♪カラオケ~ あるある~
早~くいいた~い~
♪カラオケ~ あるある~
早~くいいた~い~
♪カラオケ~ あるある~
早~くいいた~いよ~~~♪
UHHHHHHH~………
♪カラオケ~ あるある~
早~くいいた~い~
♪カラオケ~ あるある~
早~くい~わせてよ~~~……… HA!!
(間奏)
♪カラオケ~ あるある~
早~くいいた~い~
♪カラオケ~ あるある~
早~くいいた~い~
♪カラオケ~ あるある~
早~くいいた~いよ~~~
YAEH……
♪カラオケ~ あるある~
早~くいいた~い~
♪カラオケ~あるある~
今から~いうよ~~
♪カラオケ~あるある~
今から~いうよ~~
……
♪カラオケにいくと~~~……
自分の入れた曲のイントロが流れ出したとき、歌い始める前に
「あまり知らないから歌詞間違うかもしれない!」とか「リズム違うかもしれないけどね!」
とか最初に言い訳する人いるけど、こっちはその曲自体しらないから、別に歌詞間違っても、
リズム違ってもわからない~~♪
って、オチが長げぇーよ!
以上、高校時代からのカラオケ経験でよく見かけた光景あるある、おしまい。
曲に限らずして、あまりというかほとんどしらないジャンルについては、相手が間違ったことをいってたり、
誤魔化していたりしてもわからないというのが現状である。
2,3週間前に図書館いったら、「本日返却された本」の棚に小保方晴子氏の本、『あの日』が置いてあるのを発見。
この本と元少年Aの書いた「絶歌」にかんしては、‘内容は読んでみたい気がするけど印税協力したく
ないから図書館にあれば借りたい’という位置づけだった。
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あの日
Amazon |
発行当初は図書館における予約数が200数件と表示され、いったいいつ借りられるんだ!という感じ
だったが、みんなとりあえず予約だけしておいて、時間がたったらあの騒動の関心も薄れてきて多くの
人が借りに来ず、すぐ借りられたといったところだろう。
そんな予定外の状況に遭遇したことで、すぐに借りて読んでみた。
純正の文系であるオレにとって、前半の研究についての部分はトンチンカンチンのチンプンカンプンだ。
ほとんどワカラン。
キメラマウスやらスフィアやら、まるでドラクエの呪文のような科学用語が連続して使われているので、
科学の知識がお留守になっているオレには、まさに冒頭に書いた「カラオケで知らない曲を聴いていて、歌詞やリズムが正しいのか間違っているのかも判断できない気分」である。
理系なうえ、自分より偏差値がグンと抜けて高い人間からそれらしい専門用語を連発していわれると、
まったく違っていたとしても、正しいことをいわれているような感覚になる。
テレビなどで紹介されていた一部分を見た時も思ったが、正直文章は巧いと感じた。悔しいけど。
あんた理系じゃなくて、本当は文系が好きなんだろ?と思うような印象。
結論からいうと、科学に関してはまったく無知なオレでも、あの騒動がおこった原因を追究したりする
ような本ではないなというのは感じた。
暴露本や分析本ではなく、事件の最中からその後における自分の心情を文学的につづった著書と
いったところだろうか。
そう捉えれば納得ゆくというか、読者側としても割り切れる。
前に書いた佐村河内守氏の密着映画と同じ。
オレは別に小保方氏を味方するつもりはさらさらない。
ただ、やはり一方的な情報だけを聞いて、自分の中での印象を確定させるのはフェアじゃないと思った。
よく有名人や芸能人がなにか騒動をおこして雲隠れしたあと、SNSとかで一方的にいいたいことを発して、それが自分勝手だとかいわれるけど、なんとなくその気持ちもわかる。
メディアにすべてを伝えても、どこかで完全なワルモノになるように‘編集’されて伝えられるのは事実だ。
いや、これはメディアに限らない。私生活におけるみなさんに周囲にもひとりふたりそういう輩がいるはずだ。
話をヘンにアレンジしていいふらして、その人間を陥れたり笑い者にしようとするフトドキモノが。
そういう現実を考えれば、とりあえず編集されずに伝えたいことを伝える手段として有効なのはブログや
ツィッター、そしてこの本のような出版しかないのかなという気はするのだ。
あとは、そこに書かれていることが本当は嘘か読者各位が判断すればいいと思う。
誰が読んでも明らかな嘘やイメージダウンになることが書かれていれば、それは本人に刃が
戻って飛んでくるだけなのだから。
だから読んでみた。
だけど読んだ結果、とくに味方したくなったということも、余計見損なったということにもならなかったかな。
ただ純粋に、報道されなかった彼女のいいぶんも一応はわかった、というだけ。
頭の良くないオレにとっては、科学だとか研究だとかSTAP細胞についてだとかの記述よりも、
テレビクルーが撮影にくることによって‘あとづけ演出’されたと報道された割烹着と研究室のムーミンシールについての解説、弁明とかのほうが面白かった。
面白いとかいう分別ではないんだろうけど。
でも、この人やっぱり記者会見で印象を悪くしたって感じが拭えない。
それもなんというか、説明で印象悪くしたというよりも対応や立ち振る舞いで悪くした感じが否めない。
とくに女性から。
なんていえばいいだろうか?
