ここ最近は記事にしたり本読んだり、あるいは軌跡を辿る作家が
どうも三島由紀夫に偏りがちになっていた、気が付いたら。
先日の肉食草食の話ではないけど、肉を食べたらならバランスを考えてそれなりに野菜を
食べないといかん。
週末吉祥寺に行った時、ひとつ手前の駅である三鷹で下車してウォーキングもかねて吉祥寺まで行ったのだが、ウォーキング以外にもうひとつ、三鷹駅で降りる目的があった。
三島サンの足跡をたどってばかりじゃバランスが偏るし、贔屓になるので久々に太宰治のほうへも訪問しようと。命日である「桜桃忌」も再来月くらいに近づいてきたことだし。
ほんと久しぶりにやってきた。1年ぶりか、もっと経っているかな。
三鷹に住んでいた太宰の愛した「跨線橋」
階段のすぐ下には太宰本人が降りてくる時の写真が案内パネルとなって変わらず紹介されている。この日も通りがかりにのオジサンが立ち止まって見つめていた。
階段を上がる。まさに太宰の足跡をたどる。橋の上からは下に走る線路とそこに流れるオレンジ色の光。「走り出せ中央線」と歌うザ・ブームの声が聞こえてきそうだ。
遠くのほうには多摩の山々がぼんやりと浮かんでいる。
時代が異なるだけに、風景の中に佇む建物や電車のデザインは違うだろうが、
そこから見る空は太宰が見たのと同じ風景。
太宰はここから見る夕焼けがとても好きだったと聞いていた。
そして、友人をよくこの橋の上に連れてきたりもしたそうだ。
それくらい、この跨線橋を愛していたらしい。
太宰がこの橋から見える夕陽の向こうに見ていたのは希望だったのだろうか、絶望だったのだろうか。
オレも今まで何度かこの場所に来て、太宰と同じように遠くの風景を少しの間、見つめたりして
いるが、そのたびに「オレはまだまだ大丈夫かもしれない、そして何かやり遂げるかもしれない」
と思うこともあれば「オレはいつか自ら死を選択してしまうかもしれない」という不安に急襲されそうになったりもする。
この跨線橋には成功の魅力と死の誘惑の2種類の香りが漂っている。
それは何か太宰の残り香のようなもの。
でも太宰が夕陽の向こうに見ていたのはたぶん太宰なりの希望だったのではないだろうか。
それはその場所が電車を上から見下ろす場所だったから。
太宰が選んだ場所が「電車を下から見る場所」じゃなくてよかった。
つまり、線路の上に寝そべることを選択せず、電車を上から見る場所を好んだということ。
結局最後は水に入ってしまったわけだけど、とりあえず電車を下から見て終わるような
終わりかたじゃなかったのはひと安心。
太宰がなぜ入水してしまったか。またそれ以前もなぜ自殺未遂を繰り返したかという疑問の流れから、オレはいつも「命とは尊くて美しいものか」ということを考えてしまう。
いや、そういう言い方をすると「命」をありがたいものだと思っておらず否定しているように
聞こえてしまうから、ここは言い変えよう。
どんな理由があれ、「生きること」は素晴らしいという意見はよく耳にする。
でも、生きること=素晴らしい、となるのであればそれと逆に位置する死んでしまうということは
あまり素晴らしくないということになる。
現在生きているということがそれだけで素晴らしいのであれば、テロで殺されて命を失ってしまった人よりも、そのテロの片棒をかつぎながらも死刑にならず終身刑となって刑務所の中で生き続ける犯罪者のほうが美しいという捉え方になってもおかしくはない。
犯罪者の「命」よりも、そのテロ現場で自分の赤ん坊を爆風から守るよう、包み込むようにして
死んだ母親の「絶命」のほうがオレにはずっと美しく思えてならない。
ただそこにあるだけの「命」と、
人のために行った行動の末の「絶命」
なにがなんでも生きていることが一番!というのならばたとえテロリストの命だろうが
まだそこに存在しているだけ美しいというのだろうか。
そういった一部の人間のものは別として「命」はたしかに尊い。それは否定しない。
だけど果たして「生きていることが一番美しい」と言い切れるのだろうか。
オレは「生」を超越したとても美しい「絶命」もたくさんあるのではないかと思えてならない。
つまりはたぶんこういうことじゃないかと考える。
「生きることは素晴らしい」とか「命は尊い」とかいったセリフを世の中のすべてに人に
ふりまくような言い方をするから違和感があるのだ。
「自分の身近な人と、真面目に生活しているたくさんの人には死なずに長生きしてほしい」
っていえばそれでいいんじゃないかと。
そんなような話を各方面の友人とかと酒を飲みながら議論したいんだけれど、
したらしたで友人が減ってゆきそうだからしない(笑)
人間失脚。
こんなメンドクサイ人間に生まれてきてすいません。
考えてもしょーがないから、とりあえず跨線橋からしばらく歩いてこれまた久々の禅林寺へ。
いつもは自転車で来ていた寺だ。
とりあえず太宰の墓前で手を合わせて、桜桃忌より少し……いや、かなり早めの
お墓参り。桜桃忌はたぶん来れないからね。
「センセイ、どうしたら小説が上手に書けるでしょうか」
とだけ投げかけさせてもらい、オレは墓前を背にして吉祥寺へ焼き鳥を食べに向かった。
ちなみにオレは太宰作品に関して言うと「人間失格」よりも「斜陽」のほうが好きです。
おしまい