここで一度冒頭の遺伝の件を絡めた流れにするが、大悟のお父さんは、息子の大悟からは

まったく想像できないほどお人よしで優しい雰囲気をだしている。

たしかアメトーークで見て、映像にも出演していた。

 

岡山県の離島で育った大悟親子。

 

大悟の家族はその島の中でもあまり裕福ではなかったようで、お父さんは同じ島に住む

金持ちからよくバカにされていることも多かったと聞いた。

 

一番切なかったエピソードはたしか、大悟のお父さんが漁のため、古くて小さい漁船を

購入した時の話。

 

ふんばって買ったささやかな漁船。

その船に息子の大悟を乗せて、親子で沖で釣りをしていたら、向こうのほうから大きな

クルーザーがこっちの釣りを邪魔するように波しぶきをあげて猛スピードで水面を

走ってきて、そのクルーザーを操縦していた同じ島の金持ちが大悟のお父さんに向かい、

 

「おい!! ○○(お父さんの名前)!!! 立派な船だなあ!!!はっはっは!!」

 

と吐き捨てて、そのまま、また遠くへ去っていったという。

 

お父さんは、その去っていったクルーザーを黙ってしばらく立尽くしながら見つめていた。

大悟もなにもいえずそんな、お父さんの背中をじっと見ていた。

 

すると、ずっと先を見ていたお父さんがクルっと振り返り、大悟に向かってひとこと、

 

「おまえは、ああいうふうになるんだぞ……」

 

と呟き、大悟はそれが今でも忘れられないということだった。

 

スタジオでは大悟が笑いながら話していたが、かなり切なく思えた。

 

「ああいうふうになるんだぞ」

という言葉は、

「おまえは成功して、オレみたいにバカにされたり貧乏な生活を送らず楽しく暮らすんだぞ」

ということを意味する。

 

一般的な父親ならば、ここで強がるか、あるいは「たとえ貧しくても、ああいう人をバカにする

ような人間になるなよ」ということだろう。

 

自分をバカにするような連中を悪くいうこともなく、あえてそういう。

深い。とても深い。

 

ああいった人を蔑む輩にはなって欲しくはないが、自分が弱かったばかりにせめて息子には

あの連中のような強気な人間になってほしいという強い親の愛情を感じずにいられなかった。

 

親としての威厳もあるはず。

だけどそれでも、あえて自分をバカにした連中の世界を目指せといえる大悟のお父さんは

すごいと感じた。

 

同時に、ある意味では自分の親の恥ずかしい過去であるにもかかわらず、それを隠さずに

微妙に笑えるエピソードトークとしてスタジオで公開した大悟のお笑い芸人としての

姿勢も尊敬できるものがあった。

 

情けなく聞こえてしまう自分の家族のエピソードなんて、オレだったらテレビで話せない。

これが芸人なんだなあとつくづく感じた。

 

だけど、ただ単にネタとしてそれをバラしたのではなく、大悟も大悟としてそんなお父さんを

素晴らしいと自信を持っていえる尊敬と感謝があるからこそ、そこで話した面も大きいに

違いない。

 

大悟親子を見てみると、神様がうまく性格遺伝の運命バランスをとったんじゃないかと思う。

 

ちょっと弱気で優しすぎるお父さん、

その優しすぎる家系のバランスをとるため、大悟はいい具合の性格を持って生まれてきた。

ヤンキーで強気。

 

一家そろって、みんな人がいいというのは周囲から見れば素晴らしい家系だけど、

一家そろって、筋の通らない強気の家系、家族とかが一番イヤだ。

数年前の亀○ファミリーのような。

 

お父さんが苦労したぶん、息子の大悟には好きなように暴れてほしい(いい意味で)。

お父さんにとってもそれが一番嬉しいんじゃないだろうか。

 

千鳥にかんして、あくまで個人的には漫才よりもアメトーークとかのやりとりや

エピソードトークのほうが好きかな。

 

テレ玉で放送している「いろはに千鳥」。

実際の放送は1、2回しか観たことないけど、一回で8本撮りの苦労話はとてもウケた。

 

まだラスト一本収録まで行ってない7本目のロケ画像。

吹き出物だらけの顔で疲れ切った笑顔の大悟がなんとも素敵だ(笑)

 

芸だけではなくそういった背景も含めて、千鳥の印象ははじめて観た時からずいぶん変わった。

 

オレは今の千鳥はけっこう好きだけど

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