敏感が転じて鈍感に見える | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

「多趣味が転じて無趣味となる」とかいうような言葉があった気がする。


それとは微妙に異なるのかもしれないが、行動や発言、あるいは人への対応に関しても

「深く答えすぎて、逆に何も考えていないように思われる」

「何事にも敏感すぎて、逆に空気をよめないように思われる」

という例もあると言える。


以前に「すぐ意味わかんないっていうヤツ」という内容の記事をかいた。

何か聞いた時に相手から返ってきた言葉がちょっとひねっていたりした場合、それが意味する

深いモノがあるかどうかを少しも考えようとせず、言葉の表面だけとらえて、すぐ

「意味わかんない!」という人間が嫌いだといった内容の記事だ。


どうして嫌いかというと、仕事に関しても何にしても真剣に対応してきた相手に対して

今まで何度かそういわれてきてガクゼンとしたからだ。


「言ってることの意味わかんない」

「質問の答えになっていない」

「何も考えないでとりあえず何か答えてんだろ」

などなど……過去の職場でもそれ以外の場面でも何度か言われた。

その他いろんな人格否定セリフの紙吹雪のトンネルの中を下を向いて歯を食いしばりながら

耐えて一歩また一歩と歩いてきた。


みなさんの中にも、よくそう言われてきた方々はいらしゃらないだろうか。

おそらくだけど、少なくともオレはそういった同じ体験をしてきた人の切ない気持ちというか

寂しく思う気持ちがわかるつもりだ。


思想の根底にあるものが正解か不正解かというのは別問題になるが、

あることを誰よりも深く丁寧に真剣に考えずぎたことが転じて、いい加減な人間や

何も考えていない空気を読めない人間に思われてしまうというケースは多い。


たまに夜にスカイプで哲学や読書について語る友人から

「ケンさんは何というかあらゆる関係に考え方が敏感になりすぎてそれを深く考えちゃうから

哲学的な答えとかちょっとナナメから切り込んだ答えを言ってしまい、相手の人はまったく

カンケ―ない答えを返されたって思っちゃってソンしてるんだと思いますよ」

という言葉をもらった。


オレなんてプランクトン級の大した人間でもなんでもないし、考えていることだって

すべてあっているなんてことはないのは事実だが、でも最低限理解してくれた部分の

あるその言葉は嬉しかった。


ひとつ思いだしたことがある。


あれはたしか小学校1年か2年の時だった。

何かの授業の中でちょっとした「塗り絵」のようなことをする時間があった。


先生手作りの遠足のしおりか何かだったと記憶するが、そのしおりの表紙には

擬人化された色のついていないネコが書かれていた。


ネコは人間と同じように上半身にTシャツを着ていた。


「じゃあ、今から色鉛筆を使って、服を着たネコちゃんに色をつけてあげましょう」

と先生がいった。


みんなはTシャツを着たネコに色を塗り始めた。

オレも塗りにかかった。


「さて……どういう配色にしようか」


いざ塗ろうと思うと悩むものだ。

近くのクラスメートの塗っている様子を盗み見すると、みんな好き放題に塗っていた。

人間には習性や男女別に固定観念のようなものがある。

たとえば一匹の魚の画をかかせると、だいたい左側にアタマがある画をかくのだ。うお座


それに付随するといっていいのか、女の子はほぼシャツの色を赤にして

男はだいたい青とか緑にする。

男女共通なのは、ネコ本体に茶色を使うケースが多く、そして本体とTシャツの色は違う色に

しているということ。


そこでオレはふと思った。


先生からの塗り方の指示として、まず第一に

「最低でも何色以上使え」という指示は出ていない。

そして

「体とシャツの色を別にしろ」という指示も出ていない


そして街角を歩いていたり、友達のうちにいるネコの姿を思い出してみた。


「黒」「茶色」「ブチ」もたしかにいるがネコには「白」だって多い。


また一部の金持ちに飼われている特別なネコは覗いて、平均的なネコはだいたい服なんてきていないから、オレは想像しやすいように「人間が着ている服」は何色が多いかと考えた。


