尾崎裕哉 | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

気の合う子供だけで電車やバスに乗って自分たちの街からちょっとだけ離れたところに
出掛けるのは楽しい。

小学校5年生くらいの時はオレが珍しくリーダー的な存在となり、同じ西武ライオンズファンの
友人4,5人を連れてみんなで立川までゆき、そこからバスや電車で西武球場に野球観戦にいっていたものだ。

帰りはバスが少ないのと混雑でにすぐに乗れないので、西武線に乗って国分寺まで帰ってくる
パターンが多かった。

路線事態が通勤帰宅ラッシュする路線でもないので、夕方ゲームが終わって西武遊園地前まで
山口線で戻り、遊園地前から国分寺線に乗るのだが、ほぼ横並びで友人一同座って帰れる。

そんな少年時代のひと風景での出来事。

その日もたしか5人で野球を見に行って遊園地前から電車に乗りシートの座って揺られながら
国分寺駅に向かっていた。

隣りに座っている友人と今観てきたゲームについての雑談などをしていたのだが、ふとどこからか尋常ではない視線を感じた。

友人との会話を続けたまま真正面を見たら、向かいに座っているオバサンが当時小学生だった
オレの顔のあたりをじっと見ているではないか。

ちょっと気になりながらも、あまり目を合わさないほうがいいかなと思い、そちらをあまり
見ないようにして友人と会話を続けながら様子をみた。

数秒後、さりげなくチラリと確認。

まだ見ている……
しかもさっきよりまなざしがすごい。

なんだろう?


そこまでオレの顔のあたりを凝視する意味として考えられる答えは3つ。

① オレの顔になにかがついている

② オレの顔のうしろあたりになにかが憑いている

③ オレの肩に戸愚呂(兄)が乗っている。


もっとも可能性が高いのは①だ。

さりげなく頬を指でなぞってみたり、マンダムみたいに顎をさわってみたりして確認するが
未確認付着物はない様子。

なんだろうなー、やだなー、気持ち悪いなー、やだな、こわいな、やだな、こわいなー
やだな、こわいなー、やだな、こわいなー……

そう思って悩んでいるとそのオバサンがなにかを確かめずにいられなくなって、
シビレを切らしたようにシートからすくっと立ち上がり、向かいに座るオレに向かって
ツカツカと近寄ってきた。

うわ、なんだなんだ? 不思議に思うオレと両隣りに座る友人たち。


そして戸惑うオレの目の前でオバサンはいった。

「ねえ? もしかして君のお父さんて、○○さん(父親の名前)じゃないかしら!?」

オバサンはオレの父親の名前をいった。
ここでオレを凝視していた理由がなんとなくボンヤリと浮かんでくる。

オレが「はい、そうです」と答えるのを聞いたオバサンは、とても嬉しそうに眼を輝かせながら
「やっぱりね!! さっきから前に座っているのを見て、お顔がお父さんにそっくりだから
もしかしたらってずっと思って気になっていたの!」

どうやらオバサンは父の学生時代の同級生とのことだった。
それでオレの顔を見た時、父と重なったらしい。

生きているとそんな遭遇もあるもんなのだなと、その瞬間は子供ながらに驚いたが
話を聞くともっと驚いた。

まだ子供だったオレの顔を見て、ピンとくるくらいだからおそらくオレがもっと小さくて
物心もついていないころに家に遊びにきたことがあり、その時一度オレの顔を見たから
記憶が残っていた程度の認識でいたのだが、話を聞くとうちに来たことが一度もないどころか
父が結婚したことを知ったというのが最期の更新情報だったらしい。

つまり、結婚したという情報からなんとなく子供も生まれたということくらいは予測できる
かもしれないが、当時何歳になった子供がいるとか、オトコかオンナかとかいう情報もまっく
入っていなかったらしい。

まさに顔を見ただけの直感というやつ。
さらに補足しておくと、オレはこれまでの人生で親族友人問わず、父もしくは母に顔がそっくり
だとかよく似ているといわれたことはその一回だけ。

相似でいえばさほど遠くはないかもしれないが、アンナとクラウディアのような強烈な
遺伝子バトンリレーはない。

それも踏まえると、その時にあったオバサンのインスピレーションというものはすごい。

みなさんはどうだろうか。
父親か母親にそっくりだと言われた経験があるだろうか。

親子における、いわゆる‘似具合’のバランスというものは微妙に難しい。

まったく似ていないと、子のほうが周囲に対していつか
「実はオレは橋の下で拾われてきたんじゃないかなって思う」
という伝統芸能の粋に達しかけているお約束台詞が登場する。

