洗脳と染脳 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

2014年度の「ブラック企業大賞」 が先日発表された。

今回、輝く? 頂点にたった企業は「ヤマダ電機」とのこと。

大賞を受賞した企業には賞品として「労働六法」の書が贈られる様子。


受賞おめでとうございます。

今回の受賞を機に客観的に自分を見つめてみて頂き、今後の改善を心から

望みます(笑)


バカは風邪をひかないというが、実際にはひかないのではなくてバカだから風邪をひいた

ことにきづいていないという皮肉?の言葉はよく耳にするが、ブラック企業のどういうところが

ブラックなのかというと「自分たちがブラックだと言う自覚がない」ようなところもブラックの要因の

ひとつではないかと考える。


ブラック企業や、そんな社会はしょうがないという声が、そういった企業の傲慢な経営者を

ニンマリとさせる風潮を呼び起こす。

反抗や疑問の声があがらなければあがらないほど、彼らは自分たちの危機を感じることなく

安心して同じ状況あるいは、もっとサイアクな環境を作り続け、そして絶え間なく犠牲者が

生まれる。


ただ、そんな企業や話題があふれるなかで、ほんのわずかだが今後の経営者の意識改革

のキッカケになるかもしれない件もあったのはちょっと嬉しいことだ。


「すき家」(ゼンショー)が、これまでの経営方針と社員やバイトの使い方を間違っていたのを

認めたこと。

これは小さいようで、大きいかもしれない。


なにかと問題がおき、世間から批判浴びるような疑問が発生したら「仲良し第三者委員会」を

仲間にとりこんで、自分たちに有利な発言や調査結果しか出さない組織ばかりが目立つなかで

最近の「すき家人員不足閉店」を発端にした重労働問題の追求は、ちゃんとした第3者委員会を

投入したうえで非を認めるということは、少なくとも評価に値することだと感じた。


「すき家」ほどの認めはしていないが、ユニ○ロのヤナイも労働条件に関しては多少の非を認めた

ようで、そこは評価していいという主観。



ついこの前、すき家は牛丼を値上げした。

我ら消費者からすれば「値上げ」という事変に関してはいつもため息を漏らしてきた。

だが、友人たちとも話して意見が一致したが、今回のすき家の値上げには賛成だ。


すき家がずっと牛丼業界の価格№1を突っ走ってこれたのにはいくつか理由があると思うが

そのうちのひとつが、人件費を極限に抑えて、そのぶん食品を安くしてきたことがあると思う。


消費者からすれば何を買うにしても安いにこしたことはない。

それにおいて、すき家の牛丼が安かったことは小市民からすれば助かるには違いなかった。

でもモノには適正価格というものがある。


なんでも安ければいいというものではない。

それは決して商品自体の信頼性だけが問題ではない。


すき家に関しては、牛丼の値段を最大限に抑えた見返りとして、店舗で働く社員やバイトの

負担が風船のように膨らんだ。

その結果、やめてゆく人や倒れる人も増え続け、人がいなくなり、閉じる店舗が出てくることに

なった。


店が閉じるということは働く側の問題だけではない。

購入者側からしても「食べられる店」「買える店」が減るということなのだ。


つまりは価格破壊や業界競争が極端に激化すればするほど、オレら消費者にもそれは

ハネ返ってくる結果になる。


ライバル社が値上げしたり、世の中が増税したりする時代でもずっと「一番の安さ」をアピール

してきたすき家。

そのすき家がついに値上げ。

でもこれで多少であろうとも現場の人間の負担が減り、店舗も閉じずにすむのなら個人的には

「大賛成値上げ」である。

親会社であるゼンショーの関しても、この値上げに関しては拍手を送っていいと思う。

他の企業に対して改善するいいキッカケにもなると思うし。


たしか、ゼンショーのトップのオジサンが、「寝る間もおしんでモーレツに働いてきた役員クラスの人間が頑張ったおかげで、企業がここまで大きくなったから、そのやり方が正しいと思いこんでしまった」とかいうようなことを言っていたと記憶する。ビミョーに違うところもあると思うけど概要は

たしかそんなかんじ。


そこで「考え方」「経営方針」の過ちを認めたことも評価したい。

いくら間違っていたとはいえ、トップといえばそれなりにプライドも影響力もある人間だ。

経営者として世間に対して自らの非を認めることはそう簡単ではない。そこは偉い。

ワ○ミとは全然違う(笑)


「思いこんでしまった」と認めたことで、ゼンショーのトップはある程度ブラックの思想において

『洗脳』されたと思っていいかもしれない。


『洗脳』……? じゃあ、ダメじゃん!

とお思いの読者様もおられるだろう。


いや、誰かが本で書いていた気もしたが哲学的また文字的に考えると『洗脳される』というのは

実は良い意味なのではないかととらえることも出来る。


だって『脳を洗う』ワケだから。


同じ発音で「せんのう」でも、これまでモーレツ労働の意識にとらわれていたゼンショーのトップや、その「せんのう」という言葉を世間に広めるキッカケとなった一連のオウム事件の信者たち。


彼らの場合は同じ「せんのう」でも「洗脳」ではなくて「染脳」というのがマッチしているように

思えてならない。


そう、まさにアタマの中が一色の思想で一面に染まってしまっていて、他の色が入る余地がない

のだ。


オレも学生の頃から今まで人と人生論とかしてて、1回か2回くらい

「お前の考えはなんか洗脳されてるっぽいよ」とか言われたこともあった。


そうだ、たしかにオレは色んな考え方に関して「洗脳」されているかもしれない。

でもそれは文字通り、世間で蔓延している考え方とか多数派の意見が正しいという概念を脳ミソの襞からジェット水流できれいにこそぎおとし、脳が綺麗になった状態から自分で考えたことを発言しているといった意味では、まさに「洗浄された脳」である

だからたしかにオレは洗脳されていたかもしれない。


その一方で、みんながそうしてるからとか、常識がどうのこうのとかいった定説しか口から出てこない相手のほうは、それこそひとつのことを思いこんだらそれをすっかり信じ、自分と違う

考えの人間はすべて間違っていると疑わないように「染脳」されているんじゃないかと訴えたい。


以前にもちらっと書いたかもしれないが、人間が必死に働いて新しい製品や価値観を生み出す

ことは、将来豊かになるためとかまではいわなくとも、我ら人間の負担を少しでも減らすためであるのが本筋だということを見失ってはならない。


少しでも負担を減らし、ラクになるという「目的」のための「手段」が労働であるのに、

ハッキリ言って今は、「手段そのものが目的」となってはいないだろうか。


ゼンショーのトップはそこに気づいてずっと「染脳」されていた状態だったのが「洗脳」されて

それなりにまともになったと信じたい。


そして毎回言うが、オレは決してそういう企業のトップのすべてを批判しているわけではない。

少なくともトップになるからには、誰よりも苦労しているだろうし、勉強もしていだろう。

生まれもっての商才だってあるはずで、それの伸ばし方だって自分でしっかり理解しているから

トップになれたわけである。

それは素晴らしいことであり、その部分に関しては充分に評価する。


ただ、上り詰めるまで人一倍苦労したからといって、社員やバイトや派遣など下の人間を

クズみたいに扱ったり、命を奪う状況まで追い詰めるのはけっして許されないことだという

それだけのことである。


そこだけはご理解いただきたい。