ううぬ、ホントに2013年ももうわずかだ。
今年もいろいろあったようで、あんまりなかった。
でも、ひとつだけ……自分の中では大きい動きというか新しい事の始まりになったんじゃないかというのが、やはり執筆活動を今さらながら開始したこと。いや、やっぱりこれは大きいと捉えさせて
もらいたい。
専業であれ、兼業であれ、学生であれ、文章作品を世界に送り出すとしている人、もしくは送りだ
してきた人(現在のプロ作家や芥川賞作家含め)はだいたいデビュー前「執筆している」ことを
隠している人が多い。
それは別に「専業作家になる」ことや「印税で稼ぐ」ことが目的でなくても、かなりの確率で
叩かれたり笑われるからだ。
専業作家にスライドしたいがために執筆している人はまわりから甘いとか感覚がおかしいと言われ、また本職持ちながらもただ新人賞が欲しいために書いている人は「暗い」とか「他のことやったほうが時間が有効」だとか笑われる。それも文章を書けない連中から。
素人時代から、周辺の一部の人間に「作家になる」または「小説を書いて応募する」と発表している作家は、ほぼ全ての人間が自らのエッセイなどで、親類に泣かれたとか精神がおかしくなった
んじゃないかとか言われたり、知り合いからは罵詈雑言を浴びせられたと言ってきた。
叩かれたり笑われたりするのは「文章を生み出そうとする者」 の宿命だと捉えるしかない。
そうやって非難されてきた人達が、今、芥川賞や各新人賞を生み出しているわけなのだから。
オレがあえて過去にこの場で文学賞に挑むことを発表したのは、自分に対して、途中で
サジを投げれなくするため。
多くの人に言ってしまえば簡単にやめれないという、追い込みである。
ただひとつ。正直にオレのずるくて器が小さかったことを白状してしまうと、
処女作を書きあげる前に、それを発表したのではなく、まずひとつ書きあげてから発表したのは
もうおわかりだと思うが、もし最初の1作品も書く事が出来なかったらどうしようかという恐怖
からだった。偉そうに書いたが、コレに関してはお詫びしたい。
なにしろ本格的な長文の物語を執筆すること自体が初めてだったこともあり、自分自身の
能力が未知数だった。
カッコつけて、おおっぴらに発表したはいいが途中で断念したら格好悪いと思って、一作品書き上げてから発表したという流れだ。
でも、いざ書いてみると、展開に悩んだり、疲労で数行しか書けない日があったとはいえ
今日まで書き続け、今の時点ですでに四つの賞に応募している。
忙しいので夜と週末に書く時間はわずかしかとれずペースは落ちているが、現在も4作目を
執筆して原稿用紙70枚超まで書き、来年3月締切の賞に向けて必死こいている(笑)
なんだかんだでやってみて自分でもよく半年以上継続できたとちょっと感心している。
才能あるかないかは別として、作業的にはフツ―の人よりも向いているのかもしれない。
あとは綺麗事や社交辞令でもなんでもなく正直に「書く事を推薦してくれた周囲の人」や
「読者さん」のおかげ。
本格的に小説を執筆してみようと決心したのは自分自信というよりも、まわりの後押しかも。
一部の人に対して。オレが「本格的に執筆活動を始める」と伝えた時、いくらかの知人が
喜んでくれたのが嬉しかった。
やってみるのもいいんじゃないという程度とか、気を遣ってくれてエールをくれたとかでなく
「それを待っていた!」とか「やっと書き始めたか!」といった感じの声。
今だから書ける時というタイミングもあるが、そう言ってくれる人がいると、もっと早く書き始めて
いればよかったかなと反省している。
(現に一番最初に書く事をすすめてくれたN先輩からは「だから10年以上前からオレが『オマエは本を書け!』と言ってたのに遅せえよ!』と冗談交じりに叱られたw)
でも、そうやって時間がたっても可能性を信じてくれる人、しかも年上の人がいるというのはとても
ありがたいことがと感謝し、それが執筆するパワーになった。
誤解している人もいるかもしれないが、はっきり言って、オレは専業作家にスライドして、その世界で、ずっと食ってゆこうとか食ってゆけるなんて甘い考えはもっていない。
ただ、もしオレが出来ることがあって周りが出来ないことがあれば、これしかないという思いと
前にも書いたように、正面から意見を言って、それが否定されたり幼稚だとか言われるんであれば、それを文学に変換して、多少遠回りになるかもしれないが小説という紙の世界の上を経由
して発信出来ればいいと思っただけである。
まあ、作品で一発だけでもいいから当てて、まわりの見返してやりたいという憎しみと同時に
文章を紡ぐのがすきだからという単純な理由もあるが。
