ロージナ茶房のザイカレー | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

過日のことである。


4作目の作品の最終推敲がほぼ終わろうとしているので、そろそろ同時に

次回作の構成の組み立てにも入らんといかんと思ったのだが部屋だとどうも気分がのりにくい。

気分転換もかねて、これまた以前からいろんな意味で気になっていながら行く事が出来なかった喫茶店で「ひとり構成会議」をしようと場所を変えるべく出掛けてきた。

ランチも兼ねて。


ここでいう「いろんな意味」というのは、その店に行ってみたかった理由がいくつかあるから

なのだが、それは追ってツラツラ書いていく。

大丈夫!タイクツにはさせない!たぶん。

タイクツ ――それは田中美佐子のダンナと東八郎の息子によって結成されたお笑いコンビ。

それはTake2。←このネタが既におおいなる退屈の始まり。


うちから自転車で数分も走ると、そこは小さいころから通いなれた町「国立」である。

その閑静な街並みは「西の成城」と言われている。と記憶するがオレはべつに成城に憧れは

ないからどうでえもいい。


国立駅からすぐ近く。先日紹介した「紅矢」からもすぐのところの路地裏にその店は佇んでいる。


『ロージナ茶房』

東京都国立市中1-9-42 詳しくはココ


ロージナ茶房

昭和28年から営業している歴史あるレトロな喫茶店だ。

看板もかなりシンプルで毒気のないところがよい。

ロージナ看板


手押しのドアをあけると右側に一階席、そして目の前には2階へと続く階段がある。

オレは2階が目当てだったので、あがってゆく。


上がりきったところのすぐうしろに、隠れ家的スペース(大袈裟に言えばだが)の席があったので

そこを確保する。左側には今あがってきた階段が見えてなかなかの席である。


席から階段

店員さんがメすぐにメニューを持ってきてくれた。

今回ここにきた目的のひとつ


「ロージナ茶房名物・ザイカレー」のランチをオーダーする。


ザイカレーの存在を知ったのはもう10年以上前になんとなくかったカレー・エスニック専門店の

本だった。

23区ばかり集中してとりあげられる店の中で、我が地元、国立の店とカレーが紹介されていた

それがロージナ茶房のザイカレー。写真で見るととても美味そうだったが、店が喫茶店ということ

もありずっと敬遠気味だった。

(ちなみにドトールとかじゃない個人経営喫茶に1人で入ったのははじめてである)


「ザイ」というのは「罪」を意味するらしく、その量の多さと激烈な辛さがインパクト大のため

近くにある一橋大学の学生が「罰ゲーム」として利用してたとかしてなかったとか聞いた。


(前置き長くてスマンがもうちょっとで終わって画像だすからしばし我慢を)


このザイカレー。

本来の単品メニューとしてはかなりのボリュームで、価格が1000円らしい。

ただ、これがランチになると、カレーの量がちょっと減って、小さいサラダとドリンクがついて

880円で楽しむことが出来るらしい。


過剰なるストレスにより、カラカラに乾いたスポンジのようになった今のオレの胃袋であれば

ある程度のデカ盛りならばすべて吸収することは問題ないという自信はあったが、

もしも! 予想以上に辛くて、さらに大きめのカタチを残した玉ねぎが入っていたら、その量を

たいらげることが不可能になる危険性があったので、まず最初の偵察としては小さめのランチ

セットが妥当であり、またありがくもあった。飲み物もつくから食後ゆっくり構成出来るし。


おまたせ。これが「ザイカレー」 (ランチ版)


ザイカレー

一見、キーマカレーにみえるが、実はトロトロに煮込まれたトマトベースのカレー。

中央にタマゴ。そして横には見た事あるけど名前は知らない野菜(爆)


カレーアップ


さっそく銀匙を入れて、一口運んでみた。


口に入れた瞬間はそれほど辛くはないが、やはりそこはお約束の時間差攻撃。

ジワジワと背後から迫り、グサッとくる辛さはあった。


かすかな酸味と辛さが美味くて、匙がすすむ。

辛いには辛いが、罰ゲームだといわれたり騒ぐほどでなないと感じたが、それでも辛いが

苦手な人にはかなりの殺傷能力ではあると思う。


舌は平静だが、気がついたら額から汗がにじみ出ていた。それがやはり辛さの証明だろう。


肝心の味と感想。


オレはこのブログでフード紹介した時に、よく「美味い」とか「普通に美味い」とまとめるが

今回のロージナ茶房のこのカレー。

ハッキリ言って


激アタリ!である。


今まで食べたカレーの中でとか、そういうのではなく、このカレーにはこのカレーとして

ひとつの「カレーの最終形」というか「完全体」を見た。


みなさんに対する進め方としては

「国立にお越しの際は、是非一度、この店のザイカレーの味をご堪能してください」

ではない。


一言で言うと

「行け!」


である(笑)



