夏が来て僕等 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

 

 

夏ももう終わり。

 

夏の風物詩といえばさまざま。

 

風鈴、花火、ビアガーデン、ゲリラ豪雨(オレらの世代でいえば夕立)、稲川淳二……

そして多くの人にとっては高校野球もきっとそうなんだと思われる。

 

このブログでもちょくちょく書いているから、もうわかっている人もいると思うけど

オレは高校野球にまったく興味がない(笑)

プロ野球は好きなのだ。

だけど高校野球は好きじゃない。だからまったく観ていない。

 

単純に好みの問題で「好きじゃない」といっているわけで、決して「悪い」といっているわけじゃ

ないので高校野球ファンはムキにならないでいただきたいところ。

 

球児たちはなにも悪くないし、高校野球が好きなのも個人の自由だから、それを批判するつもりは

毛頭ない。

 

ただもう毎年うんざりするのだが、誰もが高校野球に興味を持ってて当たり前というような前提で

いきなり「○○高校、決勝いったね!」とか、「○○のホームランすごかったね!」

と、いってくるのはもうやめてほしいのが本音。

 

こっちも気ィ遣って、

「あ、申し訳ない……オレ、高校野球まったく興味ないんだ」

っていいづらいのだ。

(これは五輪やW杯の時も当てはまる。ちなみにオレは前回のW杯どの国が優勝したかマジでしらんw)

 

はっきりいえば、

「高校野球好きな人がいるのは認めるけど、それで『熱闘!甲子園』とかがテレ朝で放送されることに

よって、アメトークとかの放送時間が遅くなるのはちょっとイヤだ」

というのがホントのトコロ。

 

それでもやはり高校野球熱といった文化は、この日本の8月という土壌において昔から深く根付いている

のは認めるしかない。

 

運動やスポーツとは対極に位置する文化系のジャンルにおいても、高校球児を題材にしたりする作品は少なくない。

 

たとえば漫画でいえば、あだち充の「タッチ」がその代表的なモノ。

ラブコメなのかスポ根なのかその軸がどちらなのかという論はいまだに別れているが認知度は絶大。

 

ミュージックシーンにおいても、高校球児を応援する、あるいは高校球児に想いを寄せる恋心を

歌った曲などもいくらかあったのではないだろうか。

 

このブログらしくあえてマニアックな例をあげると、持田真樹の「そのままでいいわ ~フィールドの砂~」

などがそう。

 

‘持田’と聞いて、「ああ、彼女ね」と思ったアナタ。

間違える人も多いから念のためいっておくとELTのヴォーカルではないゾ。

あれは香織。

 

こっちは真樹。

ドラマ高校教師で京本政樹演じる教師の藤村にやられちゃった役のほうね。お間違いなく。

しいて例にあげたけど、別にファンではない。

ただ当時、この曲がニッポン放送でよく流れていたからなんとなく脳にメロディがしみ込んでいる。

 

とにかく、ちょっと昔はこんなように球児のことを応援するようなソングが多かった。

 

一文で表現するとすれば

『真夏の太陽が降り注ぐ光に、汗を輝かせてボールを追うアナタ的SONG』

である。

 

繰り返しいうが、それはそれで批判しない。

 

だけど、そればかりになる流行気質には、オレはやはり違和感をうける。

だけど、そんな違和感をスッキリさせてくれる歌に、高校生の時に出逢った。

 

元ブルーハーツのマーシーこと、真島昌利の「夏のぬけがら」というアルバムに収録されている

『夏が来て僕等』

という歌である。

 

同じブルーハーツファンの友人からアルバムを借りて、ダブルカセットでダビングしながら聴いていたのだが、

 

♪夏が来て僕等 高校野球……

 

といった歌詞が途中にある。

 

 

今までのミュージックシーンの風潮がすっかり鼓膜の襞に刷り込まれていたオレは、予想するまでもなく

 

♪高校野球を楽しみにしながら~

 

などと、歌詞が続くものかと思っていた。

 

 

しかし、その続きを聴いて、良い意味で予想を裏切られた爽快な衝撃、いや共感を感じた。

共感という名の弾丸が心を貫いたといっても過言ではない。

 

歌詞はこうだ。

 

 

 

♪ 夏が来て僕等

 

  高校野球なんて見ないで

 

  夏草に伸びた 給水塔の影を見ていた

 

……

 

 

オレの中でぽっかり失われていた世界観のジグソーパズルの1ピースを見つけたような

嬉しい感覚だった。

 

いやいや、この冒頭の部分だけではない。

 

その他にも、

 

夏が来て僕等、アイスクリーム食べて笑った、とか、家では宿題が待ってる、とか自分の少年時代を

そのまま思いださせてくれるようなリアルなノルタルジーがたくさん歌詞にある。

 

 

そうだよなあ。

スポーツが苦手で中継とかにも興味があまりなかった当時のオレや友人N。

 

夏休みの暑い日にふたりで半そで半ズボンで汗かきながら自転車こいで、多摩川の河川敷にいって

ならんで座りながら、夏の風に揺れる土手の草を眺めながら、どうでもいいことで長い時間笑いながら

語り合ったりしてたのを思い出す。

 

ふたりで一緒に買ってなめたアイスクリーム、一緒に呑んだ缶ジュース。

それがふたりで美味しいという意見で一致しただけで、十分に笑い合える要素になった。

 

目に見える出世や金銭に換算できることでしか今のオレたち、そして大人たち。

 

預貯金学や役職、肩書なんかよりも、そういったピュアな感情や過去の時間こそが本当の

財産だったんだろうなと思えてくる。

 

こういうこというと、中2病だとか思う人間もいそうだけど、そういう感覚を完全に捨てた大人になる

よりかは、まだ中2病の大人のほうが幸せな気がしてきた。

 

ブルーハーツファン、および真島ファン以外にはあまりしられていないアルバム収録曲だけど、

オレにとってナンバーワンの夏ソングである。