かといって蛭子サンのところみたいに似すぎていると笑われる(笑)

場合によっては「生きうつし」よりも「いいとこ取り」がベストなんだろうねえ。


そうそう、数年前に尾崎豊の息子である「尾崎裕哉」の静止画像と歌声だけが
テレビで紹介された際、爆問の田中が「顔見て歌も聴いたけど、完全に尾崎豊の
生きうつしだよ!」と絶賛していた。


それを最初に聞いてしまったから先入観ができてしまったのかもしれないけど、
そのちょっと後に追ってその画像と声を見聞きした時は、「ああ、そうかも」
とは思った。

でも最近また密着ドキュメントとか歌番組とかに出演しているのを見ていると
顔はやはりちょっと違うかなあ?
髪型とかは一時期の父親に似ているけど。

そして父親と一番違って映ったのはふだんの表情とか話し方。

父親のほうはどこかクールで話し方もゆっくりのイメージ。
そして冷静な口調の時でも、どこか静かに世の中を挑発しているような感じがあった。

ライブビデオでMCとか見ると、かっこいいんだけれど話し方やセリフがちょっと臭い。
20代の頃に熱狂的な尾崎ファンの友人がいたが、その友人もライブでのトークに関して
「尾崎、すげぇカッコイイんだけどなあ。あのシャベリだけはなんか臭いんだよなあ」
と笑いながらいっていた(笑)

一方で息子のほうは、父親に比べると表情も視線もとても優しくて穏やかにうつる。
そしてしゃべり方も。
クールというよりもとても丁寧でさらさらとしゃべっている印象。

だから顔もよく見るとそろほどまで似ていないような気もするし、性格も本人に比べると
どこか穏やかに見える。

だけど……

声とか歌の抑揚とかはそっくりだなと思う。

それがなんだかオレはとても好き。
とてもいいと思う。


よく「親父の背中を見て育った」っていうフレーズを聞くけど、それを勘違いして
職業だけでなく、人間性や人に対する接し方まで寄せていこうとする2世とかって
多い気がする。

憧れるあまり自分自身の個性や思想よりも親に近づくことを目標にしてしまう人。
また、親のいうことや方針を絶対だと信じてしまっている人。

だからオレのなかではあまりイメージの良くない生きうつしとか、親譲りっていうのがある。
たとえば亀○親子とか、ヤッサンのとことか(爆)

だから、普段の話し方や人との接し方はすごく丁寧で発言とかも腰が低いんんだけれど
いざマイクを前にして歌いだすと、父親にそっくりっていう尾崎裕哉の2世としての在り方は
とても好感もてる。

父親に寄せていっている感がまったくないし、本人も寄せようとは思っていないだろう。
だけど、自然と親子を感じさせるこの運命感。すごくいい。

以前、尾崎の弟分だといわれていた吉○秀○が尾崎が亡くなったあとに意思を受け継ぐような
感じのシングルをリリースして、それなりに売れたようだったけど、声とか歌い方を訊くと
まあ、「寄せてる感」がハンパなかった(爆)

尾崎ファンの友人各位もそろって、意識し過ぎ!との評価。

個人の自由といえば自由だけど。

なんていうのかな。
尾崎豊にはもっと生きてほしかったし、うまく伝えないと誤解まねきそうだけれども
尾崎裕哉はひとりのアーティストとしての存在を考えるならば、物心つくころに父親の
背中を見ていないでよかったのかもしれない。

あれだけの才能とカリスマ性のある父親のリアルタイムの背中を見たら、その生き写しを
目指そうと思ってしまうかもしれないうえに、大きなプレッシャーも背負ってしまう。


だけど尾崎豊は息子が2歳の時に逝ってしまった。
だから息子は父親のリアルな背中を知らない。


だからこそ自分の音楽をやりつつ、同時に父親の音楽や人間性も追及している。
純粋だからこそ、親子だからこそ「アイラブユー」を歌う声や抑揚が似ていることに
微塵の計算も感じずに聞き惚れることができる。





テレビ局の人や音楽業界の人たちは「尾崎豊の息子」ではなく「歌手・尾崎裕哉」として
売りだしていって頂きたいと思う。

そういえば2回目の尾崎豊の墓参りいってからどれくらい経つのかなァと思って過去記事
遡ってみたら、もう5年くらい経過していた……

時間経つのは早い。

尾崎墓

墓参り時の記事→ 「墓前」


気がつけば松田優作とかも年下に。

いつどうなるかわからない。
友人や先輩とたまに話したりする…… 生きていた爪痕を残したい、と。