こんなこと言ったらいけないかもしれないが、プロになれなくてもいい、印税で稼げなくてもいい。
ただ純粋に、ひとつでもいいから死ぬまでにこの世にオレの世界観を残したいだけなんだよ。
そんなモン、100匹のトキの飼育をする1000倍くらい難しいことは100の承知。
でも、やる前からダメだと決めつけたくは無い。やって後悔したい。
皆さんの周りにも上の文句好きでよく言う人いるでしょ?だから言ってあげた(笑)
そんな感じで書き続けて、これまではなんとか3作品(1作品は修正加筆を別の賞に応募)してきた。
これからも出来る限り書き続けたいと思う。
で、記事タイトルの「苦手な事」に関しての話がまだ出てきていないじゃないかとイライラしてる
人もいるだろうと思うので、今までの流れを踏まえてその話を。
今まで書いたうちの2作品と、今書いている途中の作品は、いうまでもなく純文学のつもりだが
共通テーマは「人間の闇」である。
さらに細かく分類すれば1作目のテーマは「苦脳」、2作目は「自殺」、今書いているのは「背信」
3作目に関してだけは「闇」とははなれてちょっと悲しい「純愛」モノである。
3作目に関してはオレ自身意外だった。
もともと「恋愛」「純愛」モノが読むのも書くのも得意でないだけに、そんなオレが純愛物語を
書こうとも思っていなかったし、書けるとも思っていなかったし、書きたいとも思っていなかった。
だが、ある日、突然アタマの中にストーリーが降りてきて、書こうと思い、いざ書いてみたら
今ままでで最長の原稿用紙約300枚の作品が出来あがっていた。
(内容の良しあしは別とし、またそれなりに執筆期間は長くなったが)
浅田次朗や中谷彰宏もエッセイの中で書いていたが、なにも無い時にストーリーを考えても
オモシロイのが浮かばないが、作品を一つ書いているうちに、次に書きたい内容がどんどん
湧いてくるというのはまさにその通りだった。
今は4作目を書いているが、オレがもともと書いてみようと思った話は処女作だけである。
他にはなにも構想がなく、まず1作だけ書けばいいと思っていた。
でも、そのあとも3作書いている。
いままだ4作目を書いている途中だが、書いている途中で、もう次に書きたい話がアタマの中に
降りてきた。そこで記事タイトルとリンク。
今書いてるのを脱稿したら、次は
『性』
を扱った作品を書いてみようかと思う。
純情ぶるつもりじゃなくて単純にオレは人間の闇や苦悩や汚さを描いた文学が好きなので
エロティックな恋愛小説や官能小説や暴力小説はほとんど読まない。前にもい書いたが
中身の伴わない下ネタもキライだ。
だから苦手とするジャンルだが、なんかいきなり「性」……というか性格には「歪んだ性」をモチーフにした話が降りてきた。
今、ムショーのその世界を描きたい。今書いてる途中なのがあるからまだとりかかれないけど
早く描きたい。
今まで読みも書きもしなかった苦手なジャンルだけど、挑みたいのだ。
いや、落ちついたら来年は挑もうと思う。
ひとことだけ言っておくと、執筆におけるメインジャンルをそっちに移行するつもりはない。
とりあえず一作だけ書いておきたいのだ。
なんだろうねえ、やっぱ色々書いているうちに、だんだんいろんなことを試してみたくなって
くる人間の性分なのかな。
とくにスキー好きじゃない人間が、たまに友人からスキー誘われて滑りに行くとして
もともとスキそんな興味ないし、友人付き合いで行くようなもんだから、買うウェアとか板も
テキトーな安いのでいいやと思って、古いデザインの買ったけど、何回か行ってるうちに
楽しくなって、ウェアとか小物もだんだんオシャレなものを揃えたくなってくるような感覚に
近いかもしれない。釣りとかもそう。
ただ「世に出た作品」の印象の呪縛ってのはやはり強烈で、もし「性」に関する話でデビューしたら
もうそういう作風の作家っていうイメージがついちゃう。
あるいは、実は中身が哲学的で深い作品なのに、表面だけクローズアップさせられて
マスコミにエロ作家みたいイメージを広げられる。
かつて瀬戸内寂聴が、真剣に「性」についての小説を書いてた時にマスコミから「子宮作家」
というレッテルをはられて、かなり悩んだという。
そういう作品を書くことにつきもののリスクかもしれないけど。
オレが構想している話もはっきりいってエログロでも官能小説でもない。
純文学である。
やはりオレらしくなってしまうところは、ゆきつくところは人間の深層心理の闇。
暴力シーンも性描写もいっさい登場しない、人間の妄想と狂気と、そして男女の体の各部分を
あらゆるものに比喩しておきかえた世界の歪んだ「性」の小説。
うーん、いけるかな?
