降伏論(こうふくろん) | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

2015年という西暦も、もうすぐ絶命を迎える。

皆さまはもう来年のカレンダーはお買い求めになられただろうか?


中学生の頃、恥ずかしながら浅香唯のカレンダーを買ったことがある。

特に浅香唯のファンというわけではない。

ただ、彼女がテレビに出ていたらちょっと観賞してみたり、グッズが売られていたら買ったり、ビリーブアゲインとかCーGirlなどの新曲を出したらディスクユニオンに走りシングルカセットを買ってみたり、恋愛騒動がおきたらイラついていたりしただけである。


年が明ける前にどっかの書店で買って、家に帰ってあけてみたらガクゼンとした。

日付がみづらいことこの上ない。それどころか、カレンダーとしてこれは機能しないだろうという

ようなデザイン。 それも1月から12月まですべてが。


どの月の紙もいろんな衣装を着て、いろんなポーズを決めている本人が微笑んでいるのだが

その周辺に、まるで‘柄’‘模様’のように崩れた字体の数字がユラユラと書かれている。

よく見るとかろうじて順番にはなっているが、すごく見づらい。

そうなのだ。アイドルがよく出すカレンダーはカレンダーではない。

数字がちりばめられているポスターのようなものなのだ。


一枚につき、2か月分のカレンダーが書かれているから枚数も表紙いれて7枚と少ない。

これはカレンダーとして使えんと思い、それ以降オレのカレンダーは毎年、すごくシンプルな

数字横縦ならびで、さらに空白があって予定を書きこめるカレンダーである。


カレンダーはそれが一番だと思っているのだが、今、松岡修造の日めくりカレンダーが

とても売れているとか。

いらんわ。


だけど、お笑い芸人ヒロシの日めくりカレンダーはちょっと欲しい。

「まいにちネガティブ」というタイトル。

紹介されている言葉をちらりと見たのだがなかなか面白く好感的で内容にも頷ける。

松岡修造とはまさに対極にある内容だ。


「ピンチはピンチでしかない」


まさに同感。

よくピンチはチャンスというけど、ピンチ=チャンスだとしても、それは言い換えると

チャンス=ピンチでもある。


つまり人生においてチャンスの時はピンチであり、ピンチの時はチャンスであるわけだから

結果的には相殺されてZEROとなる。

チャンスはチャンス。ピンチはピンチという元の定義に回帰するのだ。


極端な話、ピンチはチャンスだと言い張る人は、奥さんから離婚の話を切り出されたり、

繁華街を歩いていて、前方から目のイっちゃっている刃物男が突進してきても

「これはチャーンス!!♪」とか思うのだろうか?


まさかイメージアップにつながる場合のピンチ状況の例だけ都合よく持ち出して

「ピンチはチャンス」だなんて言っているのではあるまいな(笑)


いや、ヒネクレ思想を抜きにしても現実、ヒロシの言っていることのほうが正しいと思う。

ヒロシに一票。


もうひとつ

「『苦しい時ほど笑え!』 笑えるくらいなら、とっくに笑ってます」
これにも、ささやかながら一票を差し出したいと思います(笑)


そんなヒロシの日めくりカレンダー、かなり売れていて評価も高いらしい。
最近少しづつ「うさぎ飛び精神」的な努力思想から世間が脱却してきたような気もする。


先日、大往生で亡くなられた漫画家の水木しげる先生。

先生の名言で

「努力は人を裏切ると知れ」

というのがある。


ネットのトピックで読まれた方もいるかもしれないが元フジテレビの長谷川豊アナが

水木氏のこの名言について認める旨を書いていた。

本人の過去の経験からだ。


また長谷川アナが司会をつとめるMXの番組内でも、この名言についての視聴者アンケートが

行われたという。


番組そのものは観ていないから正確にそういう文言だったかはわからないが


Q・『努力は人を裏切ると思いますか? 思いませんか?』

といったアンケート。


結果はトリプルスコアで『人を裏切る』の圧勝だったとか。


それを聞いてオレはなんだかホッとした。安心した。


社会で生活していて、耳に入ってくるのはポジティブな言葉ばかりだけど

やはりみんな、認めたくないだけで心の中では現実をちゃんとわかっていたのだと。


体裁やイメージを気にしたり、強がっていただけなのだと。

このトリプルスコアは逆にオレの心にわずかな灯をともしてくれたね。


あくまで一番組のアンケートではあるけど、それでもそういう世論がはじき出された現実は

認めるべきだと思う。

とくに何かとあればすぐに努力だの根性だの、やれば出来るだの、一歩踏み出せだの

いう人は。


そういう考えの人に対して否定はしない。努力が報われるというのを信じているのであれば

それはそれでいい。

でもその考えは自分の中だけで持ち、実践すべきだ。

他人に強制したり説いたりするものではない。


最近のアメリカではハリウッドスターや人気アスリートに対して、インタビューを受ける際、

「夢は必ず叶う」だとか「努力は報われる」だとか言った発言をしないでほしいと呼びかけている

そうだ。


影響力やカリスマ性のある人間のそういった言葉を信じて頑張った若者が挫折したり、認められなかった時に自殺したり、精神を病むケースが多いことが原因。


失礼な言い方だが、血の気が多くバカ騒ぎが好きなアメリカにしては、この考え方は日本に比べて大きな前進だと思う。

やっと、経済面以外での先進国らしさが見えたというかなんというか(笑)


戦後の高度経済成長を経てモーレツ会社員が生まれるなど、とにかく日本には

『やれば出来る』 『努力は必ず報われる』

といった風潮と戦後教育が蔓延してきた。



長谷川豊アナは言っていた。

「小学校時代の教育、やり直したほうがいいのか…」


これからの子供や若者が絶望したり、自殺しない世のなかを考えたら、

小学校くらいから「努力は報われる」なんていうニュアンスの精神を教えるのではなく

「努力は報われない場合が多いけど、それでも絶望したり自信を失ったりする必要はないよ」

といった現実を教えた方がいいとオレは思っている。


まだ、ザ・ハイロウズだったころの甲本ヒロトが「不死身のエレキマン」という歌の中でこう歌っていた。


♪ 子供のころから憧れていたものになれなかったんなら オトナのふりすんな


努力が報われるならば、人はみな子供の頃に憧れた職業についている。

ついていなければ、それは努力をしていなかったということだ。


世のなかの8割から9割の人が、やりたかった仕事をしてないと思う。

じゃあ、9割すべての人が努力していないのか?

そんなこともないだろう。


やはり努力ではなく運なのだ。


9割の人間が人生の9割をしめる運の前に敗北している。


職業に限らずいろんな面において、オレは9割の人間が生まれながらの敗北者だと思う。

でもそれは恥じることでもないし、強がって勝者だとかいう必要もない。


ほとんどの人間が運にのまれて負けているがあたりまえなのだ。

努力では運に勝てない。


運にひざまずき降伏宣言をし敗北を受け入れた者こそが身軽になり、偽りの一歩ではなく

真の一歩を踏み出して幸福に近づけるのではないだろうか?


なんだか宗教ぽくなってしまったから、このへんでおしまい(笑)