木曜日から盆休み突入。
土日入れて休みは4日間あって、直前まで予定の入っている日が1日しかなかったが
なんだかんだで家族や各方面の友人と会ったりで今日までは埋まった。
さすがに明日は仕事に備えてゆっくり休む……つもり。執筆作業はせんといかんけど。
とりあえず昨日の記録。
終戦の日より1日早いが、友人二人と靖国神社に行ってきた。
15時市ヶ谷駅改札集合。
せっかくだから正面から入ろうと市ヶ谷駅から九段下のほうに歩いていった。
人もそれなりに多いが、何よりも観光バスの数が多い。
駐車場だけでなく参道の両サイドにも停車している。
拝殿。
正面からの撮影はNGらしい。
横や斜めからならよいとのこと。
手を合わせて参拝……
英霊に敬意を。
実はオレら3人、この靖国神社に来たのははじめてである。
オレはお墓参りに行く際、いつも靖国の前を通るのだが、まともに参拝をしたことがなかった。
やはり日本人として一度は行っておかないとと思った。あのジャスティン・ビーバーですら
ここで手をあわせたことがあるのに。
そういうわけで友人を誘って出向くことを企画したのである。
境内を歩いていても、やはり他の神社とは意味合いが違う厳粛さを肌に感じる。
拝殿を右へと進んでゆくと「遊就館」がある。
いろんなものを展示してある施設。
戦後70年という節目だけあって館内はたくさんの入場客が。
入場料は掛かるが、玄関ホールまでなら誰でも自由に入れる。
玄関ホールには零戦が展示。
一緒にいった友人の一人のおじいちゃんが零戦には思い入れがあったようで
どっかに展示された零戦と一緒に撮った写真があったらしい。
それがどこにある零戦と撮ったのだかずっと解らなかったらしいが、当日この遊就館に来た
ことで、場所がここだとわかったと喜んでいた。
戦争中にアメリカ軍が撮影した特攻隊の映像を見る機会が多い。
燃料をたくさん積んで、敵の駆逐艦などに体当たりして炎上する場面。
当然操縦席の中までは映っていないので、隊員の表情などは見れないけど
「これが人が死ぬ瞬間なんだ……」と思ってしまう。
死ぬことを前提とした出撃……なんとも切なくなる。
元特攻隊員の人たちのインタビューなどを聞くと、当時の本音が語られている。
死ぬのはいやだ。それは当然のことであって決して臆病でもなんでもない。
だけど、それを言ってはいけない空気が流れ、自分自身に対しても名誉で喜ばしい
選抜だと言い聞かせなければならない。
なんか、似ているなと思った。
もちろん国のために命をかけた特攻隊の方々と一緒のレベルにするのは失礼だから
一緒にはしないが、その‘風潮’はなんか似ている。
なんでも前向きに考えないといけないという風潮に。
みんなが○○のためにと、一体になっている時に弱気な発言はするなという風潮。
でも、特攻隊の方々は命をかけてそれに従った。
ご本人たちに罪はない。
以前から平和の基準がよくわからない。
スピノザという人が
「平和とは、ただ闘いのないことではなく、それは魂の力により生まれる美徳である」
と言ったらしい。
魂の力~というくだりはちょっと難解だが、ただ闘いがないことではないというのはよくわかる。
体当たりして激しく爆発する零戦や、原爆を投下された街の惨状を見ると、戦争の生々しい
酷さが目に移り、ぜったいに巻き込まれたくないと思う。
その一方で、守ってもらうけど、こっちは守らないよ、金は出すから争いは勘弁してくれという
姿勢もどうかと思う。
なんとも難しいところなんだ。
簡単に言えない。言うと言葉足らずで誤解を招くから。
何度も書いているようにオレは集団的自衛権には消極的賛成だ。
だけどリアルな戦時中を生きてきたおじいちゃんやおばあちゃんの涙とかを見ていると
その願いを裏切るような引け目も感じてしまうので、消極的賛成だけど、反対デモを行っている人たちをどこか応援したい。民主主義だし。
ただ……
それを戦争法案だとすぐに表現してしまうのも極端かなとは感じる。
可決すれば必ず戦争がおこると決まったような言い方だから。
あの法案に関しては可決しないならオレはそれでイイと思う。
戦争に巻き込まれなくてすむならそれはいい。
だけど、そこで「これで戦争に巻き込まれることはなくなった」で終わらすのではなく
そこで改めて平和の意味をよく考えなおし、多くの国民にとってに平和の有効活用を
再構築するべきではないだろうか。
戦争に巻き込まれることがなくなったとしても、それで安心して終わったら何も変わらない。
ミサイルや弾が飛び交わないだけで、真の平和とは言えないままだ。
履き違えた平和を修正しないといけない。
いろいろ感慨深くなりながら靖国をあとにした。
境内に鳴り響く蝉の鳴き声の夕立ち……
散って行った特攻隊の人たちの霊が零戦から地上の蝉に乗り換えて、この世に帰ってきた
ようにも思えた。
自分はあの法案に対して、確固たる独自の思想であれば反対派の人の意見も賛成派の
人の意見もそれなりに尊重している。
あっているにしても間違っているにしても、個人の真剣な考えであるならば。
パスカルは言っていた。
「人間はつねに、自分が理解できない事柄はなんでも否定したがるものである」と。
人の数だけ意見があるのだ。
だから今回書いたことは決して正解ではなく、あくまでオレの個人的見解。
勉強不足で多少事実と異なる部分もあるかもしれないが批判はご遠慮頂きたいと
思う。
たとえ戦争がおきなくとも、色んな意味で特攻させられる人がいなくなることを
祈っている。