2つの「RAMPO」 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

みんなの党が解党するかいうトピックが浮かびあがっていた。

解党だとか分裂だとか離脱だとかその表現はいろいろあるが結果は同じようなもん。
政権を持っていた時の民主党も、未来の党も維新もみんな派閥別れとなった。

もともと同じ志をもった人間の集まりだったのに、時間がたつにつれて互いに何か方向性の
違いに気付き、分裂したり離脱したりという現象はなにも政治の世界だけではない。

お笑いコンビが解散するように芸の世界でもたくさんあるし、当然、音楽や映像の世界でも
多くある。

たしかオレが大学生くらいの頃だったと思うけど、竹中直人と本木雅弘が出演していた映画で
江戸川乱歩の生誕100年だかを記念して製作された「RAMPO」という映画があった。

そういや今年は江戸川乱歩生誕120年らしい。ということはあれからもう20年は経ったのか…。
ちくしょう、参考動画が英語版しかないではないか(ーー;)



年齢的には周りに比べてかなり遅い周期なのだが、ちょうどこの映画が公開される数年前くらいに「人間椅子」「屋根裏の散歩者」「化人幻戯」などの名作を読んで乱歩にハマってしまい、その直後にこういう映画をやるという情報を聞いて、映画館へ観に行ったのを憶えている。


江戸川乱歩ファンじゃない人間にとっても、この「RAMPO]はかなりの話題になった。
世間もそれなりに賑わす要素があったのだ。

最初にもふれたとおり、その話題の要素とはズバリ「分裂」
当時かなり騒がれたから今でも記憶に新しい人も多いはず。

当初の映画製作チームにおける総監督は「黛りんたろう」
そしてその下には当時の北野映画で名を広めた敏腕Pの「奥山和由」(当時松竹)がいたのだ。

黛監督のもとの「RAMPO」が撮影終了したあと(だったと思うけど途中かもしれない)
その構成に納得がいかなかったプロデューサーの奥山和由は、同じ役者を使って自分の思うとおりの演出での「RAMPO]を撮り直したのである。

出演している役者のスケジュールなどの問題も踏まえて考えると、これってけっこうスゴイことである。

結果的に黛りんたろうと奥山和由は対立するという現象にはなったのだが、奥山もそこは
相手が当初の監督だということを重んじてか、黛監督のもとでとった作品を修正して欲しいと
訴えたわけではなく、黛監督の「RAMPO」はそれはそれでひとつの作品として上映する
ことに異議はとなえず、それとは別に自分に思い描くままの世界のもうひとつの「RAMPO]
を撮影し、世に送り出したのだ。

こうして「RAMPO 奥山監督ヴァージョン」と「RAMPO 黛監督ヴァージョン」
という2つの「PAMPO」が世の銀幕に放たれる流れとなった。

「RAMPO]というタイトルもメインの役者も同じ。
両方見たわけじゃないから詳しくは語れないが異なるのはたぶんわずかな世界観と演出法。

言い方によってはケンカした2人の監督による同テーマの映画対決のように巷では騒がれたが
劇場公開されてフタがあけられると、軍配があがったのはあとから「撮りなおし」された
「奥山和由ヴァージョンのRAMPO」。
それも圧勝だった。

そんなオレも観に行ったのは「奥山ヴァージョン」

大変失礼ではあるが、実はオレは今でも黛りんたろうという人に対する知識があまりない。
当然、大学生の頃となるともっと知らないわけだ。
それも理由のひとつだと捉えることが出来る。

勝手な推測だが、おそらく黛りんたろうという監督は御年輩の人にはかなり知られた人なのだろう。だけど若い人にはいまいち浸透していなかった。
その反面、当時の松竹奥山Pは北野映画で話題に事欠くことはなかった。
若い人からはもちろん、年輩の人からもそれなりに知られていた。
旬だということを考えても奥山のほうに可能性がある。

