禁じられた遊び | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

昭和50年代後期のとある冬……

当時小学生だったオレと友人Nのふたりはもしかしたら多摩川で殺され、翌日には

河川敷で子供ふたりの惨殺遺体が発見されていたかもしれなかった。

冗談でもオチがある話でもなく、真剣な話。


小学生の頃、オレとNはいつも一緒に遊んでいて、ふたりして冒険ごっこや生き物を捕まえに

ゆくのが好きだった。


ある日の放課後も、学校から帰ってNと一緒に自転車に乗り、3,40分かけて多摩川の

河原まで昆虫を捕まえたり釣りをしにいった。

すぐ近くにボーリング場のある河原だった。


河川敷につくとオレとNは自転車を止めて、斜面になっている草むらに入って昆虫を探し始めた。

探しているうちにいつしかふざけあってきて昆虫採集は一時中断。

オレとNは草が生えた土手でふたりだけの鬼ごっこのようなことをして、はしゃぎながら土手の草むらを走り回っていた。


その時、楽しく追いかけっこしているオレたちにある声がかかった。

「ねえ? 君たち、このへんにヘビいなかった?」


声の方を見ると、おそらく当時20代半ばから30歳くらいの大人の男の人が土手をゆっくりと降りながらこちらを見ていた。

これが「ヘビのお兄さん」との遭遇だった。

(以下「お兄さん」と表記)


付近に他に人はいない。

お兄さんがオレらに声を掛けたのは明らかだった。


「ヘビ?」

オレとNは一度顔を合わせたあと、お兄さんに訊き返した。


「ヘビですか?」

「そう、ヘビ」

「見てはいないけど、ヘビ探してどうするんですか」


そう訊くと、お兄さんはこう答えた。

「食べるんだよ。ヘビって食べられるんだ」


食べる食べないは別として「ヘビを探す」という言葉は、まだ純粋で冒険好きな小学生

ふたりの興味を惹きつけるには充分すぎるほどの魅力があった。


「お菓子かってあげるから一緒においで」「プラモデルみせてあげるから部屋においで」

というような昭和の時代によくあった誘拐犯の手口紹介のようないわゆる「ついておいで」系の

誘いがアブナイということは子供でもわかっていたが、誘うカタチではなくて、さりげなく面白いことをやっているよというアピールで子供を引き寄せるカタチには免疫がなかったのかもしれない。