この人ね、顔やタイプはまったく異なるんだけれど、嫌われ方がどことなく20数年前の裕木奈江に似ているような気がする。
本人はそのつもりはない……いや、ある程度は計算しているかもしれないが、話す時の表情や
立ち振る舞いが同性から総スカンくらうタイプの女性であるように感じられる。
あの騒動以降は男性からもそれほど支持されてないかもしれないが、当時は男性からはそんな評判悪くなかった。
そもそも男性から見た男性と、女性から見た女性って好印象が異なるものなのだ。
女性がある男性について「○○君って、ちょっと口悪くてお調子門だけどニクめないよねー!」とか
オレとかにいってくることがある。
一応いってきた女性に気を遣って、「そうだねー!あいつニクめないよねー!」なんていうけど、
心の中では「あいつ、みんなから、めっちゃニクまれているっちゅーの!」とかつぶやいたりしている(笑)
ちょっと前あたりから、異性であるオレから見ても彼女けっこう同性印象悪かったんだろうなって感じ
始めた。
それはたまたま彼女がそういうタイプであり、それに加えてああいった騒動をおこしたうえに弁明がうまくなかったことで、メディアはじめさらにバッシングを盛り上げ始めたのだろう。
この騒動にかんして、いろんな方面のいいぶんを収集したが、メディアの味方をする気にもならんし
かといって小保方氏のほうにつく気にもならん。
メディアはメディアで不正が明るみになった途端の手のひら返しバッシングが露骨過ぎるし、
小保方サイドも仮に意図的なねつ造じゃないとしても、進行におけるワキが甘すぎる。
データの貼り付けなどねつ造疑惑部分はあるとしても、そういう研究に携わる位置にいたということは
少なくともオレみたいな一般市民に比べたら、かなり賢い人であることは間違いないと思う。
偉そうなことをいわせてもらえば、彼女は科学の知識人としてはそれなりの人物だったかもしれないけど、社会人としてというか人間として、かなり甘い部分があったことで、このような結論に至ったのでは
ないだろうか。
そして運悪く、彼女の立ち振る舞いや表情、そして話し方が同性から共感を得られるようなものでは
なかったというのが印象悪化の拍車をかけた。
ひとつだけ小保方氏擁護をするとすれば、その一点。
このテの本にかんしては、あまり内容をこういった記事で紹介するもんじゃなく、直接読んでもらう
のが一番だと思うが、一文だけ抜粋紹介させていただく。
あの騒動のあと、小保方氏は身近な人間に
「科学ってもっと優雅なものだと思ってた」
といったら、
「やっぱりおまえはバカだな。こんなドロドロした業界はなかなかないぞ。もうやめろ」
といわれたと語っている。
それが現実なんだろうなと納得した。
どんなにステータスが高そうに見える世界でも、どんなに華やかにみえる世界でも、個人の趣味や
サークルなどの集まりでやるぶんには楽しいかもしれない。
だけど、それが組織となり、利権、ビジネスが絡んでくると泥状化してくるのは回避できない。
細胞や元素、液体に窒素。
それにオトナや組織やマネーが掛け合わさることで「泥」が発生する化学式っていうのは今までまだ
発見されていないのだろうか(笑)
しかしなあ、科学式とか元素記号の覚え方とかいうのも中学や高校で習ったけど、文系としては
それで覚えろという式にも疑問があったりする。
なんだっけ?
「水平リーベ ボクの船」
という言葉で覚えろとかいわれた化学式だか記号もあった気がする。
それを聞いたオレと同じく純粋な文系であった当時の友人が、いった教師にたいして、
「おぼえる以前に、『水平リーベ』っていうのはいったいなんなのか、またそんな言葉があるのか
教えてくれ!」
と歯向かっていた言葉が今でも耳に残っている。
それもそれで正論だ。
なんでも発音が似ている言葉をむりやり作ればいいというわけではない。
歴史の授業における平安京の覚え方で、
「鳴くよウグイス平安京」
のほうが筋はずっと通している。
ただ、ガッツ石松はクイズ番組に出演した際に
「鳴くよウグイス……さて、このあとに続く言葉は○京でしょう!?」
という問題にたいして、
「ホーホケ京!!」
と答えたようだけど(爆)
補足:
「リーベ」というワードを一応辞書で引いてみたら「愛」とかいう意味はあるらしい。
水平愛っていうのもなんだか純文学的だ(´・ω・)