伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」他 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

八月の路上に捨てる (文春文庫)/伊藤 たかみ
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そうか……自動販売機のドリンクやコーヒーって、今は130円なのか。


日曜日に、部屋でパソコン向かってパチパチと執筆作業をしていたら喉が渇いてきたので

冷蔵庫をあけたら、缶コーヒー格納庫ゾーンに缶コーヒーがまったくなかったので、

しょうがないから下にある自販機に買いにゆこうと、ダウン羽織って、120円握りしめて

エントランスを出て、自販機にコインを投入しようと、その表示を見たら10円足りなかったので

心の中で「ちょわっ!」と叫びをあげてしまった。

発泡酒だって80円以内で変えるのに、コーヒーやお茶や水が130円って、この国の物価基準は

どうなってんだ安倍! おひざ元の選挙区に乗り込んで、菅に音を上げさせても、缶の値は上げさせるんじゃないっ!

なんのこっちゃ。



でもよく考えてみれば、もともと100円でそれが増税で段階を踏んで上がっていったのだから

そういう結果になっていても当然かもしれない。

ここ数年、缶飲料に関しては西友や業務スーパーなどで安く買い込んでストックして喉の渇きを

補っていたせいで、自販機などでは全く買う事がなかった。


映画コメンテーターで丸岡いずみと結婚した金持ちボンボンキャラの有村ナンタラが、成人して

初めて牛丼屋に入った時、店員に「個室はないんですか?」と聞いたエピソードもかなり価値観の

ズレをあらわしているが、もともとの基準やシステムを知っていても、しばらく遠ざかっていると

既知の基準もズレてきてしまうものなのだのう。


とりあえず財布からあと10円出して結局買ったけど、それにしても130円かあ……

尾崎豊が「15の夜」の歌詞の中で缶コーヒーについて「百円玉で買えるぬくもり」と歌って

いたことに時代を感じずぬにいられない。


エアコンや扇風機といった空調機材のまったくない校舎で授業をうけたり、部活動でそれなりに

汗を流したあとの放課後の帰宅途中にある自動販売機は、今考えてみると、大人世界でいう

居酒屋と同じようなオアシス的な存在だった。とくに夏の日は。


友人同志で遊びとしてゆくサマーランドなどはすごく楽しいけど、学校の授業となると何故か

絶大な不人気を誇る「プール」の授業。

そんなプールの授業の後はけだるさにプラスして、カルキの成分で焼かれた喉が異様に渇いた。


早く学校を出て、周辺の商店街に置かれた自動販売機で、500mlのロング缶のチェリオグレープ

炭酸をぐびぐびと喉に流し込みたくて、授業が終わったら仲の良い友人たちと自転車にまたがって

自販機までダッシュしていった。


あと、時により、自動販売機にはトラップが仕掛けられている。

まず悪意のあるトラップ――

今はもう環境問題と資源問題から缶とプルタブが一体型へと進化しているが、昔はフタをあけると

缶とプルタブは完全に離れる仕組みだった。

そのプルタブの「つまみ」じゃない「ふた」のほう薄い部分が不人気のドリンクのボタンの隙間に

差し込まれていたりするのだ。


仕掛けた側からすると、買わせようとするドリンクのボタンを押した状態で、その下にプルタブを差し込み、ボタンを押して固定された状態を設定するわけ。

これで「常時押されている状態」だから、買おうとした人間が硬貨を入れて自販機自体がそれを

感知して作動した瞬間、購入者が希望のドリンクボタンを押すよりも早く、トラップのプルタブが

差し込まれた商品が出てきてしまう。

高校生や中学生には人気のない「無糖」とか「玉露」とか。

オレも一度友人とともに引っ掛かってしまい、チェリオの炭酸を買おうとしてコイン入れた瞬間に

「ピッ」と音が鳴ったかと思ったら、ガタンと音がしてとりだし口をのぞくと、

そこには「午後の紅茶・無糖」があった。

ちくしょー!! チャンチャカチャンチャンチャチャンチャチャンチャン……今さら小梅。


あとね、8月という夏ど真ん中なのに、何故か「HOT」の占有率が高い自販機。

夏だから全部コールドに決まっている!と思いこんで商品だけ見て軽くボタンを押してしまうと

つかんだ時に手のひらに伝わるその熱に絶望という感情を憶えることになる。

高速道路のさびれたサービスエリアの自販機にコレ多かったな。

柔道部の夏の合宿に参加したOBの先輩が途中よったサービスエリアでこのトラップにかかり

熱い缶コーヒー買ってしまい、誰かに半額で売り飛ばそうとしてたけど誰も買わなかった(笑)


メーカーが発売するドリンクの生き残り競争も厳しかった。

ウスバカゲロウのように儚く短命だったタブクリアーやアンバサ。

元バイト仲間であるMさんは当時サントリーから発売されていた「カンフー」という炭酸飲料が

大好きでいつも飲んでいたのだが、カンフーにおける世間の評判はあまりよくなく、

販売を撤退する自販機が増えてなかなか買えなくなった。ある時にまだ売っている自販機の

情報を入手し、すこし離れたその自販機まで車でわざわざいったのだが、その場所まで行ってしまったばかりに帰りに自動車関連のトラブルに巻き込まれて、高い出費となったようなことを

聞いたの思い出した。


そういう例や過去を振り返ってみると、我々は想像以上に自動販売機という存在に振り回されたり

しているかもしれない。そして同時に自動販売機は「ドリンク」を販売するだけの装置ではなく

そういった「エピソード製造マシン」でもあるかのように映る。


今回紹介する芥川賞作品「八月の路上に捨てる」の主人公もそんな自動販売機に補充をして回る毎日を過ごす男である。


――

三十歳の誕生日に離婚する予定の敦は自動販売機の補充に回る車内で同僚の水城さんに

結婚生活の顛末を話して聞かせる。社会のひずみに目を向けつつ、掛け違ってゆく男女を描いた

第135回芥川賞受賞の表題作ほか……

(解説引用)


本作の核となる世界観は、会話内における男女のすれちがい。

そんなテーマを自動販売機補充業務というBGMが演出しているようなものだろうか。


大きな動きや感動があるわけではないが、それが純文学っぽいかもしれない。




今回のもう一冊。

中学んとき (角川文庫)/角川書店(角川グループパブリッシング)
¥637
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中学生ならでは悩みや人間関係など学校生活にあふれるリアルを多方向から描いた作品。


だんだんと性に関する知識も身につけるようになってくる年ごろ。


中学校の時、いわゆるヤンキー気取り男女グループが教室の後ろのほうでたむろってた

そのグループの中でスーパーハードムースで髪をツヤツヤにしてるような男子が、一緒にいる

女子に対して、エッチなことを言ったりしてるのが大声だけに聞こえてきたりした。

言われた女子のほうも口では「ヤダ~!」とか言いながらも顏は笑っていて楽しそうだった。


教室の隅で地味な男友達とそれを聞きながら、心の中でそのグループの男子に対して

「みんながいる教室の中でそんな下品な話を大声でするなよな」とか、女子に対しても

「そんなこと言われて喜んだりしてんじゃねーよな」とか男友達と話していたけど、

そう強がる反面、心のどこかで

「オレもああやって、クラスの女の子たちと楽しそうにエッチな話とかして『やだー』とか言われて

みたいなあ」なんて密かに思っていた時期もあったような気がする……(._.)


今年最後となる「本」紹介記事だったのに、プチカミングアウト的な暗いオチで終わってしまったではないか! ちくしょー!!

チャンチャカチャンチャンチャチャンチャチャンチャン…… ←しつこい。