さて、カレーを堪能したところで、もう一つの目的。

作家(志望)らしく喫茶店であるここでの次回作の構成。


実はこのロージナ茶房。

もうかなり有名な話ではあるが文化人や作家のお気に入りの店である。

恥ずかしながらオレはまだ読んだ事ないが山口瞳もこの店がお気に入りでよく通い

絵の寄贈もしていた。


そして近所の一橋大学に通っていた石原慎太郎が、芥川賞受賞作である「太陽の季節」の

原稿を学生時代に書いていた店が、このロージナ茶房だ。


この前いった芥川賞フェスにてその原稿のレプリカが展示してあった。

まだ若かったこともあるからか、石原氏に関して字はそんな偉そうじゃない(笑)


太陽の季節原稿

政治家としての石原慎太郎は好きじゃないが、作家としては別に嫌いではない。

かといって好きでもないけど、まあフツウ。


ただ、政治家としては問題多かったり、過激な作品が多いにしても芥川賞をとる才能が

あったことは間違いない。作品に関しては評価される反面それなりにも叩かれたようだが。


前回の「太宰の鰻」に続いて、今回もその文学パワーの恩恵だけはおすそわけいだだきたく

思いたく、ゲン担ぎでオレもここで構成させて頂きたく存じます、石原先輩。


しかし、こうやって味のある喫茶店にて、コーヒーを飲みながら新作のプロット(構成)を

考えて組み立てるというのもなかなかいい。

ちなみにオレの小説の下書きや構成は鉛筆である。

ふだんは鉛筆など使う機会がないので、可能な時は出来るだけ鉛筆を使うようにしている。

機械文明へのささやかな抵抗。



アイスコーヒー

これから書こうと思う作品は前にちらっと言ったとおり、「性」と「闇」を絡めた作品である。

PTAのオバサンとかが見たら、すぐに有害図書のレッテルを貼りそうな。


「太陽の季節」もそういう人間のクズを描いた救いようの無い後味悪い作品。いい意味にも悪い

意味にも。


オレの作品も今回はある意味で「ピカレスク(悪漢)小説」なので、それならば「太陽の季節」が

書かれた店で書けば、それなりに挑発的でエグいながらも文学性のある作品が生まれるかも

という根拠なきゲン担ぎである。


新しい物語を書き始めるにあたって、まず最初に登場人物の設計図をつくる。


下書きゲラ

これを最初に設定しておくと、作品の中で登場人物をスムーズに動かすことが出来る。

フェスの時、綿矢りさからの質問において、道尾秀介は設計はやらないと言っていたが

それは人それぞれ。


あらかじめこれをやっておくと、書いているうちに矛盾が生まれなくなる。

最初に「○○は短髪」と書いたのに、あとのほうになって「髪が風になびいた」とか書いて

しまって、読み直して「なびかねえよ!」と自分に突っ込むこともなくなるワケ。


まあ、一人ひとりの細かい顏つきまでは設定しないでいいと思うけど、

最低限で、髪型・身長・太め細め・出身地・一人暮らしor実家・好きなスポーツチーム・

飲酒の有無・喫煙の有無、吸う場合はマルボロかセブンスターかといった銘柄くらいまでは

決めておくと内容に生活感のリアリティーが醸し出る。


あとはその、それぞれの人物に関してイメージに近い身近な人物をキャラに当てはめると

これまた想像しやすいのだ。

ムカつくヤツはイヤなキャラや犯罪者に設定したり(笑)。


あとは何日間の間の話かを決めて、時間軸などをつくって物語のタイムテーブルをつくったり。

執筆が料理だとするなら、「調理」に入る前の「下ごしらえ」がけっこう大変なのですよ(._.)。



作詞家のなかにし礼が「歌謡曲とは公序良俗に泥を塗ることだ」と言ってたらしい。

それは同感だ。歌謡曲じゃなくてもロックでも映画でも小説でも表現という舞台では共通だと思う。


今回に書く予定の作品はそこまでのテロリズムはないが、そういう紙の上だからこそ

可能とされる過激さをこの病んだ世界へのメッセージとして容赦なく展開させてゆきたいと思う。


ピカレスク小説や残酷小説と、ここのカレーのような激辛料理はとても似ているとオレは考える。

どちらもかなり暴力的でもありながら、同時に芸術なのだと。


激辛カレーはまさに暴力的に喉を痛めつけて辛いが、それと同時にただ辛いだけでなく

突きぬけた‘旨味’も存在するのだ。

そう、ラーメンで言えば「蒙古タンメン中本」みたいに。


ただ、ひたすらエグかったりエロかったりするだけの小説は、ただ辛いだけで美味くもなんともない

カレーやエスニック料理みたいなものではないだろうか。


ある程度、公序良俗違反や差別的な要素を含んでいたとしても、同時に文学的要素や哲学または社会的メッセ-ジが多く配合されていればそれは‘旨味’と変わる。


簡単に言えば調理師も作家も同じで、どんなに激辛な原料をつかっていたって、それぞれの配合をうまくやって調理すればそれは逸品となる。


下手すれば単に香辛料に頼った辛いだけの料理と批判されるかもしれないが、オレは今回そのタブーに挑みたい。


いやあ、でも、やっぱたまにはこうやってレトロな喫茶店でコーヒー啜りながらプロペラが回転する天井の下で、頬杖つきながら執筆するのもかなりいいかもしれない。


プロペラ天井


次回からも新作にかかる前にプロット構成する時はここでにしようかなと思った。