「青」「赤」「黒」「黄色」たくさんある。

だけど一番ピンときた色は「白」だった。


それはおそらく町を歩いていて、働いているオトナの男の人がきているワイシャツをよく見ていたからということもあったと思えるし、またその時代には、私服でもA作YOSHIDAみたいに白いシャツを

着て街中を歩いている人が多かったから、「服といえば白が多い」といった印象を受けたんだと思う。


みんなネコの体と服の色を変えているけど、ネコにせよ人間にせよ服を着る限り、その服が

体の色とカブる可能性だってあるはずだ……と子供だったオレは考えた。


ムリにバランスとか考えて服と体の色をわけることはかえって不自然であり、決して世の中に

少なくない白色のネコが、ポピュラーな白いシャツを着ていることの場合のほうがリアルに近い

んじゃないか……と子供だったオレは考えた。


そこで一度手にとった原色の色鉛筆をそっとケースに戻して、オレは「白」の色鉛筆を改めて

もった。


そこでまた考えた。

ここで「白」という色を使っていいものかと。


「白」はしょせん「白」である。

色鉛筆の白は果たして必要かという疑問は小学生の間で永久的な疑問だった。

(黒い紙の場合は必要だというのはすぐあとに誰もがきづくのだが)


子供ながらに「白い紙」に描かれた服を着たネコに色を塗る場合、

体も服も「白」で塗れば、それは簡単にいうと「色なし」じゃないかと。


動きも派手さもなく、ぱっと見で何にも塗られていないように見えるのではないかという

不安。


でもそこは小学生なりに持論を持つことにした。

たとえば、まったく何も塗らずに「ネコの服と体は『白』です」といったならそれは

完全な手抜きである。


だけど少なくとも白い鉛筆の先端をそこに這わせれば白い粒子がざらざらとついているのは

先生だってわかるはずだという確信があった。


「白い色鉛筆を使ってもいいものか」という自問自答にも悩んだ末に子供ながら答えを出した。

答えは「YES」だ。

理由は簡単。そもそも使っていいモノだから、そのケースの中にあったわけである。

使っちゃいけないモノなら、最初からそこには入っていない。


すべての答えは出そろったので、オレは白い色鉛筆を手にとり、ネコとそのネコが来ているシャツを同じ白でぬった。

一応、境目という意味で襟のところだけ黒い線でなぞり、口のところだけチョンと軽く赤い鉛筆で

塗った。


最終的にオレがネコを塗るのに使った色はほとんど「白」一色である。

あとは襟の黒線と、口元の赤が少々。


味気のない配色だとは思ったが、奇をてらわず、現実の中にちりばめらたカラ―と、それが目に

つく頻度というリアルさを追求し、さらに周囲のクラスメートと配色がだぶらないようにとまで

考えたうえでの最終仕上がりだった。


そしてほとんど出来あがったその画を見つめて、オレはさらに細かいリアルをそこに追加しようと

試みた。

実際のネコやイヌの姿を思い出してみると、体中を覆う、その毛並みは決してピッチリと体に

くっついていない。

どちらかというとモサモサワサワサとしているのがリアルだなということに気付いた。


オレはまた白い色鉛筆を持ち、一本一本体に生える毛を描くように鉛筆の先を紙の上に走らせた。

ワサワサ感を出すために、ネコの顏の部分からもわずかにはみ出すようにシュッ!シュッ!と

白い線をはみ出させた。毛の躍動感は醸しだすことが出来た……子供ながらにそう思った。


これにて我が作品は全て完成した。


出来あがった作品を見せるために教壇に座るオンナの先生にところに持っていった。


ところがオレの塗り絵をみた瞬間、オバサン先生激怒(爆)


「○○(オレの名前)!! なにこの塗り方と色は!」


先生は立ちあがり、オレの塗り絵を持ってクラス中にみえるように高く掲げてみんなにこう言った。


「みんな!ちょっとコレ見て!○○の塗り絵! 体も服もおんなじ色です!「真っ白オバケ」です!