「ヘビ探しだって! 面白そうじゃん! オレらも一緒にやってみようよ!」とオレが言ったら

「うん!」とNが言った。


「お兄さん!ボクたちも一緒にヘビ探すの手伝うよ」と言ったら、お兄さんは

「よし、一緒に探そう」と言った。


それからお兄さんとオレらは土手の草むらをじっくり見ながらヘビを探して歩いた。

後になって考えれば、草むらと言ってもちょっと手入れを怠った芝生程度の高さの草しか生えてないような土手だし、季節だって冬だ。ヘビなんているはずがない。

だけどオレとNは、探検隊気分でいるはずのないヘビ探しに夢中になって草むらを見て回った。

お兄さんも見ている様子だった。


捜し出してから20分もしないうちにお兄さんが

「ケンくん、Nくん、そろそろちょっとあのへんに座って休憩しようか」と言った。

オレらはお兄さんの言う通りに従って橋げたの下に行き、多摩川の水面を見る向きで

3人並んで腰を下ろした。

オレ、真ん中にお兄さん、そしてNという座り方だ。


そこに座ってからお兄さんは不思議とヘビについての話はまったくしなかった。

そのかわりにオレらについて「何年生?」とか「家はこのへんなの?」とかいろいろ訊いてきた。

あまり憶えていないがそのへんは答えられるところだけ普通に答えていたような気がする。


いつの間にかお兄さんとオレらふたりはいろいろな話をするようになっていて、ヘビを捕まえる

行動はまったく忘れていた。


お兄さんはオレとNにいろんなことを訊いてきた。趣味とかそういうことも。

「ケンくんは何が好きなの?」


当時オレはゲゲゲの鬼太郎が好きで、その中でも水木しげるの描く妖怪が好きだった。

だから「ボク、妖怪が好き」と答えた。


今でこそ妖怪ウォッチとか鬼太郎の再ブームで妖怪が多少の人気を集めているが当時にして

妖怪に興味がある同級生などあまりいなかった。みんな野球選手とかアイドルとかに夢中だ。


だからオレの理解者というのはあまりいなかった。

図工の時間、お面をつくることがあって面に好きな顔を書くのだが、オレは自分で考えた

妖怪の顔を書いた。

クラスの中でも意地と口が悪いと評判だったひとりの女子がオレのお面を見て見下すような顔で

「キモチわり~!」と言ったのと、その時の顔を今でも憶えている。


お兄さんもきっと興味ないかバカにするかと思いながらも聞かれたから答えたのだが

お兄さんは「へえ」とか一言で片づけるわけでもなく、オレに

「じゃあ、ケンくんが一番好きな妖怪はどういう妖怪なの?」

と訊いてきた。


お兄さんの反応はとても意外だったけど、オレは妖怪の話を聞いてくれる大人がいたことに

嬉しくなってある妖怪のことを語った記憶がある。

(それがなんていう妖怪だったかは覚えていないが、人間に迫害された妖怪だったと思う)


その妖怪は本当は良い妖怪だったけど、人間のせいで醜い姿になったとかいうようなことを

子供ながらに熱く語った。


するとお兄さんは、子供の妖怪話に対して

「その妖怪は人間から姿だけで判断されてきっと悲しかったんだね、だけどやっぱり村の人が

好きだから姿が変わっても影で村の人を守ってたんだね」

と返してくれた。


オレの妖怪話の流れで今度はNが、夜中起きたら位牌の前に死んだおばあちゃんが立っていた

のを見たという話を始めた。

Nが話し終わると、お兄さんはオレの時と同じようにNに対しても

「それきっと、おばあちゃんがNくんの顔を見たくて天国から降りてきたんだよ。Nくんはとても

かわいいから」 と言った


あまり憶えてはいないが、そのあともお兄さんはオレらにいろいろ聞いてきて、オレらが

幼稚なことばかりを話しては、それについてしっかりと優しく答えてくれた。


気が付いたら空がオレンジ色になっていた。座りだしてから3時間以上話していた。

一番最初はヘビを探していたことなどすっかり忘れていた。

ヘビを探した時間よりも、座って話していた時間のほうがはるかに長かった。


オレが何か話している途中にお兄さんが言った。

「あ、ほら! もう暗くなってきたからそろそろ帰ったほうがいいよ。お母さんとか心配するよ」


自分たちの話を聞いてくれるお兄さんとの時間を楽しんでいたオレとNは名残惜しかったが

お兄さんの言うことをきいた。


さようなら、とお兄さんに挨拶して自転車にまたがり、小さな背中に西日を受けてペダルを漕ぎ

帰路についた。


Nとわかれて家についたあと、嬉しさのあまり河川敷での出来事を母親に報告した。

今までクラスの中でもおとなしく決まった友人としかつるんだりしていなかった自分が

年の離れた大人の人と会っていろんな話をして一緒の時間を過ごした。

そんな自分にどこか誇らしい気持ちがあったのだと思う。だから嬉しくて話した。


そんな自信満々のオレだったが、母親は怒った。


「ダメでしょ! そんなヘンな人と会ったら! 普通の日の昼間にそんなところにひとりで

いて子供にヘビ見なかったかなんて聞くなんてそんな人おかしいでしょ! 最近そういう

事件多いんだから!」


それを言われて冷静になった。

楽しい気分だけでいろいろなことを見落としていたが、先に書いたようにその時期のあんな場所にヘビなんているわけない。


仮にヘビが活動してしても、子供が興味持って「一緒に手伝う」と言ってきて危険だからと

断るはずだ。

そのうえ、あのお兄さんの持ち物は小さなポシェットのようなものだけだった。

ヘビを捕まえる恰好にしては普通のシャツにジャンパー、ジーパンとあまりにも軽装で、

なおかつヘビを捕獲する道具のようなものや、捕獲したヘビを入れるカゴのようなものなど

何も持っていなかった。


一気に血の気が引いた。

たしかにおかしい。少なくともヘビを捕まえるいうのは間違いなく嘘だ。

そしてヘビの目撃証言を聞くにしても、たまたまそこで遊んでいた小学生に訊くというのも

違和感がある。


そうだ。ヘビのお兄さんは間違いなく当初オレらに対して何か真の目的を持って接したのだ。

でも、そうだとしてもオレの中で引っかかる部分がある。


オレら子供の話を真剣に聞いてくれ、最後には「もう帰ったほうがいいよ」と優しい言葉を掛けて

くれたこと。

誘拐犯や殺人者がそんなこと言うはずがない。


そのあとにNとも話し、また今でもそうじゃないかと思うことがある。

こういうと自惚れみたいに聞こえてしまうかもしれないけど構わない。


殺すためというのは極端かもしれないけど、一番最初、お兄さんはオレらに何か危害に近いものを加えるつもりで、ヘビを探していると嘘をつき、オレらの関心を引くことに成功した。