そして、正統派の黛監督は演出方法においても強いて言うなら「旧タイプ」
いっぽう、当時の奥山監督は演出において「ニュータイプ」であった。

一歩間違ったら「キワモノ」「卑怯」と言われそうな演出を映像の中だけでなく
上映中の映画館の空間の中にまでゲリラ的に仕掛けてきた。
そしてその演出を公開前からだいだいてきにマスコミを通して発信してきたのだ。

当時としては斬新とされた仕掛けの数々……

「アニメーション」
「サブリミナル」
「フェロモンの匂い」
「映像のゆらぎ」


などなど。

奥山ヴァージョンの「RAMPO」の冒頭はアニメーションで始まった。
アニメに内容は江戸川乱歩の短編で大正の悪女、お勢を描いた「お勢登場」である。
オレは詳しく知らない人だが、アニメの世界においてもかなりの実力をもった有名な人
を起用して作った短編アニメらしく、その雰囲気はなかなか良く出ていた。

「お勢登場」は当時原作も読んだけど詳細までは憶えていない。
子供たちとかくれんぼしていて、押入れの中にある長持という鍵のついた箱に隠れてたら
鍵が降りてしまって出られなくなった夫の状況に、帰宅した妻の「お勢」が気付くが、
ある考えがあったお勢は一度フタをあけて夫を確認するも、再びフタを閉じ鍵をしめて
そのまま夫を殺してしまうといったような短編だったと思う。ざっとの概要だけど。




「サブリミナル」に関しても、話題になりはじめたのはこの頃じゃないかな。
ところどころに観客の心理を刺激するような映像がものすごく短く挿入されているっていう
アレね。

この映画あたりから世間や他のメディアでも話題になりだして、スタッフの遊び半分でも
地上波で時々使われるようになり、ある時日テレで放送しているアニメのシティーハンター
の中で、スタッフがふざけて某宗教団体の髭の教祖の顏を何か所か挿入したことが発覚し
それ以降テレビにおいてサブリミナルの規制がかけられるようになった。

実際に映画館でちょっと意識して映像を見ていたけど、中盤あたりからはどこにどんな画像が
挿入されているか全くわからなかった。
序盤はけっこう長めに「ふくろう」だとか「大槻ケンヂのデスマスク」だとかが分かりやすく
サブリミナルにかけられていたのがわかったが。

あと、もっとも話題になったのが「フェロモン」ね。
これに関しては映像の中の演出ではなくて、劇場の中の「現実的」な演出だから。

言うまでもなく「異性を引き付ける媚薬的な役割を果たす匂い」である。
もともとは昆虫とかの専売特許的な能力というか、匂いとして認識されていたわけだけど
これに関しても世間で「フェロモン」という言葉が使われるようになってきたのはこの映画が
きっかけだったように思えないでもない。

公開前のアピールで聞いた情報だと、映画の中でそれなりに艶っぽいシーンなどが登場する際に、ちょっとエッチな気分になるフェロモンなる匂いを劇場内に流して、観客の心を高揚される演出のようなことを言っていたような気もする。
映画を見に行った時、そのフェロモンというものが本当に匂いがして、さらにそれがどんな匂い
なのか確かめようとした。
パンフとかには「このシーンでフェロモン流すよ~」とかいうお知らせはのっていないから
なんとなくそれっぽい濡れたシーンになった時に、全神経を鼻に集中させてフンガフンガ!と
周りの空気を吸収して、その空気中に存在するかもしれない匂いを確認してみたのだが
なーんにもワカランかった。

あとで調べたら、フェロモン流しのシーンにおけるオレの目の付けどころは間違っていなかったようだった。単純に万世鼻炎だから匂いが分からなかっただけだったようだ(爆)

全体を通して映像的には美しかったし、一回見ておいてよかったとは思うが
ストーリーはちょっとボンヤリとしていて、サブリミナルもフェロモンもあまり印象には
残らなかった。

ただ、集客する戦略としては十分だったんじゃないかな。

今になって黛りんたろうヴァージョンも観てみたい気になった。