長江俊和「出版禁止」他 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

 

出版禁止 出版禁止
 
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小学校から高校くらいの間は、ひとクラスがだいたい30~40人だった。

 

だからそのクラスの担任ではない多くの先生でも、教室内で自分の授業を受ける生徒の顔と

名前は当たり前のようにおぼえていた。

 

点呼をとるまでもなく、教室の中に入って見回した時に空席が目につけば、いない生徒の名前が

パッとでてこなくとも、近くの席の生徒に「そこの席は誰?」ときけば、すぐに誰が欠席や遅刻している

のかわかったので、義務教育における先生の出欠確認は比較的カンタンだったと思える。

 

でも、これが大学とかになると、学生が一気に増え、座席も決まっておらず自由なので、出欠を

しっかりとる教授もいれば、まったくとらない教授もいるし、普段とらないのにたまーに抜き打ちで

とる教授もいた。

最初はほとんどとらなかったのに、あまりにもサボる学生が多いから急にとり出した教授もいた

気がする。

 

教授によって出欠のとりかたも様々で、大人数を収容できる多角形講堂における講義で、その講義を

選択している生徒の名をひとりひとり全員点呼する教授もいれば、講義終了後に出席カードなる

ものをひとりずつ配り、名前を記入させて提出させてから退出させる方式をとっていた教授もいた。

 

オレは比較的まじめに出席していたほうだと思うが、やはりサボったりで遅刻してくる学友もいた。

しかも正直にそれを申告せず、なにかと理由を考えては遅刻をもみ消そうと奮闘していたりする。

 

ある老教授は最初に出欠をとる人であったが、ちゃんとした理由があって遅刻した場合は、講義中でも

構わないからまず壇上の自分のところにきて、遅刻の理由をひとことちゃんと報告すれば、その口頭

報告だけで、もうその講義は最初から出席してた扱いとするという寛容な方針だった。

 

大学4年生のある日、その老教授の授業を受けていたら、、前のドアが空いて必修で同じクラスだった

E藤という同級生が入ってきた。

そしていかにも急いできたという表情でなにかを教授に報告し、教授は軽く頷いていた。

 

汗だくなのはわかるが、なぜかスーツを着ている。

E藤はかなり早い時季に就職が決まって、もう就活はしておらず大学にはずっと私服できて

いたはずなのに、おかしいなと思った。

 

講義が終わったあと、E藤のところへゆき、就活終わったのにどうしてスーツ着てるのかと

訊いたら、バイトか遊びでどうしても講義に遅刻してしまう時間だったために、わざわざ

一度帰宅してスーツに着替えてから大学にきて、遅刻記録をつけないために教授に『就職活動の

ため、遅れました』と報告するためだと答えていた。

 

虚偽報告のためとはいえ、汗だくでここまでやれば逆にご苦労さまといいたくなる。

 

 

もうひとり、Aという同級生がいて、こいつもまたサボり魔にして遅刻魔だった。

 

これまたその老教授の講義の日、オレらの大学への通学において主要となる中央線が事故で

しばらく動かなくなり、かなりの学生がその煽りをくらい、講義開始時間に間に合わないことがあった。

 

すこしたって、やっと動き出したのだろう。

講義開始から30分から40分たったころ、ドアから学生がぞろぞろ入ってきて、並んで教授にそのむねを

説明していた風景があった。

それぞれが同様に「電車が遅れて遅刻しました」と報告しているのは想像できる。

 

そして、よく見るとその列の最後にAがさりげなく並んでいるではないか。

 

???