だけど途中から土手に座って3人でいろいろ話しているうちに、お兄さんの感情が変わってきたのだ。

平日の昼間に多摩川でひとりでヘビを探していると言って小学生に声を掛けてきたお兄さん。

当時にオレらには知る由もない大人の背景をお兄さんはストレスとともにきっと抱えていて、多摩川に出てきたのだと思った。


そこで目についたのがオレとNだった。

お兄さんはオレらに良からぬ‘何か’をしようと接近したが、多摩川を見ながらまだ純粋で大人を

敬う子供と話しているうちに、心変わりしてきたのだ。きっと。

それで最後には「もう帰ったほうがいいよ」と声を掛けてくれたのだと思う。


お兄さんと過ごした時間は矛盾点や怪しい点があきらかに多かった。


だけど……オレの中では怖いとか腹が立つというよりも、子供の妖怪の話を真剣に聞いて

くれたお兄さん、夕暮れになって「もう帰ったほうがいいよ」と言ってくれた優しいながらもどこか

寂しそうだったお兄さんという印象のほうが強く残っている。


こういった感情を持つことは良くなく、危険なことかもしれない。

だけど、もしかしたらオレとNを殺すまでいかなくとも危害を加えようとしていたかもしれないあの

お兄さんが、今でもどこかで普通に生きていてくれたら嬉しいと思ってしまう。

幸せまでにとはいわなくとも。

普通に生きていれば、もう還暦か、それ以上になっているだろうけど。


結果的にあの時点ではオレらも遺体にならず、お兄さんも犯罪者にならずに済んだのだけれど

あの頃のオレらに魅力的だったお兄さんのヘビ探しはまさに『禁断の遊び』だったのかもしれな

い。


そうなんだ。子供っていうのは純粋ゆえに興味あれば自分からついていってしまうこともあり

また、それに漂う犯罪の匂いに気付かずに熱中してしまうこともあったりする。


ルネ・クレマン監督の名作映画

『禁じられた遊び』


物語に登場するポーレットとミシェルの十字架盗みと墓地造りもそんな純粋さゆえの行動だ。


禁じられた遊び(トールケース) [DVD]/アイ・ヴィー・シー
¥4,104
Amazon.co.jp

フランス映画界の名匠ルネ・クレマン監督による、もはや単なる反戦映画の域を超えた名作中の名作。

第2次世界大戦中の1940年6月、南フランスの田舎でドイツ軍戦闘機によって両親を殺された幼女ポーレット(ブリジット・フォセー)は、農家の少年ミシェル(ジョルジュ・ブージュリー)と出会い、彼の家で暮らすことに。やがてふたりは死んだ犬の墓を作ったことがきっかけで、小さな虫や動物の死骸を埋め、十字架を立てるというお墓遊びをはじめていくが…。
ナルシソ・イエペソのギターが奏でるギターの音色とメロディに彩られながら、戦争によって運命を狂わされた幼い者たちの悲劇を浮き彫りにしていく。

(アマゾンレビューより引用)



可愛がっていた犬のお墓をつくる幼女ポーレット。

そんなポーレットに対して少年ミシェルはお墓には十字架が必要だということを

教えた。


やがてポーレットは、愛犬が独りぼっちだと寂しいのじゃないかと、その周辺にたくさんの小さな

生き物をお墓をつくり、自分たちの小さな墓地をつくる。


お墓があればそれだけの十字架が必要となる。

ミシェルとポーレットは生き物のお墓にたてる十字架を街や墓地から盗み出す……


幼きふたりに邪心はない。純粋で優しいことと、戦争が禁断の遊びを招く。それが切なく悲しい。

流れるギターの音楽もまた切なく美しい。


観賞後は心に鉛を流し込まれたようになんとも重い気分になるが、一度は観ておくべき

名作。