みんなは面倒くさがって、こうやって同じ色で塗っちゃったらダメですよ! 塗り方だってこんなに線からはみ出していい加減にやっちゃって! はい、やり直し!」


誰よりもリアルや日常をよく思いだし考えて塗ったのに、その先生の発言により、オレは誰よりも

なにも考えず、ただラクをしようとした人間という位置にされた。


実際のネコの毛の色や毛並みのカール具合や伸び具合を必死に思いだし意図的に線からはみ出した白い毛に関しては、いい加減に雑に塗って線からはみ出した線ということにされた。


クラスの中で誰よりもいろんな方向からいろんなことを考えた末、日常のリアルから

白い色鉛筆必要性まで考えた結果、白い服を着た白いボサボサのネコを作ったつもり

だったのに、オレはクラスの中で唯一なにも考えずラクをしようとした人間にされたのだ。悲しかった。

現実にはいるわけもない、いたとしても突然変異以上に趣味のわるい真っピンクのネコを塗った

同級生はおとがめなし。

リアルも色彩バランスも無視したピンクのネコを造り出したほうこそ、まさに「なにも考えていない」

のではないのか!?


怒られるにしても「そこまで現実を考えるのは小学生らしくない」とか

「意図が伝わりにくい」とか言われるぶんにはまだしょうがないかなとは思う。

考えていることはわかってくれているわけだから。


でも小学生の子供なりに自分の哲学で必死に練りだした答えを「全部白だった」という

表面的なことだけで「なにも考えず面倒くさがった」という捉え方をされたのはナットクいかない。


その時からかな、子供ながらに教師も所詮マニュアル人間で、勉強に関する知識は人より

抜けててもセンスというか感性は大したモノじゃないんだなって見切ったのは(笑)


この「塗り絵」の例も、最初にかいた人間同士の意見のやりとりも同じで相手の質問や要望に

対して真剣に考え過ぎると、それが深くってしまい相手によっては理解できず、質問や要望に

対して、いい加減に答えているとか、まったく関係ないことを答えているとかいったように思われるケースってけっこう多いのよね。


すごく身近な他の例でいえば「じゃんけん」なんか似てるかも。


相手が「じゃあ、オレはパーを出すからな」と言ってきた時にそこからいろいろ思考回路を

めぐらすことになる。


心の中で

「もし相手のいうこが本当ならオレはチョキを出せば勝てる……

でもそんなのウソで罠に決まっている……

でももし動揺や混乱を誘うための発言で本当にパーを出す可能性も……

いや、やはりここは同じパーを出して一回様子を見てみるのも……

いや、でもそれが狙いかも……」


などと思いをめぐらしているうちに

ウラのウラのウラのウラのウラのウラをかいて、結局オモテになり、チョキを出して負けて

相手から「ホントにパー出すと思ったのかよ~」と言われ、単純な奴だと思われてしまうような

感じ。


心の中では「単純なんじゃないっ! いろいろ深く考えた結果チョキ出して負けたんだ!」と

叫んでいる。


……伝わったかな???


最後ちょっと本筋からズレたけど、今までの経験を踏まえると、相手に対して本当に真摯に対応し

真剣に細かく答えようとするより、本当によく考えずテキトーに考えれる人間のほうが

なーんかトクしてるような気がして疲れ損しているような気がするここ数年であります。


アナタもひょっとしたら、真剣に深く考えて出した答えを「適当」だと言われたような被害をうけていませんか?


また、真剣に考えた深い答えを返してくれた人に対して、ろくに理解しようともせず

「意味わかんない」とか罪深い言葉を返してしまったりしていませんか?


長くなったんで、今日はこれまで。