おかしい。

Aはたしか近所なので自転車かバイクで通学していて、電車は使っていないはずだ。

それなのに、どさくさに紛れて電車遅延組の列にちゃっかりと並び、そしてなにかを教授に

報告していた。

 

あいつはただの遅刻じゃないか?と思いつつ、講義が終わってからAに冗談まじりで

「おまえ、教授になにを報告してたの?」

と訊いた。

 

するとAは、

「『電車が遅れました。遅刻しました』って、教授に伝えた」

と答えた。

 

オレも別に優等生タイプでもないので、そこは笑いながら、

「ウソつくなよ! おまえ、電車通学じゃねえじゃん!」

とつっこんだら、Aはこう答えた。

 

「別にウソはついてない。誰も『電車が遅れた‘から’遅刻しました』なんていってねーから。

オレが乗ってなくても、電車は電車で事実遅れてたわけで、オレはその運行状況をただ

いったあと、それとは関係なく自分の遅刻を正直に伝えただけだ」

 

器は小さいものの、Aはたしかにウソはついていない。

 

たかがといってはなんだが、大学の講義の出欠程度の話である。

一回遅刻がついたところで、生死にかかわる問題に発展するわけでもなければ、虚偽報告

したところで、罰が待っているわけでもない。

 

でも、もしこれが仮に大裁判に発展したとしても、電車が遅れたから遅刻したと勝手に思いこんだ

教授側に非がついてしまうかもしれない。

 

ウソはいわずに相手を騙す。

 

これはAから教授にたいする件に限らず、政治家の上等手段でもある。

 

そして、作家もまたこのような文章トリックを使い、嘘をつかずして読者に強い思い込みを与え、

騙したりする。

 

ちょっと前に軽く話題になった「出版禁止」を読んでみた。

作者の長江サンというのはテレビドラマの「放送禁止」の脚本を手掛けていた人らしい。

 

『――今、出版会で密かに話題になっている、掲載禁止になったルポタージュ、読みたくありませんか』

(P4の見出し引用)

 

自作ドキュメンタリー映画を撮影するために、魔女が住むという森へ入った学生が行方不明になり

現場にはかれらが撮影したテープが残っていた。

果たしてそこに映っていたものは……的な映画のさきがけに「ブレアウィッチプロジェクト」という作品が

あったが、それ以降増えてきた「実はこんな記録がでてきた」とか「実はお蔵入りになったVTRがあった」

とかそういう系のひとつと捉えていいと思う。

 

亡くなった、あるいは行方不明になったフリーライターがこんなルポを書いていたが、あまりに恐ろしくて

世にだせなかったのを今、公開するよー的なものだと思ってもらえれば。

 

酷評もあるが、個人的な素人読者目線で読めばエンタメとしてはつまらなくはない。

ただ、文章に隠されたトリックは単純。

 

「これって、本当にあった話なのかな?」って真剣に読者に思わせようとしているとすれば、

構成とトリックがちょっと現実離れし過ぎてて、どちらかといえば推理クイズ寄りに映ってしまう

かも。

 

登場人物や舞台転換が多すぎて、ちょっと読む期間が空いてしまってからまた再開して読みだした時、

前までに流れを忘れてしまうような複雑なミステリーよりかは肩凝ることなく、読めるのでオレとしては

嫌いではなかった。

 

ただ、もともとそんな台本的なものだとはわかっていたが、発売当初における「王様のブランチ」での

出演者における感想と評価はレビューにもあるが大袈裟だった。

 

読者も得意不得意を選ぶ作品だと思われるので、興味ある人はどこからも声を聞かずに読みにはいってほしい。

(ここまで記事に書いてて、そういうのも矛盾してるけど)

 

ひとつだけ概要のキーワードを書いてしまうと、「視覚の死角」。

 

 

 

蛇足だが、「王様のブランチ」におけるブックコーナーがいつの間にか番組冒頭じゃなくなってるのね。

 

桂文珍の「はなきんデータランド」の冒頭のCD,ムービー、ブックランキングコーナーみたいに、

そこだけみたら、あとは観ないっていう流れと同じ感覚で、「王様のブランチ」の冒頭も観てたんだけど、

番組始まってからしばらくたった時間にやりはじめたみたいだから、もう観てない。

頼むからブックコーナーをもとの時間に戻してくれないかな。

 

今回のもう1冊。

 

 

 

 

過去に「ハリガネムシ」で芥川賞を受賞した吉村センセイの本。

 

過去を思い出している登場人物の心の声、

「どうしてこんな、ろくでもない記憶しか在庫がないのだろうか」

 

過去の思い出を、記憶の在庫と表現するあたりはさりげなく巧い。