あくまで純文学として、エグさやエロさを全面に押し出すつもりはない。
勘違いして、そこを強くアピールすると単なるイロモノ小説や哲学性のない反モラル小説に
成り下がってしまう。
人が書いたからそうするというわけじゃないが、男性女性問わず、芥川賞作家その他有名作家の作品は「性」が目立つモノが多い。
田中慎弥の「共食い」なんてモロにそうだし、金原ひとみの「蛇にピアス」もどちらかと言えばそう。
物語というメインディッシュに「性」というテーマの調味料をどれだけふりまくかという調整の
問題なのだ。かけすぎると消化不良や胸やけを起こしそうなくらいにクセのつよすぎる作品になってしまうが、ほど良く書ければ蒙古タンメン中元のラーメンのように、激辛ながらも、突き抜けた
爽快感を得られるものが生まれる。
もっとも難しいのが「性」を扱った作品を作るにしても、男性と女性で、その価値観やツボが
異なる事。
オレは男だから当然男性視線メインになるが、かといって女性視点を完全に無視した
ものや、全ての女性が不快になるようなものは書きたくない。
いい子ぶって女性の味方をしているのではなく、ただ単に、書くならいろんな人に読んでえもらえるモノが書きたいだけ。
それで女性作家が女性視線で書いた「性」をテーマにした作品をちょっと読んで勉強しようと
思って読んでみたのがコレ。
- 星が吸う水 (講談社文庫)/講談社
- ¥550
- Amazon.co.jp
前にも「授乳」という本を紹介したが、三島由紀夫賞受賞作家の村田沙耶香の本である。
表紙が表紙だからさすがに電車の中では読みにくいんで家にいる時だけ読んだ(笑)
女性が書く性小説読むにしても、そういう作品ばっか書いてる人じゃ、ちょっとアクが強すぎて
参考にならないかもと思ったのと、普段の私生活が派手そうな人も極端そうなんでダメかと思った。何冊か読んだし嫌いじゃないけど金原ひとみの作品とかは、ちょっとエグさを狙ってるところが
あってあえて外した。
そういう人達に比べて、この村田沙耶香は、見た目は派手でも地味でもない普通のオネエサン
である。画像ここ ででるかな?
レビューは少ないけど同性からの共感もあるようだから、参考に読ませて頂いた。
なんとなく保健体育チックなエロさがありながらも、「ああ、表現がうまいなあ」と感心させられたことがあった。
この知識をオレなりにアレンジして、もし執筆に掛かったら活かす事が出来ればと思う。
とにかく「暴力」とか「性」を扱った小説は全体のバランスが難しいと思う。
ちょっとのさじ加減で「文学」か「イロモノ」かに別れてしまうから書くなら慎重に書かないとね。
でも、やはりそれなりに過激さというものは文学には必要だ。
とりあえず、来年は今まで書いた事のない「性」という苦手なテーマの小説に挑みたいかなと思う。
低俗なモノにならないよう文学性を含ませながらも男女問わず文学好きに衝撃を与えるような
それなりに過激で挑発的な作品を書きたいなと思う。
苦手なことをあえて書くということで、まずは来年
『自分を内側の脳ミソからぶっ壊す』
周りからも
『え!? こんな発想の作品書く人だったの!?』
と言われるくらいに既存のオレのイメージをブチ壊す世界観のものを書いてゆきたいなと。
一作品だけね(笑)
まあ、でもその前に、まずは今書いてる作品をしあげないと(汗)
はあ……、やっぱ100枚じゃ収まらんわ。また250枚以上ペースだな(ーー;)
3月の締切までに間に合うかビミョーなところだ……。
次回は今年最後の記事どす。